“サプライズ”に視聴者は興奮

 SNS上では「笑った」より「泣いた」の感想が多数を占めたかもしれない。これほどの反響を山崎弘也(43)と有田哲平(48)は計算していたのか。11月29日の「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ系列・金曜・23:00)で、アンタッチャブルの漫才が約10年ぶりに復活した。

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 人気番組とはいえ、「全力!脱力タイムズ」をご存知ない方も少なくないだろう。この番組は「報道番組の体裁を利用したコント番組」という設定が特徴だ。

 例えば29日の放送で、新木優子(25)がドラマ「モトカレマニア」(フジテレビ系列・木曜・22:00)の番宣でゲストコメンテーターを務めたのはリアル。しかし、司会進行を務める有田に問いかけに対し、彼女がひたすらボケ倒したのはコントの一部、という具合の番組なのだ。

 視聴者がアンタッチャブル再結成に感激した理由の1つに、「全力!脱力タイムズ」では再結成ネタが何度も放送され、定番ネタと化していたことは挙げていいだろう。要するに私たち視聴者は、まんまと番組にだまされたのだ。

 これまで番組では、フォーリンラブのバービー(35)、ハリウッドザコシショウ(45)、コウメ太夫(47)といった面々が、アンタッチャブル・柴田英嗣(44)の“相方”として登場し、漫才を披露してきた。つまり山崎に似た他人を、柴田の隣に配することで笑いを取ってきたわけだ。

 この日の放送も、“山崎役”として小手伸也(45)が出演していた。さっそく柴田と漫才を繰り広げる。だがトラブルが発生して小手は引っ込んでしまう。有田が呼び戻すためにスタジオの奥に姿を消すまでは、視聴者はいつのもコントだと思っていたに違いない。

 ところが有田が戻ってくると、連れてきたのは本物の山崎という凝った演出だった。テレビ担当記者が解説する。

「有田さんと山崎さん、そしてスタッフは、打ち合わせをしたはずです。しかし柴田さんは、何も知らされていなかったのでしょう。この番組では芸人のリアクションが命なので、事前にニセ台本を渡すことも明らかになっています。山崎さんが登場した時、最初に浮かべた驚愕の表情や、歓喜の余り錯乱状態に陥った姿は、あまりにも真に迫っていました。多くの視聴者も『これはガチだ』と確信したと思います」

 約10年ぶりに披露された漫才は、再結成の喜びがストレートに伝わってくる内容だった。ライバルの民放キー局でバラエティ番組の制作に携わるスタッフが言う。

「アンタッチャブルの漫才は、山崎さんの小馬鹿にしたようなボケに、柴田さんがキツめのツッコミを入れるのが基本です。特筆すべきは柴田さんが『楽しみながらツッコんでいますよ』という雰囲気を出すのが上手いことです。あれがないとツッコミの厳しさが悪目立ちし、怖がる視聴者も少なくなかったでしょう。『全力!脱力タイムズ』で披露した漫才は、実力の半分も出してなかったと思います。しかし2人の掛け合いは、昔のままの安定感をキープしていました。劇的なサプライズも相乗効果を生み、多くの視聴者が高い評価を下したのではないでしょうか」

2010年に「長期休養」で暗転

 アンタッチャブルに初めて“メジャーの光”が当たったのは2003年12月。第4回の「M-1グランプリ」(朝日放送テレビ制作・テレビ朝日系列)に敗者復活枠で選ばれ、最終決戦にも出場を果たした時に遡る。

 そのときで披露したネタが「ファーストフード」。少し内容は違うのだが、「全力!脱力タイムズ」でも同じネタを選択した。ひょっとすると再起という特別な瞬間に想いを込めたのかもしれない。

 圧巻だったのは翌04年の第5回。優勝候補と目され、プレッシャーとの戦いが注目を集めた。しかしファーストラウンドで「お父さん 娘さんを僕にください!」を、最終決戦では「息子の万引き」を熱演、圧倒的な強さを見せつけた。

 何しろ前者の場合、7人の審査員は全員、「出場した全ての漫才師の中でアンタッチャブルに最も高い点数」を付けており、これは現在までもM-1史上で唯一の出来事として記録に残っている。さらに、この時に獲得した673点も歴代の最高得点だった。

 最終決戦では南海キャンディーズと麒麟の2組と優勝の座を争ったが、審査員は1人を除いて6人がアンタッチャブルに投票。終わってみれば、文字通りの圧勝だった。

 審査員の高い評価を裏付けるように、アンタッチャブルの快進撃が始まった。読売新聞が05年10月31日に掲載した記事「番組司会者に出世 アンタッチャブルが止まらない 『M-1』覇者、快調トーク」は当時の雰囲気を伝えている。

 記事は《レギュラー番組10本を抱える人気者。漫才コンテスト『M−1』グランプリ」で優勝した後も、勢いが止まらない》とのリードから始まり、《この腰の低さと押し出しの強い芸風がある限り、2人の快進撃は続く》と結ばれている。

(註:引用に際してはデイリー新潮の表記法に合わせた。また当時の年齢や写真説明など、一部の表記は割愛した。以下同)

 しかし、好事魔多し。2010年1月31日、スポーツ紙など芸能メディアは柴田が芸能活動を無期限休養すると報じた。突然の発表に、どのスポーツ紙からも混乱が伝わっている。その中でもスポーツ報知の「アンタッチャブルの柴田英嗣が長期休養へ」をご紹介しよう。

《お笑いコンビ「アンタッチャブル」の柴田英嗣が、2月から長期休養することが30日、分かった。休養の理由について女性問題説や病気説が出ているが、所属事務所は、詳細を明らかにしていない。

 多くのレギュラー番組を抱えているが、「クイズプレゼンバラエティー Qさま!」(月曜・後8時)「いきなり!黄金伝説。」(木曜・後7時)に出演するテレビ朝日は「事務所の意向で、お休みを頂きたいと最近、連絡を受けました。理由は把握しておりません」としている。

 当面は、レギュラーを務めるTBSラジオ「アンタッチャブルのシカゴマンゴ」などは、相方の山崎弘也一人で活動していくという。

 2人は04年のM-1グランプリで優勝。バラエティー番組を中心に活躍する売れっ子。柴田は07年2月に元ダンサーの妻との離婚危機が報じられている。同年12月には急性肝炎で入院したこともある》

柴田との関係を絶ったテレビ局

 結局、病気説は嘘で、女性問題が長期休養の理由だったことが今では明らかになっている。前出のテレビ担当記者が解説する。

「柴田さん本人が、長期休養の理由を『浮気したってことです』と告白しています。元恋人と再会して1回、肉体関係を持ったが、後輩も交際していたことが発覚。三角関係となり、元恋人が警察に『柴田さんに脅迫された』と相談。柴田さんも事情聴取を受ける事態に発展し、最終的には示談金を払うことなどで決着しました。警察沙汰になったことと、女性関係については複数の“前科”があったため、事務所が強いペナルティを科したと言われています」

 10年、柴田は芸能界に復帰を果たす。アンタッチャブルというコンビが解散することはなかったが、柴田が“留守”“にしている間、山崎はピン芸人として高い人気を誇っていた。

 この頃、2人が直面していた“格差”を浮き彫りにする新聞記事がある。日刊スポーツが12年10月8日に掲載した「柴田やりたいアンタッチャブル」の一部をご覧いただこう。

《休養に入った直後は理由が「女性問題」だったことから、山崎とは絶縁状態にあったが、現在は関係を修復したという。「連絡取ってますよ。飯も食いに行ったりしてます」。昨年1月の仕事復帰以降もコンビ活動は再開していないが、「そろそろやりたい。今日も声を掛けたんですが、あっちは収録があって」と説明した。

 テレビ番組に引っ張りだこの山崎とは対照的に柴田へは、ピン(単独)でのテレビ出演のオファーはまだまだ少ない。その現実に関しては「柴田は事件を起こすのではと、みんな敬遠している感じもある」と冷静に自己分析。2年以上前の女性問題に関しても「若干、尾を引いています。まだテレビで人前に出られないのかなとか思いますけど」と後悔の念も口にした》

 ところが柴田のイメージが、今度は元妻の男性問題でアップするのだから、人生は何が起きるのか分からない。

 16年6月、女性自身が「W直撃撮スクープ! ファンキー加藤 まさかのW不倫愛 アンタッチャブル・柴田妻と… 2人の間には今月出産予定の子どもが…! 養育費を支払い認知へ」の記事を掲載した。

 女性自身の記事内容を6月7日に報じた日刊スポーツの「ファンキー加藤 友人アンタ柴田の元妻とW不倫」をご覧いただこう。

《元ファンキーモンキーベイビーズのファンキー加藤が、アンタッチャブル柴田英嗣の妻Aさんとダブル不倫し、Aさんは柴田と離婚後、妊娠が発覚したと、今日7日発売の週刊女性が報じている。同誌によると、Aさんは今月出産予定。加藤は妻と離婚せず、子供を認知し、養育費を支払うとしている》

 この騒動に柴田は冷静な対応に終始。メディアだけでなく、視聴者の持つ悪いイメージを払拭するきっかけになったという。前出のキー局の番組制作スタッフが明かす。

「柴田さんが謹慎中は、『女性トラブル』という文言だけでなく、『逮捕』や『事情聴取』という情報が飛び交っていましたので、テレビ局は意識的に柴田さんの起用は避けました。そんな相方のマイナスイメージをものともせず、ピン芸人として売れ続けた山崎さんの実力は図抜けています。その一方で、芸能界に復帰した柴田さんも地道にテレビ出演を繰り返し、謹慎の真相や、元妻の不倫問題について説明責任を果たしました。そうして柴田さんに対する視聴者の誤解や偏見もなくなっていったのです」

ザキヤマさんは西川きよし!?

 そもそも相方が問題を起こしてコンビとしての活動が休止に追い込まれたり、コンビ解散の憂き目に遭ったりした芸人は少なくない。それを思い出しただけでも、アンタッチャブルの特異性は明白だろう。

「ざっと例を挙げても、極楽とんぼ、NON STYLE、インパルス、キングオブコメディ、キングコング、雨上がり決死隊、ロンドンブーツ1号2号……という具合です。山崎さんと柴田さんの間には不仲説が報じられたこともありますし、不仲を否定する記事も出ました。真相はお二人しか知らないでしょうが、山崎さんがピン芸人として視聴者を笑わせ続け、なおかつ『アンタッチャブル』というコンビ名も守り抜いたことで、今回の復活が成功したのは間違いないと思います。いわば留守宅を女房役として守り続けてきたのです。今は復活をプロデュースした有田さんの評価がうなぎ登りですが、本当のMVPは山崎さんではないでしょうか」(同・番組制作スタッフ)

 このスタッフ氏はアンタッチャブルの復活劇を見ながら、横山やすし(1944〜1996)と西川きよし(73)の「やすきよ」を思い出したという。

「1966年にコンビを結成すると、すぐに2人は関西で人気を獲得、東京進出に成功します。ところが70年にタクシー運転手への傷害事件などで謹慎に追い込まれます。1人ぼっちになった西川さんはピン芸人とならざるを得なくなりますが、お笑いの才能だけでなく、司会にも向いていることを示し、まさに災い転じて福と成す、という状況になります」

 アンタッチャブルと同じように、西川も「やすきよ」の解散は選択せず、横山の復帰を待ち続けた。そして、この判断がコンビを大きく成長させることになった。

「横山さんは中学からラジオ番組で人気の漫才師、まさに天才少年でした。しかし相方に恵まれなかったこともあり、その後は低迷します。それを救ったのが吉本新喜劇の研修生だった西川さんですが、やはり当初は横山さんが主であり、西川さんは従だった。ところが西川さんが待ち続けたことで上下関係が崩れ、才能ある2人が対等にぶつかる漫才に切り替わったんです。共にボケとツッコミを自由自在に入れ替えるスタイルは、たちまち全国の視聴者を爆笑させ、80年代のMANZAIブームを牽引することになりました」(同・番組制作スタッフ)

 やすきよの場合は、西川の政界進出によってコンビ仲が悪化したという悲劇の歴史がある。だがアンタッチャブルにそんな心配は必要ないだろう。年末年始のお笑い番組が楽しみという向きも多いのではないだろうか。

週刊新潮WEB取材班

2019年12月8日 掲載