ソロモン諸島のフロリダ島の浅瀬「トウキョウ・ベイ」に残る駆逐艦・菊月の主砲基部(2024年5月5日撮影、良月さん提供)

太平洋戦争で旧日本海軍の艦艇のほとんどは沈没。残った艦も後に解体処理されましたが、激戦地で奇跡的に海上に残る艦があります。
それが駆逐艦「菊月(きくづき)」。 太平洋戦争の戦跡で、海面上に残る唯一の日本の艦艇 と言われています。日本から約5000キロ離れた南太平洋の ソロモン諸島 で、浅瀬に着底したまま80年以上放置されました。崩壊が進む全長102メートルの船体の一部がわずかに海上に残されています。
廃墟探訪が趣味だという良月さん( @ryogetw )が5月5日、現地で撮影に成功。X(旧Twitter)に 写真を投稿 したところ、大きな反響を呼びました。
💬 「素晴らしいものを見せていただきありがとうございます」
💬 「だいぶ朽ちてしまったように思える。あと何年その姿を見れるんだろうか…」

ソロモン諸島のフロリダ島の浅瀬「トウキョウ・ベイ」に残る駆逐艦・菊月の船体(2024年5月5日撮影、良月さん提供)

ソロモン諸島のフロリダ島の浅瀬「トウキョウ・ベイ」に残る駆逐艦・菊月の主砲基部(2024年5月5日撮影、良月さん提供)

ソロモン諸島のフロリダ島の浅瀬「トウキョウ・ベイ」に残る駆逐艦・菊月の船体(2024年5月5日撮影、良月さん提供)

ソロモン諸島に眠る駆逐艦「菊月」とは?

「菊月」とは旧暦で9月を意味します。睦月型駆逐艦の1隻として、大正末期の1926年11月に就役しました。 月刊「丸」 によると、睦月型は61センチ魚雷発射管を搭載した初の艦として12隻が建造されたそうです。
『 第2次大戦の日本軍艦 』によると、太平洋戦争に本格的に参加した中では、睦月型は日本の駆逐艦で最老齢でした。それでも61センチ魚雷を発射できることから最前線に投入された結果、全艦が沈没しています。
菊月は太平洋戦争序盤、珊瑚海海戦の前哨戦となるソロモン諸島のツラギ島の攻略作戦に参加。1942年5月4日、米軍の空母ヨークタウンから発進した艦載機の魚雷を魚雷を右舷に受けて 沈没しました 。

1943年8月にツラギ島近くのハラボ湾で水面に引き揚げられる駆逐艦・菊月(米軍海兵隊の写真、出典:Naval History and Heritage Command, Washington, DC/カタログ番号: USMC 59615) / Via history.navy.mil

ツラギ島は一旦、日本軍が占領するも、まもなく米軍が奪還。米軍は1943年に菊月を海面に浮上させて隣接するフロリダ島の浅瀬で 徹底的に調査 しました。その後、船体はそのまま放置されたまま80年以上が経過しました。
損傷したものの当時は海面上に停泊できていましたが、船体は徐々に崩壊。2024年現在は主砲基部や船体の一部だけが海上に出ています。
主砲は一般社団法人「菊月保存会」が海中から引き揚げて、2020年6月に建造の地である京都府舞鶴市の大森神社に 奉納しています 。

1944年にフロリダ島で米軍が撮影した駆逐艦・菊月(米国海軍の公式写真、出典:Naval History and Heritage Command, Washington, DC/カタログ番号: 80-GK-6108) / Via history.navy.mil

菊月を知ったきっかけは『艦これ』だった。現地での心境を撮影者が振り返る

今回、駆逐艦「菊月」を撮影した良月さんは札幌市在住。城跡・廃墟・スラム街等の探訪が趣味で、海外89カ国を訪問した経験があるそうです。菊月を見にいった経緯について、BuzzFeed編集部の取材に以下のように答えました。
「幼いころに従軍経験者の親戚より『戦争で日本の船がたくさん沈んでいる場所が南の方にある』と聞かされたのがとても印象に残っていました。最近になって『 艦隊これくしょん -艦これ- 』という、旧日本海軍の艦艇を美少女化したゲームを遊んでいるうちに一つ一つの艦を調べるようになり、菊月がアクセス可能だという事を知りました」
今回の旅行は大型連休を利用したもので、4月26日に日本を出発。ニュージーランド、フィジー、ソロモン諸島と回って、5月7日に日本に戻ると日程だったそう。
ガダルカナル島にあるソロモン諸島の首都ホニアラで、現地の小型船をチャーターしてフロリダ島まで約50キロ。日米の数十隻の艦船が深海に沈んでいることで知られる アイアン・ボトム・サウンド (鉄底海峡)を、全身ずぶ濡れになりながら2時間かけて渡ったのだそうです。

苦労の末に、ジャングルに覆われたフロリダ島のトウキョウベイに午後1時ごろに到着。干潮と満潮のちょうど中間くらいの時間帯でした。良月さんは念願の菊月を見たときの心境を次のように振り返ります。
「遠目には海上に僅かに見えるだけのものだったですが、近づくにつれ徐々に艦首や主砲基部といったパーツが確認できました。きれいに復元されておらず、当時の状態のまま朽ちてゆく姿だったからでしょうか、それがただの錆びた鉄の塊でなく『戦争で使われた艦艇』であるという事を強く意識しました」
「調べた資料から『戦争』という大きなバックストーリーの中で、菊月がどういう経緯を辿ってここに運ばれてきたのかそんなことを思い出しながら、慰霊の意を込めてゆっくりと見学しました。もともと城跡や廃墟、遺跡といった『朽ち行くもの』に、もの悲しさや儚さを感じながら眺めるのが好きでしたのですが、この菊月は過去の中でも特に印象に残るものでしたね」