お話を聞いた⼈藤岡陽子(ふじおか・ようこ)
作家

1971年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。新聞社勤務を経て、タンザニア・ダルエスサラーム大学に留学。慈恵看護専門学校卒業。2009年『いつまでも白い羽根』(光文社)でデビュー。著書に『手のひらの音符』『晴れたらいいね』『おしょりん』など。

「獣医さんになりたい」と言い続けた娘

――獣医学をテーマに設定された理由を教えてください。

藤岡 実は私の娘が北海道にある酪農学園大学の獣医学部に所属していまして、大学4年生なんですね。娘は保育園に入る前ぐらいからずっと動物が大好きで、保育園の卒園文集にも「将来の夢は獣医さんになりたい」と書いていましたし、小学校、中学校、高校とまったくブレることなく、「獣医さんになりたい」と言い続けて。勉強は正直あんまりしなかったんですけれども、それでも高校3年生のときは志望校の獣医学部に入るために、今までで一番勉強をして、獣医学部に入ったんです。

 彼女の話を聞いていると、大学の動物実験では動物を犠牲にすることもあるんですよ。死んでいる犬の解剖があったり、生きてるネズミにメスを入れなくてはいけなかったりと、すごく過酷でしんどい勉強がたくさんある。動物が大好きで獣医学部に入った子が、そういう動物を犠牲にするようなしんどい実習をする。娘はどうやって乗り越えていくのかなと思ったときに、獣医学をテーマにした物語を書いてみたいなと思いました。

――主人公の岸本聡里と重なる部分が感じられました。藤岡さんとしても動物は身近な存在だったのですか。

藤岡 そうですね。姉が川で拾ってきたり、弟が友達からもらってきたりして、実家ではずっと犬を飼っていました。でも子どもたちは、かわいがるときだけかわいがる感じで、犬の世話をするのは、全部母だったんです。

 私の両親は、私が成人してから離婚したのですが、 離婚するぐらいなので、ずっと仲が悪かったんですね。あんまりいい雰囲気ではない家庭で、子ども時代を送っていた。でもそこにワンちゃんがいたことで、自分自身は癒されていたなと思うし、何より一番犬と一緒にいた母が一番犬に癒されていたのではないかなと、自分が大人になって思うんです。

 だから、今になって飼ってきた歴代の犬にすごく感謝をしているんですね。ありがとうと言いたいなという気持ちもあって、『リラの花咲くけものみち』という本の中では、犬に対する愛情が深い主人公を作りあげていきました。

動物は本心しかない

――主人公の聡里は犬に救われて獣医師を志すわけですが、藤岡さんのお母様の気持ちがもしかしたら投影されているのかもしれませんね。

藤岡 そうですね。本の中にも書いたんですけど、動物って本心しかないじゃないですか。嘘をついたり、「この人にいいようにしたら、見返りがあるんじゃないかな」などとややこしいことを考えたりしなくて、本心で自分に接してくれる。

 だから、すごく安心できる存在だと思うんですね。苦しい環境にいる主人公にとって、そういう存在が1つあったということが大事だったのではないでしょうか。

――『リラの花咲くけものみち』を書かれるにあたり、娘さんにお話を聞いたり、どこかに見学に行ったりしたのですか?

藤岡 はい。実は私は平成17(2005)年から看護師として働いているのですが、獣医学のことはまったく知識がなくて。娘が獣医学部に入ったときに、獣医学とはどんなものだろうと思って、娘の勉強をのぞいてみたんです。すると、馬、牛、鳥、犬、猫……いろんな動物の解剖生理を覚えなくてはいけないので、看護師の勉強よりはるかに難しいなと思いましたね。

 人間なら大人か子どもか、女性か男性かぐらいの区別しかありませんが、動物は本当にたくさんの種類があって、その全部の骨格や生理を覚えなくてはいけませんし、犬種によって使える薬が違ったりするので、すごく難しい。

 だから獣医学をテーマにした小説を書くには、獣医学生や獣医師の方々に取材しないといけないと思って。当時娘は大学1年生でしたが、大学1年生が分かる獣医学のことなんて知れているので、6年生の獣医学生の方たちを紹介してもらい、直接取材しました。

 大学6年生ならば獣医学の勉強を一通り終えているので、 1年生のときは何をやったか、2年生のときは何をやったか、今までで一番思い出に残る勉強はなにか……。いろいろ細かい話を聞きながら、獣医学生はどういうものなのか、自分の中で知識を身につけていきました。

 牛や馬といった大きな家畜で、食肉として売られていく大動物を専門に見る獣医師がいるのですが、その大動物の獣医師さんの取材をさせてほしいと酪農学園大学さんに頼んだこともあります。すると、夏の間に行われる「NOSAI臨床実習」で大動物の実習ができるので、 そちらで頼んでみてくださいと言われ、農業共済組合に連絡をして交渉をしました。

 コロナ禍だったので、なかなか取材に入ることが難しかったのですが、娘の同行なら許可しますというお返事をいただけたんですね。娘も参加してくれるというので、鹿児島県にある農場に5泊6日で臨床実習に行って、朝8時から夕方5時まで、獣医師さんの後について農場を回って、取材をして……その結果も文章にしました。

獣医学は人間のためのものでもある

――なかなか大変な取材だったのでは?

藤岡 そうですね。コロナ禍だったので、服の上に真っ白なビニールの防護服を着るんですよ。サウナスーツのような暑さで農場を回るので、本当にきつくて・・・・・・。私はまだ取材として、立って書いているだけですが、獣医さんや娘は柵を乗り越えて、300キロもある牛をおさえつけて、注射をしたりしているわけです。

 私自身も大変でしたけれども、その大動物の獣医さんのダイナミックな仕事ぶりをまざまざと見て、本当にずっと胸が熱くなりました。

――この本を書かれて、ご自身の獣医学に対する考え方は変わりましたか?

藤岡 はい。そもそも獣医学というものを全然知らなかったんですけど、この本の執筆を通じて、獣医療と人間の医療はすごく密接しているんだなということを知ることができました。

 本の中にも書いていますが、抗生物質が効かない感染症に対して行う治療法に「ファージセラピー」という治療法があるんです。抗生物質が効かない細菌だけを食べるバクテリオファージを動物たちの体の中に入れて、その細菌を退治させるわけですが、その臨床実験を酪農学園大学が日本で初めて成功させているんですね。

 私も看護師なので、抗生物質が効かない皮膚病や肺炎の患者さんを目の当たりにしてきました。今は日本人の死因の第1位ががんですけども、2050年には薬剤が効かない感染症が1位になるという予想があるほど深刻な問題なんですね。そのときにこのファージセラピーという、今動物実験されている治療が臨床に生きて人間の命を救うかもしれない――。

 その話を聞いたときに、獣医学は動物のためだけではなくて、人間のためのものでもあるんだなと感じたんです。それがこの本を書くなかで、私自身一番学んだことですし、多くの方にも知ってほしいことですね。

 2050年、今から27年後。私はそのとき79歳なんですけど、そのときにファージセラピーが私を助けるかもなんて思うと、夢がありますよね。研究者や学生さんが熱くご自分たちの研究を語ってくださって、懸命に努力されている姿に感動しました。

一歩前に踏み出す物語

――最後にこの本をどんな方に読んで欲しいか教えてください。

藤岡 私は小説家になって15年目。『リラの花咲くけものみち』を入れて19作、本を書いているんですけど、その半分以上が強い性格の主人公。強い人がどんどん道を切り開いていくというような小説を書いてきました。

 この『リラの花咲くけものみち』は家庭環境に恵まれず、つらい幼少時代を送ってきた主人公が一歩前に踏み出す物語。だからどういう方に読んでほしいかなと考えたときに、今、自分が頑張りたくてもなかなか頑張れないとか、一歩前に出られないとか、勇気が出ないとか、そういう思いを抱えた子どもたちにも読んでもらいたい。

 それから主人公を支える祖母のように――祖母は自分の人生をかけて、孫の将来を支えて後押ししていくんですけども、これから未来ある若者たちに対して何かやってあげようという気持ちが私にもあるんです。私と同じ親世代の方にも読んでもらいたいなとも思います。

(司会は「好書好日」副編集長・吉野太一郎)