「ジャニーさんはOKが出るまで永久にやり直し」あの名曲の生みの親・松本隆70歳に

「硝子の少年」に込めた“ジャニーさんの狙い”

 近藤真彦の詞を手がけるにあたっては、王子様的な世界観ではなく汚れたヒーロー像にしようと、1950〜60年代の石原裕次郎の日活映画みたいな世界観をテーマに据えたという(※6)。「スニーカーぶる〜す」については、ジャニー喜多川からミリオンセラーを期待されて起用されただけに、不特定多数に届くよう、わざとコンサバティブなものにして、どんな年齢層にも引っかかるような雰囲気をつくった(※5)。松本はこのロジックを、近藤のジャニーズでの後輩であるKinKi Kidsのデビューシングル「硝子の少年」(1997年)でも用いている。このときは作曲に山下達郎が起用された。その理由を、《KinKiはジャニーズのなかでいちばん音楽性が高い、そう視聴者に思わせるのがジャニーさんの狙いだったんだと思うんです》と、松本は推測する(※5)。

 90年代に入るころには、松本は仕事のペースを落としていた。「上った坂は必ず下る」を信条とし、引きずり降ろされるのをよしとしなかったからだ。だが、70〜80年代とくらべると仕事量は少なくなったとはいえ、オリジナル・ラヴ、中島美嘉、藤井隆、松たか子など、より若いアーティストへの詞の提供はその後も続けている。2000年には、シャンソン歌手のクミコのアルバム『AURA』のプロデュース・全編作詞を手がけ、「大人のラブソング」をめざした。同時期にはまた、現在も継続中のシューベルトの歌曲の日本語訳を始めるなど、新たな挑戦があいつぐ。

 2012年、松本隆は生まれ育った東京を離れ、神戸に移住。今年4月には、神戸市内のライブハウスにて地元ゆかりのアーティストが松本の作品を歌うライブが開催された。「風街」は場所を変えながらも、いまなお彼のなかで、そして彼の歌を愛してやまない人々のあいだで生き続けている。

※1 増田聡『聴衆をつくる――音楽批評の解体文法』(青土社)
※2 内田裕也・鈴木ヒロミツ・大滝詠一・久民・相倉久人「喧論戦シリーズ2『ニューロック』」(『新宿プレイマップ』1970年10月号初出、別冊宝島『1970年大百科 新装大版』宝島社に再録)
※3 「慶應塾生新聞」2019年2月3日(3月30日追記分)
※4 萩原健太『はっぴいえんど伝説』(シンコー・ミュージック)
※5 「現代ビジネス」2018年3月3日
※6 松本隆作詞活動45周年トリビュート『風街であひませう』完全生産限定盤・特典ブックレット(ビクターエンタテインメント)

(近藤 正高)


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