〈 「もっと、ねぇお願い」ラジオでベッドシーンを生中継、俳優の演技がエスカレートして…久米宏(79)がTBS時代に犯した“大失敗” 〉から続く

『ぴったしカン・カン』『ザ・ベストテン』(ともにTBS系)、『ニュースステーション』(テレビ朝日系)など、数々の伝説的な番組を担当したフリーアナウンサーの久米宏さん(79)。テレビ業界の常識や前提を覆し、革新的な手法で番組を作り上げていった久米さんはしばしば、“テレビを変えた男”と称される。いったい彼は、どのように番組作りに携わり、名番組を生み出していたのだろうか?

 ここでは、久米さんの自叙伝『 久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった 』(朝日文庫)より一部を抜粋してお届けする。(全4回の4回目/ 1回目 から読む)


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『ザ・ベストテン』はノンフィクションの歌番組

 それまで歌の番組と言えば、前田武彦さん、芳村真理さんの司会で1968年に始まったフジテレビの『夜のヒットスタジオ』の人気が定着していた。毎週変わる芳村さんの華やかなファッション、芳村さんと男性パートナー(前田さんから三波伸介さん、井上順さん、古舘伊知郎さん、と代わる)との軽妙なやりとり、スモークや照明の演出が評判だった。

『ザ・ベストテン』が従来の歌番組と違ったのは、まずランキングの公正さにこだわった点だった。それまでもランキング形式の歌番組はラジオにもテレビにもあまたあったものの、その違いは決定的だった。

 黒柳さんは司会を引き受けるに当たり、「番組の演出で順位の操作は絶対しないでください」と申し入れ、「もし順位を動かすようなことがあったら番組を降ります」とまで宣言した。その尻馬に乗って「僕もそうします」と言い添えた。

 黒柳さんの強い意志にスタッフも応え、レコードの売り上げだけではなく、視聴者のリクエストはがき枚数、有線放送のリクエスト回数、ラジオ各局のランキングを集計した数値を打ち込むと自動的に10曲の順位が出るシステムをつくった。

 つまり、それまではいわばフィクションだった歌番組をノンフィクションの歌番組にする。それが黒柳さんと僕、スタッフの共通した思いだった。

 1970年代の歌謡界は、カラーテレビの普及に伴って「聴く音楽」から「見る音楽」へと移行して、歌謡曲の黄金時代が到来していた。

 南沙織さん、小柳ルミ子さん、天地真理さんたちアイドル歌手、「花の中三トリオ」の森昌子さん、桜田淳子さん、山口百恵さん、「新御三家」と呼ばれた西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんたちが次々とヒットを飛ばした。70年代後半からはピンク・レディーが一大旋風を巻き起こし、「ペッパー警部」「UFO」「サウスポー」と記録的な大ヒットを連発した。このとき歌謡界とテレビは、最高の蜜月関係にあったと言ってもいいだろう。