〈 《性被害の4年後、犯人と再び遭遇》41歳男性が告発 小学3年の夏休みに近所の公衆トイレで… 〉から続く

父親による姉弟への悪魔のような性虐待と精神支配の末、弟は自ら命を絶った。亡くなった弟のため、そして自分のために立ち上がった塚原たえさん(51)は実名告発を決心。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏が徹底取材した。

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「和寛は死んでも構わない」

 2021年10月。塚原たえ(51)は、知人にいない「中村」姓の人物からの手紙を受け取った。相手の住所にも見覚えがない。

 封を開けると、1枚の便箋が出てきた。

 前略

 元気でいる事と思います

 私も終活の年となり子供の相続意志確認したく

 連絡をとりたいと思います

 人でなしの親のせいで貧乏し皆気が狂ってしまいました

 皆深い傷を負いました よく生きていてくれたと思います

 20年以上連絡を絶ってきた実の父親(73)からだった。なぜ今の住所がわかったのか。混乱、恐怖、怒り……体の震えが止まらなくなった。

 翌年1月、たえは体調の落ち着いた日を選んで、便箋にあった番号へ電話をかけた。相続放棄の意向を伝えるため、そして弟の和寛(仮名)のことで重大な報告があった。

 電話口で、たえは声に動揺を出さないようにしながら伝えた。

「和寛は、自殺したよ」

 父親は、息子の死にまったくうろたえず、あっさり言った。

「和寛は死んでも構わないけど、たえちゃんが死ぬのは嫌だよ」

 この電話からおよそ2年が経つ今、たえは振り返って目を赤くする。


父親からの手紙 ©文藝春秋

「和寛は死んでも構わない、という一言で、これまで隠してきた性虐待を明るみに出そうという気持ちに火がつきました。父親にとって、子どもたちはあくまで性の道具でしかない。あんたのせいで死んだんだよと……。私と同じ境遇で同じように苦しんだ弟が生きた証を残したいし、弟の代弁をできるとしたら私だけだと思っています」

 たえの手元に、和寛の写真はわずかにしか残されていない。

「これは私が2歳、弟が1歳くらいですかね。いつも裸で撮られていて、寝ているところも多い。父親はこの頃からそういう対象として見ていたのかなと思います」

 和寛はたえの1学年下だが、正確にいうと11カ月しか差がない。母親の産褥期が明けるかどうかという時期でも父親が性行為を強いたのだろう、とたえは見ている。

初めて性虐待を受けたのは9歳の時

 姉弟は山口県内で生まれ育ったが、たえには小学3年生以前の記憶があまりない。父親は長距離トラックの運転手をしていたが、その時期に仕事を辞めて家にいるようになり、母親が家計を担うようになった。

 初めてたえが性虐待を受けたのはこの頃、9歳の時だ。父親から指や異物を膣に入れられるようになった。