昨年11月1日、都内のブラジル料理店。日本代表監督・森保一(54)の激励会を主催した、1993年“ドーハの悲劇”の戦友・武田修宏が明かす。

 

「あの時期は、さすがにポイチ(森保監督の愛称)も落ち込んでいるんじゃないかと思ってね。メシに誘った後、三浦知良さんとラモス瑠偉さんに声をかけたら2人ともサプライズで駆け付けてくれたよ」

 W杯アジア最終予選で成績の振るわない森保ジャパンには監督解任論も渦巻いた。武田らドーハ組の激励を受けた森保はそこからチームを立て直し、W杯の出場切符を手にするのだった。

 野球少年だった森保がサッカーを始めたのは、小5の時。地元・長崎市の深堀中学校にはサッカー部がなく、隣町の中学校の部活に参加した。だが、森保はそこでスパイクを隠されるなどの“イジメ”に遭う。

「もう練習に行かない」

 心の折れかけた森保を救ったのが、父・洋記氏ら大人たちだった。深堀中学校に掛け合い、サッカー部の創設に漕ぎ着けたのだ。

 長崎市で立ち飲み屋「ぽいち」を経営する樋口紀彦氏は、森保と小中高を共に過ごした1つ下の幼馴染。当時を回想する。

「当初は中学校の校庭が使えなかったので、一くんのお父さんたちが、近くの工場の駐車場に練習する場所を作ってくれたんです」

 砂利だらけのピッチ。それが森保の原点。