私、こんなところで試合してたんだ…!

── ところで、平野さんは2012年にロンドンオリンピックで銀メダルを獲得し、2016年に引退。今は、解説者やスポーツコメンテーターとして活躍されています。選手時代から今も大切にしていることはありますか?

平野さん:何に対しても「教えてもらいたい」「もっとよくなりたい」という姿勢は現役のころと変わりません。これからも持ち続けたい心構えですね。

狭い世界で生きてきた人間だと自分でも思っているので、知ったかぶりもしません。「メダリストなのにこんなこと知らないと思われたらどうしよう」とか考えずに、なんでも聞くように。どんなお仕事でも終わった後には「今日はどうでしたか? 違和感があれば教えてください」とスタッフさんや、マネージャーや周囲の方にアドバイスをいただくようにしていますよ。

── 解説をしながら自身の選手時代と重ね合わせて気持ちが入ってしまうこともありますか?

平野さん:私のときはこんなに卓球は注目されていなかったので、小さいころからメディアにとりあげられて注目される今の選手の大変さとは比べものにならないです。ただ私自身は現役時代になかなか勝てなくて、辛い苦しい経験はたくさんしてきているので、選手が大変な時には寄り添ってあげたいという気持ちにはなりますね。

── 今回、卓球のパリオリンピック代表メンバーに、東京オリンピックで金メダルを含む3つのメダルを獲得された伊藤美誠選手が選ばれず驚かれた方も多いですよね。

平野さん:伊藤選手は周囲の期待を背負いながら、東京オリンピック後十分に心身をリセットできずに選考レースが始まった印象でした。もっとゆとりをもって選考レースに臨ませてあげたかったと思いますが、他の選手たちも自分の人生を賭けた選考レースですからね、本当にシビアな世界です。

私自身も、リオデジャネイロオリンピックへの出場を目指しながら落選という経験をしています。伊藤選手の今後の人生を考えると、すごく大きな学びがここにあると思うので、持ち前の心の強さでこの経験をプラスに変えてほしいなと思うし、変えられる選手だと信じています。

── ちなみにご自身はまた卓球をやりたいという気持ちは?

平野さん:それはまったくないですね。卓球も好きだし、卓球の話も好きだし、教えるのも好きなんですけど、自分が打って練習したいみたいな気持ちはまったくなくて。 

引退から3か月後に、リオでのオリンピックの現場にテレビ解説で行ったときには、「私こんなところで試合してたんだ!」と。もう1 回オリンピックに出たいという気持ちはあったものの、引退して3か月も経つと「ここで試合するのは無理!」と、思いましたね。

今では、1年間ラケット持てませんと言われても全然大丈夫。それは引退してからずっと変わりません。本当にやりきったのだと思います。

PROFILE 平野早矢香さん

1985年生まれ。栃木県鹿沼市出身。5歳で卓球を始め、仙台育英学園秀光中学校・仙台育英学園高等学校に進学。卒業後ミキハウスに入社、オリンピックでは2008年北京にて、団体戦4位。2012年、ロンドンでは福原愛、石川佳純両選手とともに団体戦で銀メダルを獲得。男女通じて日本卓球史上初の五輪メダリストとなった。現在は後進の指導に務めるほか、全国各地にて、講習会、講演会、解説、スポーツキャスターとして広く活動。

取材・文/平岡真汐 写真提供/平野早矢香