《コロナ禍の北朝鮮》脱北者が証言する実態「布団から南京虫がブワーッ」「誰も帰らぬ完全統制区域へ粛清も」 から続く

  1960年、在日コリアン2世の川崎栄子さん(79)は、 17歳の時 に“地上の楽園”という喧伝を信じ、1人で北朝鮮へと渡った。戦後の貧しい日本で生活していた在日コリアンにとって、「税金はなく、教育も医療も家も無料同然。居住地や学問も自由。民主主義や自由は全て守られている」という喧伝文句は希望の光だった。

 しかし、いざ北朝鮮へと渡ると、そこは「歴史が数百年遡った」かのような、楽園とは程遠い環境だったという。そんな中、川崎さんは現地で出会った夫との間にできた5人の子供を育てるなど、貧しいながらも必死に生きた。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む)


北朝鮮の村 ©️getty

帰国者仲間とこっそり歌った「演歌」

「監視の目が厳しかったのでいつ粛清されるか、常に不安でした。そんななか、帰国者の仲間が心の支えでした。8人ぐらいのグループで、夫であろうとなんだろうと、そこには地元の人は入れない。誰かの誕生日にはみんなで食事を持ち寄って、日本でいう町内会長に一部を“賄賂”としてあげるんです。大目に見てねというサインです。

 家の窓を全部毛布で覆って外から見えないようにして、日本の歌を歌ったり踊ったりしました。私は美空ひばりの『越後獅子の唄』が十八番でね。千葉大出身の医者の友達は、アルミニウムのお盆で日本舞踊を踊っていました。そういう息抜きがないと本当に生きていけなかった。グループの人たちは、ほとんどもう亡くなってしまっています」

北朝鮮を襲った深刻な食糧危機

 そうしてなんとか北朝鮮で根を張り生活基盤を確立していた1994年ごろ、北朝鮮は大飢饉ともいえる深刻な食糧危機に見舞われる。

「配給が完全にストップしてしまいました。それまでも食糧難はあったけど、金日成時代は、彼が中国にいって援助にこぎつけて、滞ることはあっても何とか配給自体は続けていました。しかし、金日成が死に、金正日はまったく国民に目を向けなかった。軍事費を少し減らせばいいだけなのにそれをしなかったんです。配給だけに頼っていた大勢の人が死にました。鉱山や炭鉱、工場の労働者たちが、ばたばた倒れていった」