段丘の上の、つまりは高台の上にお城を中心とした街が生まれて広がった。そんな山間の旧城下町・宿場町に明治に入ると鉄道がやってきた。

 鉄道はできるだけ高低差を避けるし、市街地に通すと用地買収の手間もかかる。そのため、少し市街地から外れた高台の下、川のほとりに駅ができた。そして山越えを控える鉄道の要衝となって“鉄道の街”となったのである。

「世界の亀山モデル」を生んだ“交通の街”

 もちろん、亀山の街が旧城下町・宿場街であるだけの鉄道の街だったわけではない。山裾の地形は茶の栽培に適し、古くからお茶の生産が盛んだった。

 明治時代に入ると国家産業でもあった養蚕業が隆盛、次いでローソクのような特産品も生まれた。いまは本社を大阪に移してしまったが、誰もが知っているカメヤマローソクは、亀山発祥である。

 さらに、戦後になると相次いで高速道路がやってくる。名阪国道や東名阪自動車道、伊勢自動車道などが通り、2008年には新名神高速道路も開通した。その裏では関西本線のローカル線化という鉄道の凋落もあるにはあったが、いずれにしても亀山は、東海道の宿場街にはじまって鉄道の要衝となり、そしていまではいくつもの高速道路が交わる道路交通の要衝へ移り変わった、“交通の街”なのだ。

 そうした交通の便の良さが、シャープをはじめとする工場の進出にも繋がった。鈴鹿山脈越えを目前に控えるという立地条件がゆえに交通網が発達し、それが新たな産業を生んだ。そうして「世界の亀山モデル」が誕生した。

 いま、シャープの亀山工場ではもちろん「世界の亀山モデル」は生産されていないが、スマホの(というかiPhoneの)ディスプレイを生産する一大拠点だ。「世界の亀山モデル」が消えたいまでも、私たちの生活の中に確かに亀山は入り込んでいる。

 亀山駅という東海地方の端っこの終着駅は、そうしたハイテク技術とはすっかり無縁にみえる。確かに、古い駅舎を大事に使い、古くからの市街地からもシャープをはじめとする工場からも距離があり、かつてあった大機関区も失われている。しかし、東海道の宿場街からいまに至るまで、“交通の街”として発展する亀山に、確かに亀山駅と鉄道は大きな足跡を残しているのである。

写真=鼠入昌史

「交通ICカードが使えない問題」を解決する「実はスゴいやつ」…“境目の駅”「亀山」で見たバスみたいな“移動改札”とは? へ続く

(鼠入 昌史)