近代は、人間をオフィスや学校、個人住宅といった「ハコ」の中に閉じ込めた。それはある時期まで効率的だったが、いまやデジタル技術によって、人々は同時に同じ場所にいる必要はなくなった。こうした時代に求められるのは、どんな建築か。新国立競技場の建築家が提唱するのは「小さな建築」である。

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佐藤 建築は哲学に近接した領域にあり、非常に思索的な仕事です。東京2020オリンピック・パラリンピックの主会場となった国立競技場の設計に携わった隈先生が、1964年と今年の東京大会は断絶している、と発言されてきたことは、非常に大きな意味がある、と私は受けとめていました。

隈 ありがとうございます。幸いにも僕は前の東京五輪を深く味わっています。1964年は戦後日本の高度成長の一つのピークでした。僕の家は新横浜駅の近くにあったので、新幹線の高架が次々と建ち並んでいくのを目の当たりにしました。都心の空中にできた首都高速道路にも圧倒され、街の景観がどんどん変わった。子供心にもすごいことが起きている、と驚嘆したものです。

佐藤 その中心部では、水泳会場となった国立代々木競技場が作られます。隈先生はその代々木競技場を見て、建築家を志されたのですよね。

隈 ええ。当時の東京はまだ木造建築で埋めつくされていました。つまり、街が低く、小さく、ボロかった。渋谷駅を降りて公園通りを上がっていくと、そこに3本の塔が高く聳え立っていた。その2本は第一体育館の大屋根を吊り下げ、もう1本は第二体育館を支えていました。

佐藤 いまでも圧倒的な存在感があります。

隈 そうした外観に加えて、低く抑えた暗い入り口から入ると、突如として天井から光が降り注いでくる。そしてその光がプールの水面でキラキラ輝いていました。父に聞くと、これは丹下健三という建築家が作ったものだと言うんですね。10歳の僕は、その建築家というものになってみたい、自分が感動したように、誰かを感動させたいと思った。そこが建築家としての原点です。

佐藤 それから55年後の2019年に竣工した国立競技場は、デザインも素材も、また思想もまったく違うものになりました。

隈 2020年らしさとは何かを考えると、それは1964年の感動とはまったく逆のものにならなくてはいけない。1964年に、変わりゆく日本に熱狂した小学生は、その後に水俣病や光化学スモッグなどの公害が問題になり、街が鉄とコンクリートに覆われるのを見て、その熱がどんどん冷めていったのです。

佐藤 確かに1970年代は高度成長とともに公害の時代でした。

隈 建築にしても、丹下健三の弟子といわれた黒川紀章が、生物の新陳代謝の意味を持つ「メタボリズム」運動を始めますが、彼の設計した大阪万博の東芝IHI館は鉄の化け物に見えて、生物のしなやかさはなく、とてもがっかりしました。代表作の中銀(なかぎん)カプセルタワービルも、新陳代謝どころか風化するに任せる様子を見るのがつらかった。そうして街は息苦しいコンクリートのハコばかりになった。だから新しい国立競技場を作るにあたって第一に考えたのは、街の中に木を取り戻すことだったんです。

佐藤 確かに国立競技場は建物外周の軒庇(のきびさし)にも屋根にも木が多用され、樹木がインカネート(肉体化)されています。

隈 新しい杜(もり)ができたな、と思っていただきたいんです。その木も日本で一番流通している10.5センチ角の国産木材を三つに割り、軒庇の下部分に用いています。ものすごく経済的な木の使い方です。

佐藤 一度は決まったザハ・ハディド女史の設計案が撤回された一因は、高額な建築費でした。

隈 日本の大工の技はすごいですよ。海外で日本流の木造建築を作ろうとすると、とんでもない値段になってしまいますが、日本ではコンクリートで作るより大抵安くできます。

佐藤 木造には建築上、いろいろ制約があると聞きますが、技術も進歩しているのですか。

隈 木の技術はすごく進歩しました。たぶん10年前だったら、あの建物を作るのは無理だったと思います。木を不燃材として使う技術や塗装技術など最先端の技術がいろいろ生まれている。そうしたことも含めて、日本の持っている文化遺産、社会資本といったものが、木造にはあります。今回はそれをうまく使うことができたと思います。

佐藤 隈先生は木造建築を「建築のデモクラシー」と呼んでおられますね。一方、コンクリートは全体主義的であると。

隈 コンクリートはプロしか扱えません。何かを作ろうと思ったら、ある規模以上の建設会社に頼むほかないし、費用もかかります。一方、木造なら家の手直し程度は自分でやれる。しかも部材も規格化されていますから、建築中に大工が代わっても引き継いで家を建てられます。その意味で「開かれたシステム」なんです。これをもう一度取り戻したいんですよ。

米ソのタワー信仰

佐藤 いっとき、コンクリートは未来を象徴するものでした。1972年の旧ソ連の映画「惑星ソラリス」では、未来都市の姿として日本の首都高速道路が出てきます。コンクリートに覆われた地下の道を走るシーンが長尺で映し出される。ここはかなり不気味です。

隈 あれは赤坂見附付近ですよね。

佐藤 その首都高速と対比される形で出てくるのが、ロシアの伝統的な木造住宅のダーチャ(郊外住宅)です。アンドレイ・タルコフスキー監督は、やはりコンクリートに不気味さを感じたのだと思いますね。ロシア人は木や土がないと生きられないところがあります。ソ連時代、モスクワの中心部は団地になり一戸建てがなくなってしまいましたが、ロシア人は郊外にダーチャを作った。週末や休みにはそこで野菜を作るなどして過ごすんです。

隈 よくわかります。だからロシアには、木を使った私の建築に共感する人が多い。ロシア人には、木についての野性的な感受性があるんじゃないかと思いますね。

佐藤 基本的にロシア人は森の人です。それから日本人との共通点で言うと、家に入ると靴を脱ぎます。ターパチキというスリッパに履き替える。半分はヨーロッパですが、もう半分はアジアなんですね。欧米だと人前で靴を脱ぐことはめったにありません。特に女性はそうです。

隈 僕もイタリアのプロジェクトで、木の板の上を靴を脱いで歩かせる設定にしたら、「強制的に靴を脱がすのですか」と、猛烈に抗議されたことがありました。

佐藤 そのあたりは、木の文化や木への感受性にも繋がっている気がします。ただ、ソ連時代はちょっと違っていました。木の文化どころか、隈さんが否定的な「タワー信仰」があった。モスクワの大聖堂が建っている場所には、エンパイアステートビルを超えるタワービルを建てる計画があったし、モスクワをはじめとしてソ連邦構成共和国だったエストニアやラトビアには全高300〜500メートル以上のテレビ塔を作っています。

隈 都市のない荒野に突如として高いタワーを作るのは、極めてアメリカ的なものです。もともと街の中に住んでいるヨーロッパの人たちには嫌悪感があります。イギリス人にはいまだに低層のテラスハウスが大人気だし、高層ビルも壊そうという話をしているくらいですから。

佐藤 ソ連においては、少しでも天に近づこうとするバベルの塔の物語と一緒ではないかと思いましたね。社会主義を作り出したソ連人にとって、高層ビルは人間の可能性への挑戦だったんじゃないかと。

隈 アメリカでは1871年にシカゴで大火があって、その後に高層ビルを鉄骨で作る技術が一気に広まります。それがニューヨークに移って、摩天楼ができるんです。

佐藤 アメリカ人とソ連人には、どこか似ているところがあるんじゃないかと思うんです。

隈 確かに意匠としても、スターリン時代の高層ビルは上に行くほど細くなっていくアールデコのスタイルです。これはアメリカとソ連で大流行したスタイルです。

ネコに学ぶ

佐藤 隈先生は、そうした高層ビルに象徴される画一的な「ハコ」からの脱却を主張されていますね。

隈 現代人はハコに閉じ込められています。ある時代からハコを作ることが建築になってしまったんですね。超高層ビルはその最終形態かもしれません。

佐藤 それを目指して都市が進化してきたところがあります。

隈 確かにそのハコの中で働いていれば、効率的に仕事ができて生産性が上がりました。でもいまはICT(情報通信技術)などの技術が生まれて、どこにいようと仕事ができるし、人ともつながれる。だからもう社会のあり方を根本から作り直さなければいけないのに、建築基準法から都市計画法まで、ハコをセッティングすることがデフォルトになっているんです。さらにはそこに資本の論理がかぶさって、大規模で超高層のタワーが作られている。

佐藤 効率的に作業するモデルとしては、工場や学校、軍隊もありますね。みんな近代のシステムです。

隈 これまでは同じ場所に人を集め、時間で管理することが効率的だったわけです。でもいまのICTの技術をもってすれば、もうハコにいる必要なんかないんですよ。逆にハコにいるとストレスが増すだけです。

佐藤 このコロナ禍で、学校では同じ場所で同じ時間に同じ授業を受ける前提が崩れつつあります。

隈 同じ場所、同じ時間割で拘束することが、子供たちを歪ませてきましたから当然です。だから早くハコから出たほうがいい。

佐藤 隈先生は個人住宅についてもハコだと批判されていますね。

隈 個人住宅というハコを所有すれば、安全に暮らせて、生活が安定し、幸福になれると考えられてきた。それで持ち家政策が推進されてきたわけです。でもエンゲルスが『住宅問題』で、労働者は家を所有することで農奴以下の悲惨な状態に堕ちるだろうと予言した通り、ハコを所有すると、一生ローンに追われ、幸せどころじゃなくなる。ローンを払い終わっても、相続税で召し上げられてしまう。

佐藤 災害の多い日本では、家屋が倒壊してローン破綻したり、二重ローンを組まなければならなくなったりするリスクも高い。

隈 その通りで、だからもう個人の住宅からも脱出して自由にならなければいけないんですよ。

佐藤 ではその先には、どんな生活スタイルがあるとお考えですか。

隈 そこはなかなか具体的に示しにくいので、この間の展覧会(「隈研吾展――新しい公共性をつくるためのネコの5原則」)では、ネコに登場してもらいました(笑)。私の住む神楽坂の半ノラ猫2匹にGPSをつけて行動調査した結果を展示したんです。ネコはハコの隙間で自由に生きています。このハコは誰のものという意識はまったくない。半ノラのような自由な感覚で都市を生きていかなくては、と思うのです。

佐藤 ネコが街の隙間に心地よい場所を確保するように生きる。

隈 もっとも、いますぐハコを壊せるわけではないし、また即、壊す必要もない。まずはその生き方に学ぶということですね。

佐藤 考えてみれば、人類にとって住むところと働くところは一緒だった時代のほうが長いですよね。

隈 分かれたのは最近のことです。ある建築学者によれば、オフィスは産業革命後に、イギリスの邸宅の執事の部屋が拡大して広まっていったそうです。そのくらいの歴史しかない。また一昔前まで、日本の家には土間がありましたね。いつでも誰でもアクセスできる場所としての空間で、そこで作業もするし、生活もする。そうした外との境界があいまいな空間が都市の基本になっていくと面白いな、と思っています。

佐藤 都市や街の定義が変わりますね。

隈 これからは分散型のライフスタイルや働き方が基本になってくる。だから都市への通勤を前提にした20世紀型のデザインは変えていかなければならないでしょうね。

モダニズムから離れて

佐藤 そもそも隈先生は近代的なスタイルに否定的でした。ようやく時代が追いついてきた感じです。

隈 僕は、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエといった20世紀建築の大家が生み出した禁欲主義的なモダニズムを仮想敵としてきたところがあります。コルビュジエは「家は住むための機械」と言った人です。面白いのは、モダニズムの大家たちはだいたいプロテスタントで、カルバン派が多いことです。コルビュジエも、南フランスからスイスに逃げたカルバン派の住む地域から出てきている。

佐藤 それは興味深いですね。

隈 禁欲的なプロテスタンティズムが資本主義を生んだというマックス・ウェーバーの分析がありますね。贅沢や浪費をせず労働と信仰に励んだことが、資本主義を育んだ。その禁欲主義的な面は、建築においても機能的なモダニズムの美学と繋がっているという指摘があります。

佐藤 プロテスタンティズムは、ルター派とカルバン派などの改革派とを分けて考えないといけないのですが、私はウェーバーの考え方にはやや問題があると思っています。カルバン派の考え方だと、成功する人と失敗する人は生まれる前から決まっています。この世では努力している人が失敗したり、努力していない人が成功したりすることがある。ここをどう考えるかというと、もう生まれる前に決まっているから、となる。

隈 なるほど。

佐藤 そして成功したら、それは自分の才能ではないので、神に返さなくてはいけないんですね。しかし、神に返すことはできないから社会に返す。それを一部の人は事業を拡大することと考えて、それが資本主義となるのです。

隈 そうすると、資本主義もデザインも禁欲主義だから生まれた、というわけでもない。

佐藤 意匠については、カルバン派がイコノクラスム(偶像破壊)をしているからだと思います。その時、教会からキリスト像やさまざまな聖像を取り去ってしまった。スコットランドに行くと十字架すらないところもあります。一方、ルター派はそれを経験していない。だから普通の人がルター派の教会に行っても、カトリック教会と見分けがつきません。

隈 僕はカトリックのイエズス会が作った栄光学園で学んだんですよ。それもあって、プロテスタントの禁欲主義的なところやモダニズムが肌に合わないと感じてきたんです。

佐藤 イスラエルの思想家、ヨラム・ハゾニーの『ナショナリズムの美徳』という本があります。この中に、16世紀のカルバンが聖書をどう読み直したかが出てきます。普遍的な世界帝国を作ろうとするのは、新約聖書の思想なんです。新約はローマ帝国がベースになっていますから、グローバルな世界帝国に肯定的です。一方、旧約聖書ではペルシャやシリアなどの世界帝国はみんな悪で、神から与えられた領域だけを支配するのが正しいと考える。ネーション・ステート(国民国家)という発想はそこから生まれた、とハゾニーは言います。この本はトランプ前大統領やイギリスのジョンソン首相に大きな影響を与えました。

隈 なるほど、アメリカ・ファーストにつながるわけですね。

佐藤 その点から見ると、トランプもジョンソンも実はプロテスタンティズムの本来のあり方への回帰だと捉えられます。自由と民主主義を世界中へ普遍化しようとしたところが、アフガニスタンのように各地で戦争と混乱しか招かなかった。だから普遍主義には限界があり、それぞれ与えられたところで生きていくというのが、これからの世界でけっこう大きな影響力を持ってくる思想になるのかもしれません。

隈 それを建築、デザインに引き寄せて考えると、それぞれの地域ごとのデザインを大事に守っていくということになるんでしょうね。私はずっと地方主義的なものに惹かれていますが、ネーション・ステートとしての日本国様式を追求することにはすごく抵抗があります。

佐藤 同じ日本でも南と北ではものすごく違いますからね。大学生時代、私が京都に住んでいた時には、おでんの具材が大きく違って驚いた(笑)。

隈 そうですよね。だからネーション・ステートというフレームよりも、もっと小さい場所に熱い視線を当てて繋がっていきたい、というのが僕の考えなんです。

佐藤 ネーション・ステート的なところへフォーカスしていくとどんどん国粋主義的になっていきます。

隈 だから小さな地域性というのが大事です。私が目指しているのは、ネーション・ステートを象徴しようとする大げさな建築ではなく、いばってない小さな建築です。

佐藤 隈先生が言ってこられた「負ける建築」ですね。

隈 ええ、ふんぞり返っていない建築です。

佐藤 それとは対極の高層タワー、高層マンションがいまもどんどん作られています。50年後、70年後にはどうなっているんでしょうか。

隈 何もしなければ、まず配管設備がダメになって、次はエレベーターが動かなくなる。そうなると、もう住めないですね。

佐藤 郊外では低層の団地だって、ボロボロになって大変です。

隈 未来のことを考えず、ハコさえ手に入れれば幸せになれると考えた結果です。自由度が低く、密になりやすい。ハコを解体していくのに、このコロナは好機です。いまこそハコの呪縛から逃れる時だと思いますね。

隈 研吾(くまけんご)
建築家。1954年生まれ。90年、隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。30を超える国々でプロジェクトが進行中。自然と技術と人間の新しい関係を切り開く建築を提案。『点・線・面』『ひとの住処』『負ける建築』『自然な建築』『小さな建築』他、著書多数。

「週刊新潮」2021年11月11日号 掲載