日本のフェンシング男子フルーレは、昨年7月の世界選手権(ミラノ)の団体で初優勝を飾り、今夏のパリ五輪でもメダル獲得が期待される。フランス代表として2021年東京五輪で金メダルを獲得したエルワン・ルペシューコーチ(42)が選手に「自信」を植え付けたことが、躍進の一因となっている。コーチと選手の”橋渡し”をするのが郷倉マリーン通訳(30)。日本のフランス人学校、東京女子体育大卒という異色の経歴を持つ”世界一の通訳”に迫り、飛躍の源泉を探った。 (占部哲也)

 難解な仏語が明確な日本語の粒となって耳に入ってくる。取材で数々の通訳に会ったが秀逸、分かりやすい。郷倉さんはルペシューコーチの金言に息吹を吹き込んで変換する。世界一を決めた世界選手権の円陣ではこう言ったという。

 「みんなが本来いる位置はここなんだよ。少し調子が悪いときに3位で、調子がいい時に優勝。そこがみんなの今の位置なんだよ」

 コーチは大喜びする選手とは対照的に、冷静に語りかけた。就任から約2年間、敏腕通訳を通して”予言”のように繰り返した。「みんな自信を持て! それだけの実力があるのだから大丈夫だ」。国際大会で4強、3位と徐々に結果を残し、世界一の実を結んだ。

 郷倉通訳の父は日本人で母がフランス人。5歳から高校まで東京のフランス人学校(現・東京国際フランス学園)に通った。授業は仏語。日本語は外国語として猛勉強、授業は午前8時から午後6時までの9時限目まであった。「高校生活には2度と戻りたくない」と苦笑する。ただ、歴史の授業は両国の視点を学べ、興味を持った。

 「例えば、第2次世界大戦を勉強すると、フランスは戦勝国で日本は敗戦国。2つの国でどういったことが起きたのか知る。2倍やるので盛りだくさんでしたが、面白かった」

 そして、進学先は体育大を選択した。なぜか。「やりたいスポーツをずっと我慢してきた。小さい頃からシルク・ドゥ・ソレイユに憧れて、大学ではアクロバティックなトランポリン部に入りました」。ここで日本の体育会の文化に出会った。

 「フランスだとオンとオフが明確に分かれる。例えば、しっかりやった後はしっかり休む。日本の大学では、休みが年3日間とか。『春休みないんだ』みたいな。すごい学びになりました」

 大学4年時にトランポリンの日仏代表の交流を手伝い、初めて通訳の仕事を体験した。そこで、スポーツ通訳の面白さに目覚めたという。一度は就職するも1年で退職。2018年1月からフェンシング協会の通訳として働き始めた。

 両国の文化的な背景まで頭と体で知る。そして、フェンシング用語も猛勉強で習得し「ノートは4〜5冊になった」。仏語以外でも英語の「インテンシティ(激しさ)」を選手と話し合い「強度」と表現するなどきめ細やかさも欠かない。そして、金メダリストの貴重な言葉を伝え続けた。

 「一つの言葉で、良くも悪くも大きく響く。例えば、フランス人の言葉はダイレクトです。コーチは励まそうとしているのに、選手が叱られていると思って傷ついたら本末転倒。だから、『今のは怒ってないよ』と付け加えます。選手には『私じゃなくて、コーチを見て』と言います。表情を見てもらった方が言葉も入りやすいので」

 意志を持った言葉には力が宿る。ルペシュー&郷倉”コンビ”が、日本選手の自信を醸成した。男子フルーレは大舞台でも高い技術を発揮、世界ランキングも1位に付ける。最後に、女性通訳は”上司”について親しみを込めて言った。

 「すごく謙虚。(練習場の)受付の人にも『オツカレサマ』と必ずあいさつする。ささいなことでも『ありがとう』って言ってくれる。『メルシー』ではなくて(笑)。尊敬しています。すごく丁寧に話しますし、言葉選びもきれいで『そういうところ伝われ〜〜』と思いながら訳しています」

 〇…敏腕通訳には”二刀流”の逸話もある。日本代表合宿で郷倉さんが女子と男子の間に立つ。すると、両側のフランス人コーチの指示を聞き、高速処理して次々に伝える。「選手の名前を呼んでから通訳しています。そうしないと男女どちらの選手に話してるのか分からなくなるので」。くすりと笑い、教えてくれた。男子フルーレ主将の松山恭助(27)も「フェンシングの専門用語も知っているし、細かいところまで伝えてくれて助かっている」と全幅の信頼を寄せた。