不思議な作だ。本人の記述も借りると、「清野少年との愛を、そのことのあった中学生の時に書き、高等学生の時に書き、大学生の時に書いた」ものを、生前に全集が出るような作家になった五十の歳(とし)に振り返るという内容である。名前こそ変えているが、ほぼ事実として読める。

 旧制中学校で先輩と後輩の二人は、寄宿舎で室長と室員という関係になった。清野は室長を慕い、やがて寝床で手を握り合い、抱擁や接吻(せっぷん)をするようになる。そこまでの関係ではあったが、川端には同性愛の意識も性欲もあった。清野はそれに思い至らないほど純な少年で、川端は「さびしい物足りなさ」も感じつつ、「よごさずにすんだ」のはそのおかげだとして、「お前はなんと美しい人だったろう」と中学卒業後の三十一枚の長い手紙に書いている。もっとも、本書に引用されたその部分だけは送らなかったという。

 寮生活と同性愛にまつわる噂(うわさ)話は世間に数多い。一時期そこに色濃くあった閉鎖的環境で「変」になるといった偏見も、性的マイノリティに関する議論が活発になって薄れつつあるように、社会通念は移ろうものだ。しかし本書を読むと、書くことで自分を深く見つめる人間は、そもそもそうしたものと根本的に隔てられているように思えてならない。清野と同室の頃の日記には、同性愛も含んだ強い性欲に苛(さいな)まれる「この気分を完全に出した作」を早いうちに「書きたい」とある。これが秘めた机上の虚栄でないと言えるのは、先の手紙を清野へ送る前に、川端が三十一枚の作文として高校に提出しているからだ。清野を知る人間がいない場所とはいえ、普通ではない。

 五十の川端も「非常識」だと他人事のように驚いているが、そんなスタンスで過去を振り返る眼差(まなざ)しは、自分も含めた「少年」から歳月以上の距離をとろうとするかのようだ。その遠さを永遠のものとする最後、読者はこの国民的作家の近寄りがたさを目の当たりにするだろう。=朝日新聞2022年5月14日掲載

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 新潮文庫・539円=4刷2万5千部。22年4月刊。「購買層は30〜40代の女性が多く、BL文学ファンから広がっているようだ。川端の意外な一面への驚きもあるのでは」と担当者。