言葉による架空世界を突き詰める気鋭の作家、金子薫さんが新刊『道化むさぼる揚羽(あげは)の夢の』(新潮社)を出した。小説全体を貫くのは閉塞(へいそく)感と理不尽なルール、そこから抜け出そうともがく人間たちのあわれな姿だ。コロナ禍の現実とつながる寓話(ぐうわ)のような物語はいかにして生まれたのか。

 舞台は広大な地下世界。主人公の天野正一は〈蛹(さなぎ)の形の拘束具〉に入れられ生死の境をさまよったのち、機械工として金属製の蝶(ちょう)を作らされる。監督官に鉄棒で打たれる恐怖におびえ、天野は理不尽な現実から逃避するため、自分のなかに道化の人格を生む――。

 外出自粛が叫ばれるコロナ以降の世界を映したような物語だが、初稿を書き上げたのは2019年の12月初旬だった。「コロナの前なんですよ。中国の武漢で1人目の感染者が出る前にできあがった。だから、コロナの閉塞感とか自粛ムードとは関係がなくて」

 だが思い返せば、17年の『双子は驢馬(ろば)に跨(また)がって』では監禁を、19年の『壺中(こちゅう)に天あり獣あり』では迷宮を描いた。「閉じ込められて、身動きが取れないなかで変化を余儀なくされるみたいなことが気になるんでしょうね」

 一方で、閉塞感を打ち破るのが、天野が内面で一人二役を演じる道化だ。「人間が生きていく上で道化を演じてしまう瞬間というのは、日常の愛想笑いとかでも見る光景。文学に書かれた道化も好きだけれど、それより前の原体験的な意味で、道化のモチーフには興味があった」と話す。

 理不尽な仕打ちから免れるために生まれた道化の黒い笑いは、描かれる世界の無意味さ空虚さをもあぶり出してゆく。〈意味が尻餅をつき、無意味が起き上がり、気づけば道化芝居が始まっている〉。言葉によって作り出された虚構のなかで、道化の言葉は真空のごとく無意味に響く。

 「空想とか虚言は子どもの頃から好きでした。意味がないものって自由だし、きれいだし。下心がないですからね。無意味に基礎をおいて、ユーモアを信じて生きていきたい」

 その姿勢が、虚構性の高い作品群へとつながってきた。「リアリズムに関心がなくて。体験をベースに書く気がないし、私小説とかにも興味がない」と話す一方、「ファンタジーや幻想文学を書きたいとはぜんぜん思っていない」とも。

 「カフカも幻想文学だと思って読まないじゃないですか。むしろ、より現実のように読めてしまう。でもそれは、カフカが無意識に漏れてきちゃうものを書いているからであって、現実の何かを仮託して書くぞという姿勢では、ああいうものは絶対に書けない」

 自身が書くときも、作品の寓意(ぐうい)は「読まれてほしいと思いながら、読まれてなるものか」と考える。「読み解かれたら小説はすぐに死んでしまうので。死なないものを書きたいですよ、作者としては。だから、コロナの時代にコロナのことを書くような作家にはなりたくない」(山崎聡)=朝日新聞2021年9月22日掲載