7月23日の東京オリンピック開会式では、バッハIOC会長らの挨拶が続くなか、天皇陛下の開会宣言が「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」という簡潔な内容だったことがSNSで話題を呼んだ。だが、その隣に雅子さまのお姿はなかった。1964年東京五輪、1998年長野五輪には、開会式に両陛下で臨まれている。

 天皇陛下の即位後、『ニューヨーク・タイムズ』がトランプ・アメリカ大統領夫妻(当時)の訪日時に「皇后雅子にスポットライトが当たった」(2019年5月27日)という記事を掲載するなど、国際舞台で雅子さまのキャリアを生かしたご活躍への期待は高まった。その不在の意味、天皇とオリンピックの関係について、象徴天皇制を研究する河西秀哉氏(名古屋大学大学院人文学研究科准教授)が論考する。


オリンピック開会式にお一人で出席された天皇陛下  ©JMPA

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「祝い」は天皇批判に繋がる危険性

 東京オリンピックの開会式における天皇の開会宣言は、大きな注目を浴びた。オリンピック憲章の第5章「オリンピック競技大会」55「開会式と閉会式」という規程のその3には、開会宣言の文言が基本的には一字一句決まっており、「わたしは、第 ...... (オリンピアードの番号) 回近代オリンピアードを祝い、...... (開催地名)オリンピック競技大会の開会を宣言します。」と述べるようにと書かれている。ところが天皇は、「祝い」ではなく、「記念する」と述べた。そして翌日の朝刊各紙はこれを大きく取りあげた。

 オリンピック憲章では、開会式を政治的に利用させないようにする意図から、開会宣言は定型文を述べるように規定されている。では、天皇はこの定型文を逸脱したのか。実はそうではない。この部分の英文での規程では“I declare open the Games of … (name of the host) celebrating the … (number of the Olympiad) … Olympiad of the modern era.”となっている。この「celebrating」という言葉を「祝い」と訳するのではなく、「記念する」としたのである。先程書いた一字一句決まっていた開会宣言の日本語訳は日本オリンピック委員会(JOC)がしたものであり、実はオリンピック憲章が記載された冊子をよく読むと、「英文が原本となります。本憲章の英文と和文に差異がある場合には、英文が優先されます。」との注記がある。つまり、ここを利用した。和文では「記念する」ではあるが、同時に発表した英文では憲章を一字一句変えておらず、ここで憲章の規程を守ったことになる。

 開会直前でも、新型コロナウイルスの感染拡大状況を受け、オリンピック開催反対の世論の声は大きかった。反対論が多いなかで、「祝い」と述べれば一方に荷担することになり、天皇への批判に繋がってしまう危険性もあった。特に平成以後、天皇はより国民を意識した行動を取ってきた。「国民と苦楽を共にする」という精神からなされた被災地訪問はその代表例で、これによって象徴天皇の存在はより道徳性を帯び、国民からの親しみ、そして尊敬の念を集め、それが令和へと引き継がれてきた。だからこそ、天皇は「祝い」とは言えなかったのである。