運命の“第8局” 恐怖心を克服したボクサーのように、豊島将之のストレートが伸びる から続く

 スッと永瀬拓矢の手が伸びた。盤上に新たな駒が置かれる。△2六角。予想には上がっていなかった手だ。マス目から波紋が広がり、盤上の景色が変わっていく。

 今度は豊島将之が考慮に沈む。マスクを外した。時刻は14時を回る。中座して、手洗いへと向かった。歩みながら天井を見て、フーッと息を吐く。


豊島将之竜王(写真右、先手)が永瀬拓矢叡王(写真左、後手)を攻める展開となった

プロ棋士は、局面のおおよその正解手は瞬時に見抜く

豊島「筋としてはその手もあると思っていましたが、あまり深く考えていなかったです。△4四歩のような手を狙っていると思っていました。(△2六角に対して)▲6八玉と逃げたときに、どう指されるのかわからなかったというか。そんな感じで考えていました」

 以前、豊島に取材した時に「考えて指すようになったのは奨励会に入ってから」と聞いた。9歳でアマ六段になるまで、直感で指していたことになる。プロ棋士は、局面のおおよその正解手は瞬時に見抜く。考慮は直感の裏付けと、互いの駆け引きを探る時間だ。

 動き出した局面は、互いに飛車角を切り合う展開となり、一気に終盤へと向かう。16時を回った。観戦しているだけでも、疲労を感じてくる。12時間以上も盤に向き合う棋士の体力は相当なものだ。

 永瀬が再び長考に沈んでいる。俯き、時々顔を上げると左斜め上を見上げる。そして席を立った。座っていた座布団に木漏れ日が差している。木々の葉の影が将棋盤の側面に揺らいだ。

 永瀬が戻って座ると、腰から下が西日に照らされた。運営スタッフが「眩しかったら雨戸を閉めに行こうと思うのですが、まだ先生が何もおっしゃらないので」と話す。その少し後、永瀬は記録係りに棋譜を求めた。

「あとは快心の右ストレートが入るか」

 対局中、棋士はなぜ棋譜を確認するのだろう。進行は全て記憶しているはずである。立会人の先崎もよく棋譜を見るという。

「癖みたいなものじゃないですかね。リズムというか。そんなに深く考えていないですよ」

 棋士によって違いはあるようだ。以前、木村一基九段に聞いたときには「相手がどこで時間を使ったかをみる」と答えていた。どこまでが研究の範囲だったかがわかるという。

 西日が部屋の奥まで届くようになった。

 将棋のタイトル戦は、季節とともに移る。

 叡王戦は本来なら春から初夏にかけての棋戦だ。今年は開催時期が遅くなり、持将棋を2局挟んで9月にまで及んでいる。

 秋の陽が、叡王の頬を照らした。スタッフが雨戸を閉めに行く。廊下にカメラが設置されているので、障子は閉められないのだ。

 17時20分、記者が先崎に終局の予想時間を尋ねた。すると先崎はファイティングポーズをとり、ジャブを繰り出す。

「組手では(豊島が)圧倒しているんですよ。あとは快心の右ストレートが入るか。終局は20時半から21時。もつれると22時」

豊島「(自分が)▲2六角と打ったところは感触はよかったんですけど、どういう風に指してこられるかわからなかったので確信はありませんでした。その後に▲1二金と打ったあたりは良いのかなと思いました」