◇番記者が見た

◇19日(日本時間20日)MLB ブレーブス1―9パドレス(アトランタ)

 偉業がかかった試合で、37歳のダルビッシュが存分に技、駆け引きを披露した。操った球種は8種類。スライド登板の中、暑さに湿度もまとわりつき、速球の出力は本来のものではなかったが、昨季MVPのアクーニャJRや昨季本塁打キングのオルソンら強力打線を自在の変化球で手玉に取った。7回2安打無失点で三塁も踏ませず、日米通算200勝を達成。「正直、実感がない。特にないけど、200に届いたのでほっとしている」と素直な言葉が口をついた。

  日本で7年、アメリカで13年。プロ1年目の時は「200」の数字は考えもしなかった。「(自分は)本当に練習したくない人だった。覚えているのは、最初に札幌ドームの西武戦で西口さんが投げて。すごく好きな投手だった。先輩の小田さんにすごい勝てる投手だから勉強しろよと言われた。その時、167勝だったと思う。すごいなと思っていた。気が遠くなるような数字。自分がそこまで行けたのは、よく頑張ったと思う」。少しだけ自分を褒めた。

 「練習をしたくなかった人」が、誰よりもストイックに練習し、誰よりも相手を研究する投手になった。妻・聖子さんとの食事中でも、タブレットを持って相手打者を分析することもある。きっかけはプロ2年目のヤクルト戦で5回途中6失点で降板し、プロ人生の終わりが「見えた」ことだという。「もう無理だと思った。このままだと結局ずるずるいって、1軍半とかそういうふうになる。その時、東京ドームホテルに戻って、すぐにサプリメントの会社に連絡をして、ちょっと来てくださいと。いろいろ教えてもらったり全部買って、そこからスタートですね」。

 ダルビッシュの原点。その時、目標に据えたのは西武の松坂大輔だった。「その時、トップだった松坂さんが本当にすごかった。カットボールで149キロとか投げて。ああなりたいなと思ったのがきっかけ」。大投手になる道筋ができた。

 数々の勲章や記録を手にしてきた。だが、その根本には、数字のことなど全くない。「小さい時から、成績を残すとかではなくて、いろんな変化球を投げたいとか、こんな球を投げたいというのが、自分がやっている動機ではある」と語った。37歳になっても、日々、新しいことに挑戦し、投球を突き詰め、トレーニングを追求できる。野球少年の感覚が、不世出の右腕を支えている。(阿部太郎)