一番邪魔で余計なのは自分の存在である。それを忘却の彼方に追いやる最良の方法は傍観者として自慰に耽ることだ。その中でも、一人称視点に自分を代入させられるネタ(ハメ撮りやエロゲーなど)よりも、三人称視点の方が好ましい。

 身体障害を意識せずに生の実感を得られるのは至上の喜びである。私にとって性のリアリティとは縮れたティッシュの中にこそ宿るものだ。白い花の如き姿は美を湛えており、まさに真のアール・ブリュット、生の芸術と言える。

性サービスの権利を要求する運動も、心に響かなかった

 そんな訳で、結構な割合の男性障害者が聞こえよがしに語る性風俗店での武勇伝には全く心が動かない。筆者にあるのは、車椅子で飛田新地を通った時に、一緒にいたヘルパーにばかり声がかかり、徹底して黙殺された経験くらいだ。悲しくはあったが「それもそうか」と妙に納得する気持ちもあった。世界の全地点がバリアフリーである必要は無いか、と思い直しおとなしく去った。

 性風俗店を利用する権利は、男性障害者を中心に根強く要求され続けてきたものだが、個人的にはあまり共感できない。男根主義的な言動で健常者との対等性を示そうとしているようにも見えてしまい、かえって両者の違いを残酷なまでに際立たせるだけだと感じる(注)。

 しかし池田氏から伝わるのは、その種のイタい自意識よりも「全く病気のことは忘れてた」と言うほど純粋にセックスを楽しんでいる様子だ。いくら好きなことであっても、それを「死が迫る中でも一番やりたいことだ」と断言できる人はそう多くないだろう。生半可なポーズではなく、彼は本当に並外れたセックス好きなのだ。

 そんな彼の姿を見続けるからこそ、「思う存分セックスしてもなお、彼が満たされないとしたら、それは何故か?」という問いが自ずと浮かんでくる。本作はハメ撮りを助走にして普遍へと飛び立つ。前半で性欲の強度を示すことにより、後半の主題を俄然説得的かつスムーズに展開できるのだ。

 自分の身体特性から「異性として見られるのはハードルが高い」と感じてきた池田氏は、恋愛経験もほぼ無く、愛とは何かがよく分からない。それを分かろうともがく営みが本作の主題である。

注……ただしこれはあくまで概観に過ぎない。自力で自慰を行えるか否かなど事情は一人ひとり異なり、それによって性サービスを必要とする切実さも変わってくることを付記しておく。