「経済を左右するのはもはや『価格』ではなく、感染力のある『物語』である。物語は疫病よりも変異しやすい」(4月5日付クーリエ・ジャポン)

 このように語るのは、2013年にノーベル経済学賞を受賞したイエール大学のロバート・シラー教授である。シラー氏は「なぜ事実無根の物語が伝染病のように広まり、『バブル』になるのか」という問いかけに対して「物語が世界を方向づけるのであって、その逆ではない。語られるごとに変異する物語は感染しやすい」と答えている。

 シラー氏によれば、この問題の起源は400年前の「新聞の発明」に遡るという。史上初の投機バブルと言われるオランダのチューリップ・バブルは新聞が初めて発行された時期(1630年代)と重なる。それ以前も投機自体は存在していたが、新聞の登場で投機という行為が感染するようになったというわけである。

 ソーシャルメディア全盛の現在、エコーチェンバー現象(閉鎖的な空間で繰り返されるコミュニケーションによって、特定の信念が増幅・強化されてしまうことの例え)がしばしば起きているが、シラー氏は「フェイクニュースは真実を伝えるニュースよりも6倍感染しやすい」と指摘している。

 市場で多くの「物語」が語られるようになった背景には、過去10年以上にわたり低金利時代が続いたという経緯がある。

 世界の中央銀行による大規模な金融緩和が続いているため、「資産の価値がファンダメンタルな価値を超えているとわかっているが、中央銀行が『最後の買い手』の役割を果たしてくれるから自分は損をしない」という妙な安心感が市場全体に広がっているからである。足元の米国の状況を見てみると、個人投資家の多くは、株式市場は既にバブル化していると考えているが、それでも強気姿勢を維持している(4月13日付ブルームバーグ)。

 中でも暗号資産(仮想通貨)のビットコインに関する物語の感染力は強いようである。

 ビットコインの価格は過去1年間で9倍に膨れあがった。「各国政府が大量に発行している法定通貨は価値が下がり、希少性が高いビットコインの価格が高騰するのは妥当だ」と物語の伝道者たちはさかんに喧伝しているが、ビットコインのマイニング(採掘)に伴うコンピュータのエネルギー使用から発生する二酸化炭素排出量は直近2年間で約4000万トンに達しており、環境面で大きなマイナスである。人権問題で批判されている中国の新疆ウイグル自治区で大量のマイニングが行われていることも「玉に瑕」である。

 非代替性トークン(NFT)と呼ばれる新たなデジタル資産にもにわかに注目が集まっている。デジタルアートが数億円以上の高値で落札されるケースが相次いでいるが、NFTは複製が容易なデジタル空間のアイテムに対して、ビットコインなどで利用されているブロックチェーンの技術を応用して「トークンを持っている人だけを本物の所有者とみなす」という概念を持ち込み、独自の価値を生んだとされている。物語の伝道者たちは「高値が付くのは希少性(1点もの)があるから」と説明しているが、誰かがブロックチェーンに使われている暗号を解読してNFTを覆製したらその前提は瓦解してしまう。

 米国では今年に入りSPAC(特別買収目的会社)が300社以上上場し、ブームとなっているが、この動きを牽引しているのは電気自動車(EV)や電池関連の環境関連銘柄である。だがSPACと合併して上場した新興企業の多くには販売実績がない。

 金融経済学には「市場は常に完全に情報の面で効率的である」とする効率的市場仮説があるが、それに従えば、市場で発生するバブルの限界は「現実世界の資源の有限性がネックになってその価格が成立しなくなった時」である。シラー氏も指摘しているとおり、インフレの発生はバブルの物語(疫病)にとって大敵(強力なワクチン)である。

 米国の債券市場ではインフレになるとの観測が8年ぶりに高まっており(4月8日付日本経済新聞)、米ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授(経済学)は「パンデミックからの景気回復過程にある現時点での金利上昇は世界をひっくり返す」と危機感を露わにしている(4月12日付ブルームバーグ)。

 米国では記録的な低金利とパンデミック下でのリモートワーク用に広めの住宅を希望する動きに後押しされて昨年から住宅ブームが始まっているが、筆者が最も懸念しているのは労働市場の逼迫感である。

 米国労働市場では多くのエコノミストらが予想していたよりも速いペースで多くの雇用が創出されている。その要因はワクチン接種の普及に加え、バイデン政権の1兆9000億ドル規模の経済対策である。ムーデイ−ズ・アナリティクスによれば、経済対策により今後4年間で1100万人の雇用増につながるという。

 パンデミックによりサービス業の6人に1人が失業したが、経済再開の動きの中で人員募集に対し応募者数が少なすぎるため、人材争奪戦の様相を呈している(4月7日付ブルームバーグ)。製造業も同様である。訓練を受けた人材が不足しており、回復の足かせになりつつある(4月5日付ロイター)。

 イエレン財務長官は「2022年に完全雇用を達成する」と唱え、パウエルFRB議長とともに政策を強力に進めているが、同様な政策を講じた1970年代に高インフレが生じたという歴史的事実がある(4月16日付日本経済新聞)。イエレン氏の思惑以上に労働市場が過熱すれば、本格的なインフレが到来することになるが、そうなればバブルはうたかたの夢として消え、史上最悪の金融危機が勃発してしまうかもしれない。

 当たり前のフレーズだが、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」である。

藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月11日 掲載