恋といえば結婚をしてからするもの

 日本の歴史上、天皇家に生まれた女性たちは、政争の対象として差し出される時代が長く続いてきました。力のある武家、あるいは貴族の家に降嫁されることで、天皇家の血筋を絶やさず藩屏となることを期待されたのです。そこに恋愛感情の入る余地などありませんでした。

 恋といえば、結婚をしてからするものであって、それも巡り合わせがよければという話です。

 明治天皇の后であった昭憲皇太后は年下の夫の身体を案じつつ、先頭に立って社会事業の振興に尽くされました。大正天皇の后である貞明皇后も病弱だった夫に代わり、元老や重臣たちと直接話しあうことがあったと言います。お二人は恋愛結婚とは縁がなかったわけですが、それは皇室に嫁いだものとしては当たり前のことでした。

 上皇、上皇后両陛下のご結婚は「テニスコートの恋」と騒がれました。しかし当時の宇佐美毅宮内庁長官が国会で発言しているように、一般国民のように恋人としての交際期間があって結婚に至ったものではなく、お二人が自由に会う機会があったわけでもない。一般的な恋愛結婚とはかなりイメージの異なるものです。でもそれは大きな義務を負った皇太子(当時)としては当たり前のことなのです。

側近は皇族の恋愛リスクに鈍感であった

 女性皇族の“恋愛結婚”が最初にクローズアップされたのは、昭和天皇と香淳皇后の第五皇女・清宮貴子さまの結婚のほうでした。

「おスタちゃん」の愛称で親しまれた彼女は、学習院大学在学中の1960年、銀行員であった旧薩摩藩主の一族・島津久永氏と結婚を発表します。婚約発表前に会見で、記者から好きなタイプを問われ、「私が選んだ人を見ていただきたい」と答えたことが話題になり、当時の流行語となりました。お見合いだったとはいえ交際期間は2カ月。「皇室も恋愛結婚の時代なのだ」と、多くの国民が認識したご結婚でした。

 島津貴子さんは恋愛結婚や自由の象徴として若者から人気を集め、社会現象を巻き起こしました。新婚旅行で宮崎県を訪れたことで、同県は観光地として有名になり、また結婚後も二人の新居に野次馬が詰めかけるほどのブームとなったのです。その後も、民間企業へ就職したり、大阪万博中継番組で司会をしたりと、彼女は話題を振りまき続け、メディアもその姿を追いかけました。

 おスタちゃんブーム以降、恋愛結婚が話題になったのは秋篠宮殿下と紀子さまのご結婚だけです。天皇陛下と雅子さま、黒田清子さん、高円宮家の女王さま方のご結婚もありましたが、いわゆる恋愛結婚ではありませんでした。

 眞子さまと小室氏の結婚は、島津貴子さん以来、およそ60年ぶりの女性皇族の恋愛結婚となるはずだったわけです。それゆえ大きな注目を集めたわけですが、国民のほうも、そして宮内庁の側近たちも、皇族の恋愛リスクには鈍感であったと言えるのではないでしょうか。