【四国発オリンピアン】フェンシング男子・市ケ谷広輝さん

【四国発オリンピアン】フェンシング男子・市ケ谷広輝さん

 東京五輪の開幕まで、いよいよあと1年。四国在住の元オリンピック選手に出場当時の思い出や東京五輪への期待、見どころなどを聞く。第1回は、フェンシング男子フルーレで92年バルセロナ、96年アトランタの2大会に出場した市ケ谷広輝さん(50歳)=香川県高松市在住。

 −初めて五輪に出場した92年バルセロナ大会の思い出は?

 「高校1年でフェンシングを始めてから、最終目標を『オリンピック出場』に定めていました。だからバルセロナに出場が決まったときは自分の中で達成感がありすぎて、次の目標を見つけられなかった気がします。どこかフワフワした気持ちで試合をした記憶がありますね」

 −それだけ達成感が大きかった。

 「そうですね。森英恵さんがデザインしたスーツを着て、日本選手団みんなでチャーター機に乗ってバルセロナに行きました。それだけでも非日常的なのに、選手村に着いたらいろんな競技の有名な選手がたくさんいてもう夢舞台なんです。海外の選手と写真を撮ったりして、なかなか試合に集中できなかったですね」

 −結果は男子フルーレ33位。

 「7人総当たりの予選プールは4勝2敗で、なんとか64人の決勝トーナメントに進めました。予選プールの2敗というのは、相手がソウル五輪の金メダリストと、バルセロナで金を獲った選手でした。それ以外の4人には勝てたんです。でも、決勝トーナメント1回戦で地元スペインのガルシア選手に負けました」

 −会場は完全アウエーの雰囲気だった?

 「ガルシア選手への声援は誰よりも大きかったですね。僕自身はそれほど緊張もなく試合に入れたんですが、審判が地元びいきというか、微妙なジャッジがあったので残念な思いはあります。でも、地元有利のジャッジというのはフェンシングではよくあることなので仕方ないですね」

 −大会後、もう一度オリンピックに出たいという気持ちが出てきた?

 「そうですね。オリンピックという大会は素晴らしすぎて、本当に特別な舞台でした。バルセロナは試合に集中できなかったので、もう一回、ちゃんとした気持ちでオリンピックに挑戦したいという思いが湧いてきましたね」

 市ケ谷広輝(いちがたに・ひろき)1969年5月6日生まれ、50歳。鹿児島県出身。鹿児島南高でフェンシングを始め、日体大4年時の92年にバルセロナ五輪出場。96年アトランタ大会にも連続出場。93、95年にフルーレで、05年にエペで全日本選手権優勝。大学卒業後、香川県教員に。大川東高、三本松高でフェンシング部を指導し、多くのジュニア日本代表選手を育成。昨年4月に三本松高を休職。現在は日体大大学院に通いながら、東京五輪に向けた活動に従事。


関連記事

おすすめ情報

デイリースポーツ 四国スポーツ・エンタメコラムの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

いまトピランキング

powered by goo いまトピランキングの続きを見る

エンタメ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

エンタメ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る 動画一覧を見る

記事検索