彼女と私は、出身地も、大学も、入社した会社も同じ。共通点は多いけれど、思春期の頃にテレビの画面越しに彼女を眺めていただけの私にとっては、どこまでいっても「違う世界の人」と感じていました。

「元国民的アイドル」という想像もし得ないキャリアを積んだ「紺野あさ美」とは一体どんな人物なのだろう?

紺野あさ美さん

彼女の唯一の自分時間である、子どもたちが寝静まった深夜に、オンラインのインタビューは始まりました。

「遅くなってごめんなさい!下の子がご飯支度の間に寝てしまったせいでなかなか寝付かなくて、やっと寝てくれました。はぁ、大変だった!」

そう言って笑う彼女の横顔は「堅実な母」そのもの。

寝かしつけに苦労し、子どもの怒り方に悩み、子育てにつきものの孤独と闘っている──その姿は遠い世界の「アイドル」ではなく、ごく身近にいる、34歳の等身大の女性でした。

紺野あさ美さんと子どもたち紺野あさ美さんと3歳の長女、2歳の次男、8月には3人目の出産を控えている

モーニング娘。→慶大生→アナウンサーと華々しい人生を歩みながらも「どの時代も必死に頑張ってきたので、実は、華やかな世界にいたという認識があまりないんです」と語る、彼女の努力に裏打ちされた真摯な人生、モーニング娘。時代の涙の裏話、若くしてキャリアチェンジした理由、アナウンサー時代の葛藤、そして、3歳と2歳の子どもたちと過ごす現在まで幅広く伺います。

紺野あさ美さんの「今」を切り取るシリーズ1回目です。

カメラから逃げ、書記にしか立候補できなかった子ども時代

── 私も同じ札幌で生まれ育ちました。どんな子ども時代を過ごしましたか?当時からアイドルに憧れていた?

紺野:

いえいえ、私、カメラから逃げ回るような子だったんです。小学校高学年の頃から、前髪のくせ毛がどうしても気に入らなくて(苦笑)。今でもよく覚えているのですが、学校で先生が写真を撮ろうとすると、自分の姿を撮られるのが嫌でずっと逃げ回っていたんです。カメラの前に立てない自分がアイドルになったなんて本当に信じられない話なんですけど。

どこか自信のないところがあったのかな。本当は学級委員になりたいのに、少し躊躇してしまって、書記に立候補する…。そんな子どもでした。

紺野あさ美さん後ろ姿

── 一方で、学校の成績も優秀で、スポーツでも素晴らしい成績を残していたんですよね。空手やマラソンで優勝経験があると聞きました。

紺野:

決して目立ちたがり屋ではなかったけど、負けず嫌いでした。空手を始めたのも、セーラームーンのジュピターみたいな強くて武闘派の女の子にも憧れていたことが影響していたのかも。型を覚えて上達し、試合でも勝てるようになると、ますます練習も楽しくなりました。

マラソンは、小学生のときに出場した大会で入賞して「長距離なら向いてるのかも」と中学から陸上部に所属して本格的に練習してました。1500m走で札幌市の大会で3位になって。「一生懸命取り組めば、成果が出る」というのは、今思えば、子ども時代にスポーツに教えてもらったのかもしれません。

── 決して目立ちたがり屋ではなかった紺野さんが、モーニング娘。を目指すと決めたきっかけはなんだったんでしょう?

紺野:

私、辻ちゃん(辻希美さん)と加護ちゃん(加護亜依さん)と同い年なんです。中学生のときに、「Say Yeah!〜もっとミラクルナイト〜」という曲がリリースされて。その曲の中に、辻ちゃんと加護ちゃんのセリフ回しがあったんです。「青春を謳歌する諸君に告ぐ!」っていう。その姿をテレビで見て「なんてカッコいいんだ!」って衝撃を受けて。

同い年の女の子が大きな舞台でこんなにもキラキラと輝いてる…。私も「こうなりたい!!」って強く思いました。自信のない自分を変えたいって。学級委員になりたいなら、学級委員に立候補できる子になりたかった。それでオーディションへの応募を決めたんです。

紺野あさ美さんと息子さん

合格の日、つんく♂さんからは「赤点」と言われた

── 当時、モーニング娘。は売れに売れている全盛期で、メンバーが増えたり、減ったりするという新しい手法に日本中が夢中になっている時期でした。オーディション自体も日本中から注目されていましたね。

紺野:

そうですね。オーディションを受けていたのは「恋愛レボリューション21」がリリースされたあと、「ザ☆ピ〜ス!」がリリースされる前くらいの時期でした。オーディションの過程もASAYANで放送されていました。

アイドルのオーディションに応募するような子は「自信満々なんだろ」って思われるかもしれないけれど、当時は歌も踊りもできなかったし、私自身「できていない」という自覚がありました。

でもとにかく、モーニング娘。になりたい一心だったんです。気持ちだけは強かった。だからオーディションでは、「歌も踊りもできないけど、これから絶対努力するので、努力する姿を見てください」って言い続けました。

紺野あさ美さん

── 合格した時の気持ちは覚えていますか?

紺野:

プロデューサーのつんく♂さんの言葉を覚えています。

「ダンスはリズム感が弱くて、声の通りも悪くて、歌の伸びもなくて、どうしようもなく劣等生で赤点」と言われました。でも「紺野の可能性と、一番最初に出会ったときのインスピレーションを信じて『努力するところを見てほしい』って言うのを見ていきたい」とおっしゃってくださって…。

その言葉はすべて素直にはいってきました。人生が変わった瞬間でした。

── つんくさん♂は紺野さんにとってどんな存在ですか?

紺野:

まずは…恩人ですね。人生を変えてもらった人です。そして東京のお父さんのような存在でもありました。子どもを見るような気持ちで、私たちを育ててくれました。つんく♂さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

息子さんと手を繋ぐ紺野あさ美さん

── モーニング娘。に加入した後は人生が激変しましたね。テレビ出演にアリーナツアーに紅白に。日本で一番勢いのあるグループのメンバーになった。

紺野:

そうですね。普通の中学生だった私にとって「激変」でした。14歳で北海道から上京して親元を離れ、来る日も来る日も仕事をしていました。ダンスレッスン、ボーカルレッスン、新曲のレコーディング、コンサートのリハーサルの合間にテレビの出演があったり…。移動時間が睡眠時間でした。

義務教育期間だったので東京の中学に転校したんですが、東京の中学の記憶があまりないんです。学校に行けたとしても早退も多かったし、修学旅行なども行けませんでした。

紺野あさ美さん

── アイドル時代、どんな気持ちで過ごしていましたか?

紺野:

「努力する姿を見てほしい」と言って合格したので、「人一倍努力することしかできない」という気持ちでした。

練習してもすぐに上手になるわけではないけど、ダンスも、上手な人の動きを繰り返し繰り返し見て「どうしてカッコよく見えるのか」ということを研究して。ヘトヘトになって家に帰っても、自宅でも練習を続けました。

他の人より下手なところから入ったので、人より多くやらないと追いつけない。日々、そう思って必死に取り組んでいました。

── アイドルって言うと華やかなイメージですが、こうして話を聞いてると本当に壮絶な…。

紺野:

今もテレビでアイドルの子たちを見ていると「大丈夫かな?」って心配になることもあります。親心みたいな(笑)。

「人に見られる」って、学校単位でもすごくプレッシャーがあることだと思うんです。それが全国区になると、より強いプレッシャーのなかで頑張らなくてはいけない。

でも当時は目の前のことに必死で、そんな事を考える余裕もなかったですね。

紺野あさ美さんと子どもたち

── 紺野さんは間違いなく国民的アイドルの一員だったわけですが、こうしてお話を聞いてると、アイドル然としてない真摯な姿勢に驚いています。

紺野:

そんなそんな(笑)。でも、うーーん…常に自問自答して内面にも向き合ってきたと思います。

私テレビに出てる自分を見たときに「すごくおどおどしているな」って思ったんです。自信なさげに見えた。見た目ではなく、「自信のない内面を変えるにはどうしたらいいんだろう?」って考えて。やっぱり練習しかない、と。

練習しても練習しても怒られることもあるんですが、「ここまではやったぞ!」という自信がないとステージの上でそれが見えてしまう。だから「これだけやったから大丈夫だ」という安心感を持つために、頑張り続けていました。

だから、ちっちゃなことでも褒められると本当にうれしくて。

そう思うと子育てでも一緒ですよね。最近つい子どもたちを𠮟っちゃうことが多くて…。もっともっと子どもたちのことも褒めてあげなきゃなって、話しながら思っています。

あの日屋上で花火を見ながら、同期だけは泣いていた

── つらいこともあったアイドル時代を支えてくれたのは誰でしたか?

紺野:

私の場合は同期でした。

今でも忘れられないんですけど、モーニング娘。に加入して1年経った頃、リハーサルの合間に建物の屋上から花火を見た日があったんです。

他のメンバーはみんなきゃっきゃっと楽しそうにしていたんですけど、私たち5期メンバーだけは(高橋愛さん、小川麻琴さん、新垣里沙さん)花火で感傷的な気持ちになったのか泣けてきてしまって…。

語らずとも、4人だけは涙の意味がお互いにわかっている、という感じでした。

普通の中学生から突然モーニング娘。のメンバーになって、必死に走り続けてきて。プレッシャーだったり、戸惑いだったり、気持ちの追いつかなさ…。いっぱいいっぱいだったと思う。花火を見ているときにその気持ちが溢れ出したことを、みんな感じ取っていました。

── 分かち合える仲間がいたんですね。

紺野:

はい。同期の存在が本当に心強かったですね。同期がいたから5年間、頑張って走り続けることができました。

紺野あさ美さん

── そうしてアイドルとして5年間走り続けてきて、10代でキャリアチェンジを決めましたね。

紺野:

はい。アナウンサーを目指すと決めたのは18歳のときです。私の場合、アイドルに憧れたわけではなくてモーニング娘。になりたかったので、卒業後に歌手やタレント活動をやっていくイメージがつきませんでした。

自分はこれから何をやりたいんだろう?って自問自答したときに、幼い頃に憧れを抱いたアナウンサーを目指してみようと。

でも私、特別滑舌が良いわけじゃなかったし、原稿読みができるわけでもなくて。

こうして振り返ってみると、私、モーニング娘。のときも、アナウンサーのときも、自分の能力を無視して「なりたい!!」のみで動いているんだなって(笑)。その行動力だけで生きてきた。「なりたい!!」っていう気持ちって、大事なものなんですね。

長いインタビューの間、時に立ち止まって考え、誠実な言葉選びを崩さなかった紺野あさ美さん。「アイドル」と聞いて思うかべるイメージは覆され、こうして言葉を交わしてみると、その真摯でひたむきな姿勢に心打たれる取材となりました。

次回は1日11時間の猛勉強の末に大学に合格し、アナウンサーとして歩み始めた紺野さんのセカンドキャリアについて伺います。アナウンサー時代に抱えた葛藤、そして人生を変えた番組とは──

PROFILE 紺野あさ美さん

紺野あさ美さん

元モーニング娘。 の5期生。 グループ卒業後、 慶應大に進学。 卒業後、テレビ東京にアナウンサーとして入社。 スポーツ中継やニュース番組を担当。 冠番組「紺野、 今から踊るってよ」は関東ローカルの深夜帯にもかかわらず人気を博した。 2017年プロ野球・北海道日本ハムの杉浦稔大投手と結婚。 札幌市出身。 2児の母。紺野あさ美オフィシャルブログ『もりもりごはんと子育て日記』

取材・文岡碧      撮影/佐々木和雄