留年確定で母に相談も「卒業だけはして」 早稲田大学のキャンパスにて。WAGEのメンバーと早稲田大学のキャンパスにて。WAGEのメンバーと

── 在学中から事務所にも所属することになるわけですが、どのような経緯があったのでしょうか?

小島さん:当時の早稲田にはお笑いサークルが3つくらいあって、なかでもWAGEの、う大さん・森さん(現・脚本家�森ハヤシ。WAGEのリーダー)たちがつくるコントが事務所から評価されていて、芸能事務所に所属する話が出ました。当時WAGEには15人くらいいたんですけど、事務所的には5人に絞ってくれという話で、う大さんはじめ3名が決まり、残りの2枠を決めるなかでたまたま僕が選ばれました。つまり、事務所的には誰でもいいという枠ですね。

サークル名をそのままグループ名にしてWAGEが芸能事務所に所属することになり、ライブに出始めるわけですけど、そこで全然ウケないという洗礼が待っていました。サークルの単独ライブでは大ウケしてたのに。結局、これまで観に来てくれていたのは友だちばかりでしたから、あれは内輪ウケしているだけの狭い世界だったことを知るわけです。自信があったネタがウケなくて、帰りの電車でみんな沈黙して帰ったことをよく覚えています。

── そんな洗礼がありながらも本格的にお笑いに向き合うようになった結果、大学では2回留年されたそうですね。当時卒業や就職についてはどう考えていたのでしょうか?

小島さん:大学1年生の終わりくらいから芸能事務所に入って活動していたので、どちらかというと「大学を辞めて芸人の道1本にしたい」という思いがありました。なので、卒業に対しても前向きではなく、必死でもなかったんです。3年生が終わった時点で留年が決定していて、同級生の子が就活する時期に、僕は卒業に無頓着すぎて、自分がどの教科を履修しているかも把握してないくらい、絶望的に単位が取れていませんでした。

タモリさんはじめ芸能界の諸先輩方が早稲田を中退していて「中退のほうが箔がつく」といった憧れのような思いがあったのも事実です。大学2年か3年の頃、母に「単位が取れてないから大学辞めていいかな?」って言いました。でも、「卒業だけはして」と止められました。というわけで、2留を経て卒業しました。留年分の学費は自分で払いました。

今、仕事で「高学歴」とか、「早稲田大学卒」の肩書きで仕事をいただくことも多いですし、あのとき辞めていたら今の状況はなかっただろうなと思いますね。「卒業しておいてよかった」と思うことは多いけど、「大学を辞めとけばよかった」と思うことは今のところないから、それが答えなのかなと思っています。

WAGE時代の小島さんWAGE時代の小島さん

── 小島さんの代名詞ともいわれるネタ「おっぱっぴー」や「ぴーや」には高学歴らしい深い意味が込められているというお話も話題になっているようですね?

小島さん:実はネタが生まれた当初は五感だけでつくったので意味なんかなかったんですけど、同じ事務所のカンニングの竹山さんに「ちゃんと意味を考えとけよ」って言われまして。東京ダイナマイトの松田さんが「おっぱっぴー」=「オーシャン・パシフィック・ピース」という意味を考えてくれました。

「ぴーや」は5年くらいまえにテレビ番組で書道する場面があって「ぴーや」を漢字にしてと言われてとっさに「比止」という字にしたんです。それから「比べることを止めよう」という意味に。どれも意味は後づけだったんです。でも僕の学歴を見てか、みなさんのほうが「このネタには何か意味があるんじゃないか?」と思ってくださって、ネタに高尚な意味を見出してくれたんです。

「おっぱっぴー」=「オーシャン・パシフィック・ピース」に込めたメッセージとして、地球の温暖化問題を考えてる人と思われたり…(笑)。本当にありがたいなと思います。そう思ってくださる方に応えていきたいなと思いますし、こういう点でも大学卒業しておいてよかったなと思います。

PROFILE 小島よしおさん

1980年生まれ。沖縄県出身。出生後は千葉県で育つ。早稲田大学教育学部国語国文学科在学中より芸人としての活動をスタート。「そんなの関係ねぇ!」「はい、おっぱっぴー」などのギャグで2007年に大ブレーク。『ユーキャン新語・流行語大賞2007』にノミネートされるなど話題を集めた。現在は子ども向けのライブを精力的にこなし、YouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」「ピーヤの休日【ピーヤTV】」なども人気。著書には、子どもの悩みに寄り添ったアドバイスが好評で書籍化された『小島よしおのボクといっしょに考えよう』(朝日新聞出版)、『最強無敵の雑草たち(10歳から学ぶ 植物の生きる知恵)』(家の光協会)など。

取材・文/加藤文惠 画像提供/小島よしお