12人の殺害容疑で死刑判決を受けた高名な画家…どうして彼は39年も刑が執行されなかったのか から続く

事件から32年…はじまった「洗い直し取材」

 私が、所属していた共同通信社会部の帝銀事件洗い直し取材チームに参加したのは、事件から32年後、いまから41年前の1980年春。リーダーは下山事件や教育問題の取材で知られた「シゲさん」こと斎藤茂男氏で、メンバーは10人ほどだった。


筆者が関わった平沢元死刑囚死亡直後の企画記事(信濃毎日新聞)

 プロジェクトは、法務・検察に強いシゲさんが、中央更生保護審査会のメンバーの1人から「平沢が恩赦になるかもしれない」という情報を聞き込んだのがきっかけ。釈放時の企画などに使うつもりだったのだろう。洗い直しの「柱」は

1、事件捜査を担当した警視庁捜査一課係長の甲斐文助・警部が私的につけていた「甲斐メモ」

2、平塚八兵衛・元警視の捜査記録

3、ある歯科医師を真犯人とする「異説」

 の3つだった。

 甲斐メモは、本人は既に死亡していたが、社会部の先輩が生前借り出していた。わら半紙に鉛筆で書かれたおそろしく読みづらいのを、シゲさんが、「稲葉氏」という帝銀事件研究家に預け、彼が何年かかけて“解読”したものが持ち込まれた。

 平塚元警視の記録は、和紙をのりでつないで巻物のようにしてあった。「刑事一代」は、著者が平塚元警視から、最大の手柄とされる「吉展ちゃん誘拐事件」の推移について、容疑者や関係者の証言を「分刻みの時系列で細かく書き込んだ縦1メートル、横10メートル以上もある“巻物”を見せてもらったことがある」と書いているから、事件ごとに同じようなものを作っていたのだろう。

 異説は、まず東京・世田谷に住む実在の歯科医師を真犯人と「特定」。そこから事件を解明する推理物語で、「稲葉氏」が同志の女性私立探偵と一緒に長年追い続けた「ネタ」だった。