◇渋谷真コラム「龍の背に乗って」

◇19日 阪神7−0中日(甲子園)

 1924年8月1日、甲子園は落成式を迎えた。つまりこの夏で100年の節目を迎える。大正13年。前回のパリ五輪が開催された年で、職業野球はまだ存在していなかったのに、民間の鉄道会社が「世界に誇れる大球場を」という壮大な夢を実現した。

 初めての野球の試合は13日。今でこそ春夏の全国大会を「甲子園」と呼ぶが、使用されたのは第10回だったこの大会からだった。開幕試合は静岡中―北海中(北海道)。午前9時13分に始まった試合は、いきなり熱戦となり、延長12回裏、北海中が5―4でサヨナラ勝ちした。

 この勝利の恩恵を、95年後の後輩が受けている。2019年の第101回大会の開会式で、先導役を務めたのが北海高の主将だった。

 「もちろん覚えています。在学中に甲子園のグラウンドに立てたのは、あの時だけ。そしてあの日以来の甲子園ということになります」

 5年ぶりに憧れの球場に足を踏み入れたのが辻本だ。3年夏は南北海道大会で敗退していたが、球場完成95年を記念して高野連から依頼され、一人だけの“出場”が決まった。

 「その時に、なぜ自分なのかという理由も説明されて知りました。すごいことだと思ったし、自分の力で選ばれたわけではないので、ありがたいことだなと。先輩方への感謝でいっぱいでした」

 そこから行進のリズム、歩調を急ピッチで練習。前についていく人がいないのでかなり難しかったと思うが、無事に務め上げ「先輩たちのおかげでここに立てた」というコメントを残している。

 100年前はすでに3度目の出場だった北海高は、今や夏は全国最多の出場40回。1世紀がたち、なお強さを維持し、プロ野球に人材を輩出しているのは驚きに値する。

 「OBもすごい方がたくさんいらっしゃるし、甲子園準優勝旗や記念品を展示する部屋もあるので見学したことはあるんです」

 ちなみに初めての甲子園を制したのは広島商。球場に歴史あり。母校に伝統あり。そして100年後の今も、野球は日本人の心をとりこにしている。