空中に突然できた巨大な穴。国は調査隊を送り込んだものの、穴に入った人間は二度と戻ってこなかった。承認欲求を満たすために入った輩もいるが、二度と戻ってこなかった。穴を管理しようにも空中にあるため、管轄は国交省ではない。じゃあ防衛省か、はたまた芸術と捉えて文科省かと、責任回避で管轄が決まらぬまま。高額の賃金で穴の調査要員を募集するも誰も行きたがらず、下請けから孫請けへと押し付けられ、どんどん中抜きされて、現場は最低賃金以下という皮肉。

 いつしか穴は神格化され、自ら入る人も後を絶たない。「穴の中には救済がある」と唱える教祖まで出現。微妙にうさんくさい男・小澤(堤真一)である。彼は穴を信奉する信者を集め、穴に入ると決意した者の来し方と行く末を記録に残すことを始めた。集まった男女8人が、穴に入る前に語る「自分史」。奇天烈だが、観る者の妄想力をあおる「滅相も無い」の話。

 いや、そもそも穴って何よ。入っても死ぬわけではないというが、戻ってはこない。並行世界の話? いや何かの暗喩? 日本に蔓延(はびこ)る新興宗教を例えているのか? それとも仏教的な話で、滅(死)ではなく無ってこと? と、いつの間にか頭の中は穴でいっぱいに。

 得体の知れない穴に、なぜ人は入るのか。絶望や苦悩を抱えたからとは限らない。なんとなく入っていく人もいる。こんなにもうろんで不確かな存在の穴をドラマの設定にするとは。なんて挑戦的で実験的。正解と分かりやすさを求めすぎるテレビに肩透かしを食らわせるようなドラマなのだ。

 さらに言えば、ドラマというか演劇。8人が穴に入る前に語る「ざっくり自分史」は、本人がスタジオの簡易なセットで演じていく。時折カメラ目線で解説しながらも、パイプ椅子や机など必要最低限の簡素なセットで、子供時代も留学先もバイト先も電車内もすべて表現。本人以外の登場人物は家族や友人知人など大勢いるが、それをたった6人の役者(秋元龍太朗・安藤聖・鳥谷宏之・中山求一郎・宮田早苗・安川まり)で回していく。なんならセット移動も彼らがこなす。スタジオ内には生バンドもいて、芝居に合わせた音を奏でる。

「設定と手法が面白いのは分かったが、中身は面白いの?」と問われれば「人による」と答える。ただし、お仕着せの定番でないことは確かであり、既視感もない。ウェス・アンダーソン監督映画が好きな人には薦める。

 穴に入る8人は互いに無関係の人々で、特異な体験をしたわけでもなく、武勇伝を語るでも自慢話を垂れ流すでもない。淡々と、穴に入るに至った経緯を語る。中川大志演じる川端は感情をコントロールされてきた男。染谷将太演じる菅谷は、不幸を天罰と受け容れる男(結局、穴には入らず)。上白石萌歌演じる松岡は同姓同名の女性同士をつなげた女。

 この後は森田想・古舘寛治・平原テツ・中嶋朋子・窪田正孝と続くが、それぞれの決断はどんな結末を迎えるのか。穴がもたらすのは本当に救済なのか。穴があったら入りたいと思う人の心理を見つめていきたい。

吉田 潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビドラマはほぼすべて視聴している。

「週刊新潮」2024年5月16日号 掲載