「智恵子も頭がおかしくなりよるんじゃないか」

 ここで松永は、緒方に向け、改めて自身の言葉に忖度をするよう投げかける発言を繰り返す。

〈しばらくすると、松永は、しばしば智恵子が指示を取り違えることを殊更誇張して取り上げ、「智恵子も頭がおかしくなりよるんじゃないか。和美みたいになったらどうするんだ。」などと言うようになった。これを聞いて、緒方は、松永が、和美同様、智恵子を殺すつもりであることを知った。しかし、緒方は、さりとて、松永の真意に気付いたことを松永に気取られれば、和美の時のように、「やるならすぐにやれ。」と言われるであろうと警戒し、意図的に松永の言葉を聞き流していた〉

 この時期、決して松永には反論できない緒方なりに、真意を理解していないふりをすることで、殺害実行の引き延ばしを図っていたのである。だが、それにも限度があった。

〈2月9日の夕方ころ、「東篠崎マンション」の浴室で、智恵子と花奈が口論をした。智恵子は、いつになく苛立ちを見せており、その様子を見て、松永は、「智恵子はやっぱり頭がおかしい。」と断定した。

 

 2月9日の午後11時ころ、松永は、緒方に目配せしながら、「向こうに移る。向こうに移るということは、どういうことか分かるだろう。」と言い、さらに、松永や子供の着替えなど、当面の「片野マンション」での生活に必要な物を準備するよう指示した。松永が述べた「向こう」とは、当時被告人両名(松永と緒方)のもう一つの拠点であった「片野マンション」を意味したが、この時の松永の口調は持って回ったものであったことから、緒方は、これまで「片野マンション」で由紀夫、孝、和美を殺害しては解体してきたこととも考え合わせ、松永の真意は、「片野マンション」に移動して智恵子を殺し、智恵子の死体を解体するという意味であると理解した〉

「智恵ちゃんは、風呂場で寝とっていいよ」

 やがて、2月10日の午前0時前後頃になって、呼び出した隆也の運転する車で、「東篠崎マンション」にいた全員が「片野マンション」に移動した。

〈「片野マンション」に到着した際、隆也は車を付近の駐車場に停めに行ったが、それ以外の者は、他人に見かけられないようにするため、一斉に「片野マンション」の室内に入った。到着直後、松永は、智恵子に、いつになく優しい口調で、「智恵ちゃんは、風呂場で寝とっていいよ。」などと浴室で寝るように指示した。智恵子は、これに従った。

 

 それから10分ほど経って、隆也が「片野マンション」に到着した。松永は、「片野マンション」の台所で、緒方らに向かって、「俺は今から寝る。緒方家で話し合いをして結論を出しておけ。」などと命令し、緒方、隆也、花奈を、洗面所に追い立てた上で、「起きるまでに終わっておけよ。」と言い置くと、台所側から洗面所のドアを閉めた〉

 殺害に一切関与するつもりのない松永は、こうしてふたたび実行の決断を、緒方らに丸投げしたのだった。

( 第72回 へ続く)

松永太の意向を忖度し…夫が首を絞め、10歳の娘が足を押さえ、姉がつま先に手を添えた へ続く

(小野 一光)