日本の高齢化率(日本の総人口に占める高齢者の割合)は28.8%。誰もが介護と無縁ではいられない社会になっているといっても過言ではない。もしも、家族に介護が必要となったとき、あなたならどうするか……。

 ここでは、認知症介護施設で働く畑江ちか子氏の著書『 気がつけば認知症介護の沼にいた。 』(古書みつけ)の一部を抜粋。同氏の職場で施設長を務める森田さんが直面した、肉親を介護する難しさについて紹介する。

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突然泣き出した上司

 その日、出勤してきた森田さんに挨拶をすると無視された。表情もムスッとしている。返事くらいしろよと思ったが、腹でも痛いのかなと私はさほど気にしなかった。

 休憩時間、彼女は喫煙所でタバコを吸っていた。相変わらず機嫌が悪そうな顔だ。私は、「お疲れさまで〜す……」と声をかけ、自分のタバコに火を点けた。

 いつもなら、「お疲れさま!」と返事をしてくれるのに、このときの森田さんはうっすらうなずくだけ。

 さすがにおかしいなと思ったので、「どうかしたんですか?」と尋ねてみた。

「何が?」

「何がって……朝からずっと具合悪そうにしてるじゃないですか」

 しばらくの沈黙。

 頭上を行く飛行機の音が聞こえる。長い休みをとって、のんびり海外旅行にでも行きたかったが、この職場にいる以上、それは無理そうだ――そんなことを考えていると、鼻をすする音が聞こえた。

 森田さんは、泣いていた。

「えっ!? どうしたんですか!? すみません、私、何か変なこと言っちゃいました!?」

 うううっ……と、彼女はそのまま声を上げて泣き続けた。

 私は新しいタバコに火を点けることも、立ち去ることもできずに、ただ森田さんが落ち着くのを待つしかなかった。

 森田さんは独身で、実家で自分の両親と一緒に暮らしている。食事の用意や掃除、洗濯などの家事は全て母親がやってくれていたのだが、半年ほど前から認知症の症状が見られ始めたのだという。

「昨日、母親をお風呂に入れてるとき、バカ! って怒鳴られて、シャワーでお湯をかけられて……。私、カッとなってほっぺを叩いちゃっ……」

 最後まで言い終えることができず、森田さんは嗚咽をもらした。


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「利用者さんにはこんなことしたことないのに……私、今までずっと介護の仕事をしてきたのに……それなのに……」

 なんと言葉をかけたらいいのか、わからなかった。けれど、やはり認知症、親の介護といったお題は、私が実感している以上に身近なものなのだと、改めて痛感させられた。このときの森田さんの姿は、数年後の自分かもしれないのだ。

 森田さんは、自身が介護士であること、母親の認知症がそれほど重度でないことから、施設に入れるとは考えていなかったらしい。自分の経験があれば、母親ひとりくらいの面倒は見ていける……そう思っていたのだそうだ。