ミュージシャン、写真家としても活躍する俳優・佐野史郎(68)が写真展を開催する。私生活では今年6月末、急性腎障害で10日間ほど入院し、2021年にはがんの一種である多発性骨髄腫も患った。生と死を見つめる時間を経た佐野は、今伝えたい思いを今回の写真展に込めるという。

明治から続く医師の家に育った意味

 写真展のタイトルは「佐野史郎写真展 瞬間と一日」。10月14日から箱根の「彫刻の森美術館」(神奈川県足柄下郡)で開催される。展示されるのは、同美術館の2024年カレンダーのために撮り下ろした作品と、幕末から島根県松江で病院を営む佐野家で保存されていた“佐野家のヒストリー”ともいえる写真などだ。

「松江は震災や空襲に遭わなかったので、実家には明治時代からのアルバムが残っているんです。僕にとっては当たり前のようにそこにあるものですが、過去から多くのものを継承した家に育った環境には、複雑な想いがあります」

 佐野家に残る写真には、出雲大社や稲佐の浜など島根の歴史的な地域が写っている。趣味人であった佐野の父親が撮影したものだ。医者だが、バイオリンを弾き、自分の暗室で写真を現像し、まるで荒木経惟における妻・陽子の写真のように母を写した写真も残している。その母の実家は写真館だ。

 今回の写真展では、父親が撮影した写真と現在の佐野が同じ場所で撮った写真が並んで展示される。また、戦争に関する作品も多く取り入れた。

「そんなつもりは全くなかったんです。ただ彫刻の森美術館って外国のお客様がものすごく多い。だからこそ、出雲地方の一家庭の光景を通して、古代から近現代までの歴史の流れを感じてほしいと思ったんです。たかだか150年くらいではありますが、それはこの国、この列島に生きる人たちの息吹や目に見えないエネルギーとも重なるので。そんなところに国譲り(*)があり、現在もそれは続いているんだという物語を、短い空間の中で腑に落ちるように構成したつもりです。それは僕がそうしようと思ったというより、そういうものに呼ばれた感覚なんですが」
*天の国である高天原が、地上の国である日本列島の支配権を、オオクニヌシから受け継ぐという神話

佐野にとっての写真とは何か

 佐野は子どものころから「理路整然とはっきりと説明できることが正しく、そうでないことが間違っている」ということに拒否反応があった。

「世界は決してそうではなく、実は歪んだ世界。でも契約書を交わしたもの以外は認めないふうを装っている。国のディシプリン(ここでは「しつけ」の意味)には、性衝動と同じものがあって、そこに悦楽を感じさせる。その最たるものが戦争なんだと思います。写真や様々な表現は、戦争もまた作品と同じように人間の生み出したものだと、命を奪う恐ろしさを自覚させてくれるんです」

「耳なし法一」の朗読を、ご当地山口県の赤間神宮で行ったことがあるそうだ。その際、複数の観客から佐野の後ろに「火の玉が飛ぶのを見た」と言われたという。

「平家の怨霊。嘘だと言うのは簡単ですが、嘘とも言い切れない。800年あまり経た今でも源氏の流れは続いているわけだから。特に、新しい戦前と言われ、世界で戦争が起きている今は、ますます過去の話だとは言えない状況です。実際に源平合戦が行われた壇ノ浦を前にした語りだったからこそ、『演者は幽玄と現実を超えて伝えよ』と言われていたのかもしれません」

 そんな佐野にとって「写真とは何か」を聞くと、「自分の体を離れ、集団の意識や目に見えない生物が見ているもの」という答えが返ってきた。

「僕はその中の一部。僕には肉体があるから、それは僕を通して出てくる。僕にとって写真とは遺伝子的なものではなく、エーテル(全宇宙を満たす物質)というか、何か目に見えないわけのわからないものの意識、エネルギーが見せてくれるものなんです」

「悔いの残らないように(笑)」カメラを購入

 とはいえ、写真撮影には「体がその場に出向く」という物理的な動きが必要だ。さらに撮影道具となるカメラも。多発性骨髄腫の治療を経て、2021年12月に退院した際、佐野は高額なライカのカメラを購入した。その話に水を向けると「あっ! やばい(笑)」と子どものように首をすくめた。

「多発性骨髄腫だと分かっても腎臓の値がひどくて、腎臓が機能しないことには治療もできない。まずステロイド打って、限りなく値を下げたけど、敗血症になった。もうダメかなと思う瞬間もあったけど乗り越えたんです」

 カメラはそんな自分へのご褒美だ。

「ライカのM10 Rブラックペイントを買いました。ずっと欲しかったものなので、生きているうちに悔いの残らないようにね(笑)。でも妻には、なんで相談しないのかとめちゃめちゃ怒られました。高価なものですから。でも、相談したら駄目と言われるでしょう。カメラ、ギター、模型などを趣味とされる人たちは共感してくれると思います。妻が言うんですよ。『何台も持っているじゃない』って。生産性がないと判断されがちな文化的なものを切り捨てようとする国政じゃないですが(笑)」

 カレンダーのために撮り下ろした作品は、彫刻の森美術館とその姉妹館である美ヶ原高原美術館の展示作品などを撮影したものだ。

 柴田美千里の彫刻「しまうま」は草の上にシマウマの胴体が並んでいる作品だが、佐野はそこから一体だけを映した。「普段は群れで置いてあるそうなんですが、撮影時、他の場所に移動していたそうで、孤独な感じが良かったのかな?」とその理由を語る。また、ガブリエル・ロアールの「幸せをよぶシンフォニー彫刻」は大勢の来館者が行き交う中で撮影されたにもかかわらず、誰も映り込んでいない画面には深い静寂感が漂う。

「ピンホールカメラで撮ると、動いているものが写らないんです。同じものを見ているようでも、見えているものは違う。一瞬と永遠の時間の感覚は同じだと、感じてもらえると嬉しいです」

関口裕子(せきぐち・ゆうこ)
映画ライター、編集者。1990年、株式会社キネマ旬報社に入社。00年、取締役編集長に就任。07年からは、米エンタテインメント業界紙「VARIETY」の日本版編集長に就任。19年からはフリーに。主に映画関係の編集と、評論、コラム、インタビュー、記事を執筆。趣味は、落語、歌舞伎、江戸文化。

デイリー新潮編集部