今からちょうど40年前の1980年は、昭和を代表するアイドルが一斉にデビューした年でもあった。今年は彼らにとって40周年となるが、突然のコロナ禍によって、本来なら大いに盛り上がっていたはずのイベントやコンサートは軒並み中止や延期に追い込まれている。そんな状況の今、彼らの当時の人気ぶりを、近況と合わせてチェックしてみた。(取材・文=常田裕/清談社)

時代を変えた松田聖子

 1980年は日本の芸能界にとって大きな節目の年だった。70年代を代表する歌手だった山口百恵が婚約と引退を、ピンク・レディーが解散を発表し、入れ替わるように芸能界に登場したのが松田聖子だった。


松田聖子 ©文藝春秋

 デビュー曲のスマッシュヒットに続き、2曲目の『青い珊瑚礁』が大ヒットしたことで「ポスト百恵」の筆頭に躍り出た聖子の人気はすさまじかった。一方では「ぶりっ子」「歌が下手」といった声も多かったが、アンチの多さは人気のバロメーターというのは今も昔も同じ。若い世代はこぞって「聖子ちゃんカット」を真似するなど、その人気は社会現象と呼べるほどのものとなった。

 その後の活躍は御存じの通り。財津和夫、松任谷由実、大瀧詠一、細野晴臣、尾崎亜美、佐野元春といったミュージシャンたちが提供する曲を歌いこなし、作詞の松本隆が作る世界観と相まって数々の名曲を生み出した。

「70年代の芸能界は歌手が絶対的な主役で、ミュージシャンは裏方という分業制が主流でした。そんなタイミングで出てきたのがシンガーソングライターたちで、80年代は彼らの才能が歌謡界を盛り上げましたが、そのど真ん中で彼らの曲をヒットさせた松田聖子が果たした役割は大きかったといえるでしょう」(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二氏)

 私生活でも、結婚・引退という生き方を選んだ百恵に対し、聖子はスキャンダルすら糧にして結婚、出産、離婚、再婚と、自立した一人の女性としての生き方を貫いた。その「松田聖子的生き方」は同性から憧れや共感を集め、今なお多くのファンを獲得している。コンサートのチケットは現在も入手困難で、一席5万円超のディナーショーの開催回数も日本一だ。ただ、今年はコロナ禍によって全国7カ所10万人の動員を見込んでいた夏のコンサートツアーやディナーショーも全公演が延期されており、その損失は5億円ともいわれる。

「『夏の扉』『白いパラソル』などの財津和夫による新曲も収録した40周年記念アルバムの発売に合わせてテレビ露出を増やしていました。ファンクラブ限定のオンライントークショーや、デビュー以来初となる有料ライブ配信も行っています。確かに痛手ではあるでしょうが、根強いファンがいますから心配はないでしょう」(渡邉氏)