■津田沼に保存されている小型SLは軍用だった

新京成電鉄・新津田沼駅の近くにある津田沼第一公園に小さなSLが保存されています。このSLは日本陸軍鉄道連隊K2形134号機といって、1944年に川崎車輛(→川崎重工業→川崎車両)で製造されました。

津田沼第一公園で保存されているK2形134号機

K2形は戦地で日本陸軍鉄道連隊が敷設した線路で使用する目的で、全47両が製造されました。しかし、戦地に送られたK2形は10両で、残る37両は戦局の悪化により国内に留まり。戦時中から戦後にかけて、各地の私鉄に払い下げられました。

K2形134号機は戦後西武鉄道に払い下げられ、引退後はユネスコ村で保存されていました。しかし、ユネスコ村が1990年に閉村となり、鉄道連隊習志野演習場や演習線があった千葉県習志野市に引き取られました。

●千葉・津田沼を拠点としていた日本陸軍鉄道連隊

日本陸軍鉄道連隊は戦地で鉄道を建設し、人員や補給物資を輸送することを主な任務として、前身となる鉄道大隊が1896年に創設しました。

1907年に鉄道連隊に昇格。編成作業・施設の整備終了後、連隊本部と第一鉄道連隊(当初は第一・第二大隊)が千葉町(現・千葉市中央区椿森)に設置。第二連隊(当初は第三大隊)が津田沼町(現・習志野市)に設置されました。

鉄道連隊は鉄道の建設技術を高めるため、付近に鉄道連隊演習線を敷設(構築)しました。習志野線(軍用津田沼〜習志野演習場〜軍用千葉間)と下志津線(軍用千葉〜四街道間)・松戸線(軍用津田沼〜松戸間)を中心に支線も数多く敷設。演習線は陸軍の各部隊を繋ぐように敷設し、完成後は人員や物資の輸送にも活用していました。

また、1913年に四街道〜三里塚間45kmを短期間で敷設した大演習線もありましたが、こちらは完成翌年の1914年には廃止しています。

●現在も見ることができる鉄道連隊の遺構

終戦後、鉄道連隊は解散し、施設の多くは民間などに転用されました。演習線についても、習志野線や下志津線は多くの部分を道路などに転用。習志野線の津田沼付近は、1960年に陸上自衛隊第101建設隊の演習線として復活しましたが、1966年に廃止され、道路に転用されました。

松戸線の大部分は新京成電鉄に転用されました

一方、松戸線は大部分が京成電鉄に払い下げられ、子会社の新京成電鉄に転用されました。

新京成電鉄は急カーブで迂回するように走っていますが、鉄道連隊が演習目的でわざと曲がりくねったルートで建設していたからだと言われています。

このうち、二和向台〜初富間はあまりにも遠回り過ぎたためか、新京成電鉄は線路を新規で建設して、松戸線の線路の大部分は道路に転用されました。途中のアカシア児童遊園(鎌ケ谷市東道野辺6丁目)には松戸線の鉄橋の橋台が鉄道連隊橋脚として残っています。

アカシア児童遊園に残っている鉄道連隊橋脚
松戸側の橋台と橋脚は木に覆われています
鉄道連隊橋脚の説明板

また、新津田沼駅付近にあった第二連隊の材料廠の一部は京成電鉄の津田沼第二工場に転用されましたが、1981年に閉鎖されました。なお、K2形134号機が保存されている津田沼第一公園も材料廠の敷地跡にあります。

第二連隊の兵舎は千葉工業大学となりましたが、当時の表門が現存。登録有形文化財に指定されています。

千葉工業大学の通用門となった第二鉄道連隊の表門

第一連隊の材料廠跡は、国鉄のレールセンターとなりましたが1984年に廃止。現在は千葉経済大学の敷地となっていて、材料廠の建物が敷地内に現存しています。

第一連隊の作業場は千葉公園となりました。千葉公園内には演習用トンネルと架橋演習用橋脚が残されています。演習トンネルは千葉都市モノレールの千葉公園駅の近くにあり、トンネルポータルには鉄道連隊の紋章があります。

千葉公園にある演習用トンネル
トンネルポータルに残る鉄道連隊の紋章
演習線の説明板には当時の陸軍施設の場所が示されている

架橋演習用橋脚は、公園内運動広場の近くに2脚保存されています。東側の橋脚は、公園内では違和感満点。まるでなにかのオブジェのようです。もうひとつは公園内の荒木山の上にあるのですが、とても低くて目立ちません。

2脚あるうち東側の架橋演習用橋脚はかなり立派です
架橋演習用橋脚の説明板
荒木山にあるもうひとつの橋脚はかなり小振り

鉄道連隊の遺構は行きやすい場所にあるので、休日に散歩気分で出かけてみるのも良いと思います。

(ぬまっち)