NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」は、11月17日の放送が視聴率17・0%を記録(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯)。舞台を大阪から東京に移して以降、視聴率が右肩上がりだ。それだけに今後が気になると、ベテランの民放プロデューサーは言う。

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「ブギウギ」は“ブギの女王”と呼ばれた歌手の笠置シヅ子(1914〜1985)の生涯が描かれる。ヒロインのスズ子を演じる趣里(33)は、上京すると作曲家・服部良一(1907〜1993)がモデルの羽鳥善一(草なぎ剛=49)から厳しいレッスンを受け、いざ舞台に上がれば、彼女の歌い踊る姿に喝采の嵐だ。民放プロデューサーは言う。

「大阪時代のスズ子の先輩・蒼井優(38)もすでにこの世になく、一緒に上京した伊原六花(24)は帰阪、母親(継母)の水川あさみ(40)も亡くなり、弟の黒崎煌代(21)には赤紙が届いて戦地へ。スズ子の周りにいた人々が次々といなくなります。今後、残った人々、あるいはこれから出てくる人々で、どのようなサイドストーリーが描かれるのかに注目しています」

 目下、注目されているのが“ブルースの女王”こと歌手の淡谷のり子(1907〜1999)がモデルの茨田りつ子を演じる菊地凛子(42)だ。

「スズ子はりつ子に憧れ上京したものの、初対面で『歌も化粧も下品』『お芋さんみたいなお顔』などといきなり毒づかれていました。思えば、初回にも楽屋で『あなたの下手な歌を、お客さんが待ってるでしょ?』などと皮肉っていましたね。あの口の悪さは間違いなく淡谷さんです。普段はとても優しい人でしたが、戦前に音大で声楽を学んだ人ですから、歌に対しては特に厳しかった」

 歌手としての淡谷は知らなくても、その毒舌を覚えている方もいるだろう。

菊地が好演する淡谷のり子

「かつて『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)の審査員を務めていた彼女は、ものまね四天王の一人・清水アキラの下品な悪ふざけを酷評するなど、嫌なものは嫌、好きなことは好きと言い続けました。ドラマの中でも、りつ子が警察から贅沢な服を注意されて『冗談じゃない。着飾って何が悪い。私はお客様に夢を見させる歌手よ』と反論するシーンがありましたが、あれは淡谷さんが実際に憲兵に対して放った言葉です」

 淡谷は新聞のインタビューにこう答えている。

《こんなに始末書書かされたのね(と五センチぐらいの厚さを指で示す)。(中略)カカトの高いハイヒールはいけない、ツメにエナメルはいけない、ハデな舞台衣装はいけないというから私はつっかかるのよ。いつ死ぬかわからない兵隊さんの前で汚いステージはできないってね。反抗するから始末書なの。国民服やモンペ、戦闘帽で生きる喜びを歌うブルースがうたえますか。人に死ぬことを勧めたり、殺すことを奨励する軍歌は、歌じゃないわ》(朝日新聞:1990年3月2日夕刊)

「淡谷さんを演じる菊地は、2006年公開のハリウッド映画『バベル』で聴覚障害を持つ女子高生を演じ、米アカデミー助演女優賞などにノミネートされました。以来、演技派のバイプレーヤーとして、ドラマや映画で活躍しています。NHKの制作統括は『“死ぬまで歌う”という強さ、そして儚げな感じを表現できる方』として菊地を起用したと言っています。彼女もそれに応えられるよう、並々ならぬ決意で淡谷さんに寄せているのだと思います」

 SNSでも高評価だ。

《菊地凛子さん、上手だな 晩年の淡谷のり子さんしか知らない世代としては 淡谷のり子さん、一歩も引かない姿に感動しました》

《今日のブギウギも茨田さんの菊地凛子いいなぁ。喉の手前で空気がこもったような声の出し方、淡谷さんだ。晩年しか知らないし、だいたいがモノマネ王座決定戦だけど。いつも怒ってる笑》

私のブギを歌うな!

「ライバルであり戦後を彩った淡谷のり子と笠置シヅ子というふたりの大歌手の交錯が今後の楽しみです。NHKの『紅白歌合戦』では、1953年の第3回で笠置が紅組のトリを、第4回で淡谷が紅組のトリを務めたそうです。後年、淡谷さんは、故郷である青森の味噌メーカーのCMに出演し、津軽弁丸出しの『大した、たまげだ』というセリフがウケて人気となりました。一方、笠置さんも『磨き洗いはカネヨンでっせ 』のCMで人気を復活させました。どこまでもライバルで生き様が重なるふたりですが、はたしてどこまで描かれるか」

 そしてもう一人、まだキャストにも名前が上がっていないのが美空ひばり(1937〜1989)だ。

「笠置シヅ子を語る上で避けて通れないもう一人の大歌手がひばりさんです。1948年、まだ10歳の加藤和枝(後の美空ひばり)は笠置のものまねで人気となり、“ベビー笠置”“豆笠置”と呼ばれました。笠置は自分の持ち歌を自分以上に上手に歌う少女を可愛がっていたそうです。ところが、ひばりが正式にレコードデビューすると、笠置が『私のブギを歌うな』とクレームをつけたという“伝説”がある」

 今も美空ひばり公式サイトのプロフィールには、1949年1月《日劇『ラブ・パレード』に出演。「ヘイヘイ・ブギ」を歌うことを笠置シヅ子に禁じられ、急遽「東京ブギウギ」を歌う》とある。

「ところが、実際のところは、笠置にとって『ヘイヘイ・ブギー』は前年に出したばかりの新曲だったため、『東京ブギウギ』を歌う許可を出した。歌うことを禁じたのではなく、変更を求めたというのが正しいわけです。さらにその翌年、ふたりのアメリカ巡業が重なってしまい、ここで再び“ブギ禁止”となるのです」

ひばりは出るのか

 美空ひばり公式ページには、1950年5月16日《山田晴久、母・喜美枝とともにハワイ巡業へ出発。(中略)この時笠置シヅ子が歌ったブギを歌うことを禁じられる》とある。

「実は“ブギ禁止”を申し渡したのは笠置ではなく、ドラマでは草なぎが演じる作曲家の服部良一氏でした。アメリカ巡業を行ったのはひばりが一足早く、そこでブギを歌われてしまうと、後から渡米する笠置のほうがものまねのように思われると危惧した服部氏が、音楽著作権協会を通じて渡米中のみ作品の使用を禁じる通告を出したのです。これらはどう描かれるのか、そして、ひばりは誰が演じるのか、笠置vs.ひばりでアッと言わせることができれば、『ブギウギ』は朝ドラ史に残る名作になるでしょう」

 ちなみに、淡谷のり子がひばりをどう思っていたかといえば、

《私は美空ひばりは大きらい。人のモノマネして出てきたのよ。戦後のデビューのころ、私のステージの前に出演させてくれっていうの。私はアルゼンチン・タンゴを歌っているのに笠置シヅ子のモノマネなんてこまちゃくれたのを歌われて、私のステージはめちゃくちゃよ》(前掲の朝日新聞より)

デイリー新潮編集部