警視庁の変人刑事・杉下右京のバディ役は、交代のたびに話題となってきた。プレシーズンからシーズン7までは亀山薫(寺脇康文)、シーズン7の最終回から10までは神戸尊(及川光博)、シーズン11から13までは甲斐享(成宮寛貴)、シーズン14から20までは冠城亘(反町隆史)と続いて、現在撮影中のシーズン22は初代の亀山薫が復帰して二つめのシーズンとなる。
「相棒」の基礎を築いたふたりの間で交わされた俳優同士の約束を、水谷が「こんなに自分の過去を振り返ろうとしたことは一度もなかった」と話す初めての著作『水谷豊 自伝』から抜粋して紹介する。
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シーズン5の撮影が続く中、水谷は嬉しいニュースを聞いた。『相棒』を映画にするという企画が通り、抱いていた夢が現実のものになったのだ。
「寺脇とは、いつか『相棒』を映画にしよう、と話していたんです。それで、映画になるまではシーズンを引っ張ろうと思っていた。和泉(聖治)監督もやりたがっていたし、実現したのが、1作目になる『絶体絶命!42.195km東京ビッグシティマラソン』ですね」
劇場版の公開は2008年5月と決まった。水谷の映画出演は83年の『逃がれの街』から途絶えていたので、実に25年振りになる。
「失敗する気はしなかったけど、たとえ失敗しても、チャレンジの結果ならいっそ清々しいでしょ。あのときやっておけばと後悔するのは嫌だった」
プレシーズンから数えて9年目。寺脇もまた、劇場版を望んでいた。
〈失敗するかも、なんてことは全く感じなくて、映画化は当然のことだと思いました。誰か1人でも関係者に後ろ向きな人がいたらダメだったかもしれないけど、すべてのタイミングがピタッと合ったんだと思います。ずっと「相棒」を作ってきて、面白くなる感覚がわかっているし、映画が似合う作品だと思っていましたから(中略)もうその時でしょ!という感じでした〉(『オフィシャルガイドブック相棒─劇場版』)
都内で開かれる大規模なマラソン大会を舞台にして、右京と薫が無差別テロに立ち向かうストーリー展開は脚本の戸田山雅司によるもので、いくつもの危機的状況が用意されている。
なかでも右京と大学生の守村やよい(本仮屋ユイカ)が閉じ込められた倉庫の爆破シーンは迫力満点の仕上がりだ。炎を床に這わせるため、多量の火薬が使われている。
「僕が本仮屋さんを床下の穴に避難させた次の瞬間、炎の塊が飛んでくるんです。火薬を専門に扱うプロがスイッチを押すわけだけど、その前に僕も穴に飛び込んでいなければいけない。あのときは、かなりの熱と爆風を感じているんです。タイミングを間違ったら、髪の毛はないです。滅多に経験できないシーンでね。なんでしょね、あの瞬間の嬉しさは(笑)」
危険な撮影なのでスタントマンも用意されていたが、水谷は自分で演じることを選んだ。なにしろアクションが好きなので、人任せにしたくないのだ。
「あの(松田)優作ちゃんから、『豊のアクションはアクションを超えている』と言われたのが、誇りです」
本仮屋ユイカの演技を見て「早く撮ってあげなければ」と思った
爆破の直前には、先輩の遺体を前にして泣き続けるやよいのシーンがある。本番前に本仮屋の演技を見た水谷は「これは早く撮ってあげなければ」と思った。
「リハーサルの段階で自分を追いつめてしまうと、本番で泣けなくなるんです。気持ちもすべて使い切っちゃって、その芝居ができなくなるんですね。だから彼女がいい状態のときに撮ってほしいという気持ちがあったと思います。涙って、実は機械的に流せるんですよ。感情がそこまで揺さぶられていなくても、自分でふっと流せる。監督によっては、役者が泣くまで待っているという人もいますが、役者が本当に悲しくて泣いているのかどうか。これが大事なことなんです。泣こう泣こうと思って泣くのは嘘の涙で、それなら気持ちがきちんと入っている状態で、目薬を使う方がいい」
水谷が出会った昔の監督たちは、俳優の状態を見て、泣きのシーンをどうするか判断した。
「いい監督はね、気持ちが本当だったら、涙にこだわらず、『はい、そこは目薬。目薬で濡らしてあげて』とよく言ってくれましたよ。もしくは、涙がなくても、観てる側に思いが伝わることを知っていた」
同作では、息子の仇を取ろうとして罪を犯す木佐原芳信(西田敏行)と右京が対峙するシーンも話題になった。水谷も印象深いシーンに挙げている。
「西田さんのことは存じあげていたし、なにかの機会にお話をさせていただいたこともあるけど、共演は初めてだったんです。取調室で右京に心情を語るシーンは10分近くありましたね。時計の針が進んでいるのが、映像に残っています。最初に横からのツーショットを撮って、あとは二人のカットバックで会話していくのですが、それを1回でやり切りました。西田さんとは言葉を超えた世界を共有できたと思います。監督とか台本とか、その場の雰囲気とかも影響しますが、その世界へ行けたというのは、滅多にないことですね」
右京は木佐原の告白を聞き、彼の切実な思いを理解する。理解はできても、警察官である自分は彼の行為を認めるわけにはいかない。
「気持ちは分かるし、その気持ちも間違ってはいない。けれど、やり方を間違った、と右京は伝えるんですね。いかなる事情があろうと、犯した罪はやはり償わなくてはいけない」
そのときの右京の気持ちを水谷は目の表情にこめた。相手への感情が瞳の色の深さに表れている。若い頃はギラギラと光を放っていた瞳が、今は憂いを帯びて滋味深い。
共演した西田にとっても、取調室のシーンは滅多にない経験だった。
〈役者として楽しいというのは(中略)お互いの気持ちやセリフを、書かれた文字としてじゃなくて音や声や全部含んだ胸の中から肉化して、自分の声として出せるように昇華するというんですかね、右京さんが木佐原に心から問いかけてくる言葉として染みてくるんです。言葉の持っているエネルギーを感じた時、その現場にいることが気持ちいいんですね。俳優としての居場所を感じた現場だったように思います〉(同)
伊藤蘭と共に情報番組のナビゲーターを務めたこともある西田は、撮影後、伊藤にメールして「今日は水谷さんと芝居の楽園に行ってきました」と伝えたという。
〈すぐに返事が来て「主人も楽しかったと言っていました」って〉(同)
2007年6月5日にクランクインした劇場版は約50日間で撮影された。同8月3日にクランクアップ。編集作業が進む中で、『相棒』はシーズン6に突入している。
そして、2008年5月1日に公開された『絶体絶命!42.195km東京ビッグシティマラソン』は観客動員数370万人、興行収入は44億4000万円という当初の予想を上回る記録を残した。同年上半期邦画部門興行収入ではナンバーワンである。
その成果を受けて、水谷はある決意を固めた。

「寺脇と、『いつかやろう』と話していた映画を実現させて、それがヒットして、いい成績を残した。そのあとで、僕はかねてから考えていたことを寺脇に話したんです。『このまま続けていたら、ずっと僕の下でやっていくことになる。今なら『相棒』の勢いがあるから、よそで主役ができる。だから、いつまでもいちゃ駄目だ』と。彼を主役にしてあげたいという思いがあったし、本人もやりたかったと思うから」
水谷の話は寺脇にとっては予想外のことで、一瞬混乱したように映った。
「『相棒』の人気が落ちてから辞めたら、主役を掴むチャンスが少なくなるでしょ。『だから、いいところで出なきゃ駄目だ。そして主役をやれ』と伝えたんです。手遅れになる前に、覚悟を決めるように促したんです」
水谷は寺脇に「安住してはいけない」と説き、その理由もきちんと話した。
「寺脇は最後まで辞めたくなかったかもしれない。でも僕は『主役をやれ。主役として責任を背負う経験をするのは、役者にとって大きなチャンスだ。外に出て色々なことを経験すれば、新しく見えてくるものが、必ずあるから』と話した」
話を聞いた寺脇は、2008年12月17日放送のシーズン7第9話「レベル4〜後篇・薫最後の事件」を区切りに『相棒』を降板した。薫が警視庁を去るにあたっては、南アジアに位置するサルウィン共和国(架空の国)で、子供たちに日本語と正義を教えるために移住するという名目が用意された。
その後の寺脇は、降板の翌年に映画『悲しいボーイフレンド』(草野陽花監督 2009年)で主役を演じ、TBS系列で『守護神ボディガード・進藤輝』(12〜15年)、『信濃のコロンボ事件ファイル』(13〜17年)、フジテレビ系列で『警部補・佐々木丈太郎』(09〜16年)、テレビ東京系列で『検事・沢木正夫』(13〜16年)などの連続ドラマでも主役を務めた。さらには多くの映画や舞台に出演し、活動の場を広げていった。
「色々とやってますね。そういう経験がすべて自分に返ってくるんです。普段は思い出さないけれど、なにかのときに浮かび上がって来る」
寺脇の受賞歴としては、『相棒』の演技を認められて08年に橋田(壽賀子)賞俳優部門を、09年には日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受けている。
※水谷豊・松田美智子共著『水谷豊 自伝』から一部を抜粋、再構成。
デイリー新潮編集部