「てめえ、この野郎」「警察呼べ! 警察!」新聞社のカメラマンが負傷した千代大海と露鵬の“場外大乱闘”《睨み合う緊迫の土俵入り写真》 から続く

 八百長、賭博、かわいがり、裏社会とのつながり……。元関脇・貴闘力が角界のタブーに切り込んだ書籍『 大相撲土俵裏―八百長、野球賭博、裏社会…相撲界の闇をぶっちゃける 』(彩図社)が発売より好評を博している。

 15歳で元大関・貴ノ花の藤島部屋に入門し関脇まで上り詰めるも、2002年9月場所で現役を引退。自身も現役時代に賭博に手を染めた経験がある貴闘力が10年の沈黙を破って明かした相撲界の悪しき風習。その告発の一部を抜粋し、転載する(転載にあたり一部編集しています。年齢・肩書等は取材当時のまま)。

(全6回の6回目)

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若貴兄弟は入門前からとにかく強かった

 1988年3月、私が入門して5年経った頃に若貴兄弟が藤島部屋に入門してきた。

 その3カ月ほど前、一足先に勝と光司が稽古場に降りて来て序の口の力士と相撲を取ったのだが、入門前だったにもかかわらず序の口の力士を一蹴した。続いて序二段、三段目も歯が立たず、ついには私の同級生である悟道力(ごどうりき)までも羽目板まで叩きつけられたのだった。


若乃花(右)と貴乃花が揃って角界入り。初げいこの様子 ©時事通信社

 光司は15歳で握力95キロ。2人とも入門前からとにかく強かったので三段目ぐらいでは歯が立たないのは当たり前だ。私はその頃、幕下上位だったのでさすがに対戦することはなかったが、おそらく負けてはいないと思う。若貴の怪我のリスクも考えて、親方が対戦を避けたのだろう。

若貴角界入りで変わった「藤島部屋のルール」

 若貴が入った時、部屋の方針が変わった。それまでは新弟子が言うこと聞かなければ殴られるような時代だったが、親方としては自分の息子が入門したことで公平性を期すことにしたのだろう。弟子たちを集合させて、「明日から電話番もちゃんこ番も掃除も洗濯も自分らでやれ」と言ったのだ。幕下もみんな一緒で、自分たちのことは自分でやるというルールに変わった。ここで変わることができたのはよかったと思う。

 ほかにも若貴の入門は私たちにとって良いことがあった。部屋に洗濯機とクーラーが設置されたのである。部屋の環境が整うことで、その後、関取衆がどんどん誕生していく。

 入門から5年も経って、今さら「全部自分でやれ」と言われてふてくされたやつもいたが、それでも身の回りのことを全部自分でやっていったことで、その先の人生でどこの世界に行っても通用するようになるのだから親方の方針は間違っていなかった。藤島部屋は雑用係がいなくなり、全員が人としても強くなった。

 光司は特別扱いされたくないという感じだったが、勝は正直に「されたいです」と言っていたそうだ。勝に言ったことは親方とおかみさんに筒抜けになることも日常茶飯事だった。