お話を聞いた⼈寿木けい(すずき・けい)エッセイスト・料理家

富山県生まれ。早稲田大学卒業後、出版社に勤務。編集者として働きつつ執筆活動を始める。2010年からツイッターで「きょうの140字ごはん」を発信。新聞やWebなどで食や暮らしに関する連載も持つ。著書に『いつものごはんは、きほんの10品があればいい』(小学館)、『わたしのごちそう365』(河出文庫)など。12月には幻冬舎から随筆集を刊行予定。

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記録することを自分に課したレシピ発信

――そもそも寿木さんにとって料理は身近なものだったんでしょうか?

 そうですね。富山の田舎で生まれて、まわりがみんな農家みたいな感じですから、親とのコミュニケーションの場がすべて台所だったというか(笑)。よくある風景なんですけれど、学校から帰ったら「今日のごはん、なに?」といった会話が当たり前でした。台所には土間があって季節の野菜などがゴロゴロ転がっているような環境でしたね。

 子どものときから台所でいろんなことをしていました。今思えば、当時から記録することや発信することが好きなんですよね。『わたしのごちそう365』にも書きましたけど、小学校の自由研究で卵の殻を割らずに中身を取り出す方法を実験してみたり、カレーを食べた後に体温が何度上がるか測ってみたりしていました(笑)。

 18歳で上京して一人暮らしをしてからは、節約のためによく自炊していました。作った料理を写真に撮って、ノートを作ることもしていましたね。

『土を編む日々』(集英社)より=砺波周平 撮影

――ツイッターの「きょうの140字ごはん」の原点とも言えますね。「きょうの140字ごはん」を始めたきっかけは何だったんでしょう?

 2010年5月から始めたんですが、ツイッターが日本で流行り始めたころなんですね。自分も新しい物好きですから、何かやってみたいなという気持ちがあって、ちょっと面白いことができないかなと考えていたときに、「ジュリー&ジュリア」という映画を見てひらめいたんです。

 主人公のジュリー・パウエルが、料理家ジュリア・チャイルドのレシピを毎日1年間作り続けてブログにアップしていくのが面白いなと思って、私もツイッターで毎日のごはんをアップしていこうと。そのころ、仕事が忙しくて、まったく料理ができず外食ばかりで引け目を感じていたことや、自分自身の人生をつまらないように感じていたところもあって、記録することを自分に課していけば、ちゃんと料理を作るようになるんじゃないかなと、「きょうの140字ごはん」を始めてみました。

――「SNSに載せるから見栄えのいいものを載せなくちゃ」といった気負いのようなものはなかったんでしょうか?

 それが全然なかったんです。冷凍食品のシュウマイとかも載せていましたから。そういうのも全部正直に記録していこうと思っていました。当時はフォロワーも5人くらいしかいなかったし、ツイッターがテキスト中心のプラットフォームだったので、凝った写真を毎食アップするアカウントは少なかったんですよね。

――フォロワー5人から今では12万人です!

 増えるポイントになったのはレシピなんですよね。簡単なのに思いつかないものや、シンプルな材料で想像以上に美味しそうなものができるレシピなど、人が「驚き」を感じたレシピがリツイートされて、私のことを知らなかった人の目にも止まってどんどんフォロワーが増えていく。レシピによってアカウントは成長してきたし、レシピそのものが羽ばたいていったという感覚はあります。

食材には触りすぎないこと

――普段、レシピ作りはどのようにしているんでしょうか?

 ツイッターの方は気ままに思いつきでやっていますね。例えば、先日アップした分厚い煮豚もそう。ああいう、あえてカクカクと切って、かたそうに見えるように並べるのも全部思いつきでやっていることなんです。その日の自分の気分に合わせて思いつきで作って、それをそのまま飾らずにアップしています。

16時のお酒は、厚切り煮豚と和辛子、ビールひと口。豚は塩と胡椒をすり込んで1日置き、水+酒+醤油にねぎと生姜を加えて煮た。深めのフライパンと少ない水分で、ホイルをかぶせてたまにひっくり返しながら煮てある。煮汁を煮詰め、味醂を加えてさらに煮詰めてタレを作る。

— 寿木けい│新刊『土を編む日々』 (@140words_recipe)

――仕事で作るレシピの場合は?

 仕事の場合は、何度も試作を繰り返して、「本当にこれでいいのか」「これで美味しいのか」「みんなが作れるのか」を考えます。そして最終的には、余分なものは全部取っていくんです。

 私が料理家として大事にしていることは、食材には触りすぎないこと。食材って、触れば触るほど新鮮さを失うと思うんです。雑菌など衛生面の条件が悪くなるということもありますし、こねくり回した料理になって粋じゃなくなってしまう気がします。

 ツイッターは何でもありな世界だと思うんですけど、仕事で作るレシピとなると美味しさはもちろん、再現性もありつつ驚きも欲しい。でも、驚きとなるようなエッセンスがやりすぎたもの、こねくり回したものになってはいないかは、すごく注意しています。

――『土を編む日々』のレシピもシンプルなものが多いですよね。今回、野菜をテーマにしたのはなぜですか?

 「野菜」というテーマは編集者からの提案だったのですが、私自身、野菜だけというテーマで書くことに取り組んだことがなかったので、すごく面白そうだなと思って連載(Webメディア「よみタイ」での連載)を始めました。

 それに、現代人の多くは野菜が足りてないと思っている。多くの人が野菜を求めているし、野菜が足りていない不安を抱えていると思うんです。そういう野菜が恋しい思いを連載で表現できたらという気持ちもありました。

私の記憶の中を描写しきれる表現

『土を編む日々』(集英社)より=砺波周平 撮影

――寿木さんの料理エッセイって、じっくりと噛み締めながら読みたい気持ちになります。寿木さんにとって「書く」ことはどんな作業なんでしょうか?

 書くことは、私にとってめちゃくちゃ面白いクリエイティブな活動です。「書く」以前に、まず仕事をすることが大好きなんですよね。

 今、会社勤めもしていて、コピーを考えたりチームメンバーの思いを言葉にしたりする仕事をしています。そうやって人の役に立っていることがうれしいし、もともと何かテーマなり、お題なりに対して、贅肉のない表現を考えることが好きなんですね。それはエッセイでもコピーでもプレスリリースでもやっていることは同じ作業だと思います。誰にどう届けるかを変えて書いているだけで、「書く」という楽しみは同じなんですよね。

 それと同時に、会社の仕事ではそこでしかできない表現があるし、寿木けいとしては寿木けいにしか書けないものがあるとも思っています。書きたいこともいろいろあるので、媒体によって角度や切り口を変えるというのもやっぱり創作活動だと思うし、それ自体も楽しい作業なんですよね。

――『土を編む日々』でも鮮やかな表現がたくさんありました。個人的に好きだったのが、東京の路地の数々を「ひだ」に例えていたところです。どうやってこんな表現が生まれるんでしょう?

 絵として覚えているんですよね。映画のワンシーンみたいに覚えていて、それを描写している感じなんです。絵に音や匂いがついていることもあるので、それを書き起こしていると、「ひだをめくる」といった表現になるんですよね。

都会というのは、こういう店を路地と路地の間に宝物のように隠し持っている。私が東京を好きな理由は、街のいたるところに折りたたまれた選択肢があるからだ。隅から隅まで歩き、ひだをめくって確かめてみたくなる。(『土を編む日々』収録「いたわるワンタン」より)

 これはグルメ雑誌の編集者だった時代の記憶をもとにしていて、当時はまだお店のクチコミ情報サイトもなかったので、自分の足でお店に行って、実際に食べてみては地図を塗りつぶしていたんです。その感覚がこの表現になったという感じです。

 本にするときの校正作業では、言いたいことが書けているか、嘘を書いていないかというのはすごく注意して読んでいます。そのフィルターを通った、私の記憶の中の絵を描写しきれている表現だけが残っているんだと思います。

『土を編む日々』(集英社)より=砺波周平 撮影

料理は「五感のマッサージ」

――寿木さんにとって「書く」ことが創造的な楽しみなのであれば、「料理」はどんなものなんでしょう?

 料理は……、自分を立たせてくれるものですかね。私も料理って面倒くさいなと思うこと、週に何回もあるんですよ。でも、簡単な味噌汁だけでもいいんです。やっぱり自分で選んだ食材を使って作ると、食べ終わった後の満たされた気持ちや家族との「美味しかったね」という会話、そういうものが生じて自分なりのバランスを保てる気がします。

 あと、料理って五感のマッサージなんですよね。忙しすぎて頭だけ疲れて何もできないってときに、料理をして元気になるってこと、多分みんな料理を通して経験していると思うんです。野菜の色がきれいだなと感じたり、香りで嗅覚的に癒されたり。調理しているときの音や野菜をザクザク刻む手の感覚も、そう。そうやって料理を通して五感がマッサージされているような気がするんですよ。これは理屈じゃなくて経験上わかったこと。そう言う意味で、料理は自分を立たせてくれているものですね。

――たしかに料理はいろんな感覚を刺激してくれますね。「料理は五感のマッサージ」という言葉も、料理家であり、書き手でもある寿木さんだからこそ出てきた表現な気がします。今後、料理を通して伝えていきたいことは?

『土を編む日々』(集英社)より=砺波周平 撮影

 料理って、本来はすごく楽しいことです。でも、何かすごいものを作らないといけないという、プライドのような感覚がありますよね。

 最近、ワクチン接種が行き渡ってコロナの状況も少し落ち着いてきたのもあって、ある編集者の方が「今度うちにごはんを食べに来てください」とお声がけしてくれました。すると、その方のパートナーが大したものを作れないからと嫌がったそうなんです。ストレスに感じられたんでしょうね。

 これは「料理」というものを考えるヒントになるなと思いました。料理としてふるまうのは、普段から作っている好きなものや、ふるさとの郷土料理、あるいは好きなお取り寄せだっていいと思うんです。この何かすごいものを作らなきゃいけないっていう感覚って、これまでの料理本や料理メディアにも責任があるような気がしていて、それに対して自分が何かできることがありそうだなとは考えています。

 それとは別に私が役に立てることがあるんじゃないかなというのが、旬との付き合い方。季節を味わう料理って、ものすごく意識が高い人や余裕がある人の楽しみみたいになっていますけど、特別なことって何もしなくていいと思うんです。

スーパーに並んでいる野菜が、手ずから収穫するそれより劣っているとは思わない。台所に立てば、どんなときも、それがそのひとの暮らしに見合った土との絆である。(『土を編む日々』収録「淡い混沌を生きる」より)

 今の季節でいえば、栗ご飯を炊くのが素敵だなと思ったら、冷凍の栗を買ってきてもいい。別にすべて頑張らなくてもいいんです。栗ご飯を作りたいという気持ちを大事にして、そうやって料理を楽しめたらいいなと思います。その人なりの旬との付き合い方をみんなが見つけられるような手助けができたらいいですね。

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