「最近の若い奴らは」、「ジジイ、ババアは頭が固すぎて」。いつの世にも世代間対立は付き物で、とりわけこのコロナ禍ではその傾向が強まっている。若者に大人気のお笑いコンビ「EXIT」の「りんたろー。」。介護体験を持つ彼の話に、老いも若きも傾聴の価値あり。

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 今、僕たちは「敵」を見誤っているんじゃないかという気がするんです。

 コロナ禍における敵とは一体何なのか。

 それはおじいちゃん、おばあちゃんたちの世代でもないし、若者でもない。そのことを忘れちゃいけないと思うんです。世代間でいがみ合っても仕方がない。だって、敵はウイルスなんですから。

〈吉本興業のお笑いコンビ「EXIT」のツッコミ担当「りんたろー。」。チャラ男キャラで売る彼のコンビは、お笑い第7世代の象徴的存在であり、その芸風は「ネオ渋谷系漫才」と称される。女子高生など若者の間で絶大な人気を誇る現代のカリスマ芸人だ。

 現在35歳のりんたろー。だが、「世代間問題」を語る彼の言葉には独特の説得力が宿る。芸人の傍(かたわ)ら介護事業所で働き、おじいちゃん、おばあちゃん世代と密に接した経験を持つからだ。〉

 僕が23歳の時から8年間、バイトをしていたのは一軒家タイプの小さなデイサービス事業所でした。

 とはいっても、お泊りのサービスも提供していたので、排泄のお世話から、お風呂に入れたり、夜の寝かしつけまで、何でもやりました。多い時は週5日くらい働いていましたね。

「チャラ男×お年寄りの介護」

 この取り合わせがお笑いにも何か活かせるかもしれないし、介護施設で働いている人は優しい方が多いんじゃないか、そうだとしたら僕がお笑いに向き合う姿勢も理解してもらえるかもしれない、そう考えて働き始めたんです。その前のバイト先では、お笑いとの掛け持ちを理解してもらえないこともあったので。

 全くの未経験で介護のバイトを始めたわけですが、働く前は、いろいろと大変な仕事なんだろうなと想像していました。なかでも最初のハードルになるのは排泄物の処理じゃないかと。そして、実際に仕事を始めてみると……。

 全く気にならなかったですね。

 より正確に言えば、介護の現場で働いていると、臭いとか汚いとか一番どうでもいい問題になるんです。そんなこと言ってられないというか、そういう感情ってどんどん薄れていくんですよ。

介護現場の「開演ブザー」

 例えば、尿量が多い男性には性器を包み込むようにしてオムツを巻く「三角巻き」っていう方法があって、上手く巻かないと漏れるから試行錯誤を繰り返し、その対処で手一杯になる。

 あと、オムツの中で用を足した後にそのままにしておくとかぶれるので、それを防ぐために、前にトイレに行った時間をメモして、もしかしたらもうオムツの中でしているかもしれないなと計算したり、足が不自由な方だと1回ずつトランス(ベッドから車椅子などへの移動)しなきゃいけない。こういうことのほうが大変だったりするから、臭い、汚いという感情は自然と一番後回しになるんです。

〈体験者だからこその実感のこもった話である。そしてりんたろー。は、素直な気持ちとしてこう振り返る。〉

 8年間も介護の仕事を続けられたのは、掛け値なしに楽しかったからだと思います。

 それまで、パチンコ屋や居酒屋でバイトしていても、マニュアル通りで同じことの繰り返し。だけど、介護の仕事は「対人(たいひと)」じゃないですか。だから毎回、違うことが起こる。パチンコ玉の入った「ドル箱」を運ぶなら、同じ重くても介護の仕事でおじいちゃん、おばあちゃんを運んだほうが、人間味があって楽しい。

 当時、お笑いの仕事が上手くいかないなかで、介護でお散歩中の公園のベンチに座り、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒にお茶を飲む。そうすると、「あっ、葉っぱの色ってこうやって変わっていくんだな」とか、気づきがあるんです。

 忙しく働いていると、そういうのって目がいかないじゃないですか。でも、介護の仕事をしていてそういう気持ちになれると、なんだかふわっと解放されるんですよね。

〈無論、きれいごとばかりの職場ではない。認知症介護の場合、介護相手の高齢者から心ない言葉を浴びせられることもあった。〉

 そこは、この仕事の一番きついところかもしれないですね。実際、普段はすごく優しい人なのに、僕がほかの女性の介護をしていると、「そんなババアほっとけ!」と罵声を浴びせられ、お薬やお水をあげようとすると、スプーンをパシッと撥(は)ね除(の)けられ……。

「俺、この人のためにやってあげてるのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう」

 そんなふうに考えると、やっぱりしんどくなります。

 でも、「俺はこの人に尽くしてあげてる」って思うからきつくなっちゃう。介護する自分はおじいちゃん、おばあちゃんに「尽くす人」ではなく、一緒に生活していく上で「寄り添う人」。それくらいのスタンスでいると、大体のことは受け流せるようになりました。

 ひどい言葉を投げつけられた時も、それはおじいちゃん、おばあちゃん「その人」ではなく、「別の人」が言ったことくらいに受け止める。誰だってひどいことを言いたくて言ってるわけじゃないですからね。

 どうやったらより上手く受け流せるようになるのか。そのコツは、「お互い様」であることに気づけるかどうかだという気がします。

 食事の時間なのに食べてくれない、薬を飲ませなきゃいけないのに飲んでくれない……。でもこれって、実は介護する側の「エゴ」なんですよね。こっちもイヤだけど、向こうだってイヤなんです。

 つまり、介護者と被介護者がエゴをぶつけ合っている「お互い様」状態。そこを理解しないで、「やってあげてる」っていう意識が出ちゃうと、介護ってどうしても行き詰まっちゃう。だから真面目な人ほど、介護することをきつく感じがちになる。

 真面目な人は、介護しているうちに「僕がこのおじいちゃんをちゃんとしてあげるんだ」、「これは私が向き合う問題なんだ」と、それこそすごく真面目に考える傾向がある。だから、おじいちゃん、おばあちゃんを思う気持ちが強い人ほど、逆に「何やってんの!」なんて、すごくきつい言葉で怒鳴ってしまうんです。

 そういう人を傍(はた)で見ていて、「危ういな」と感じました。被介護者のことを強く思う気持ちが、歪(ゆが)んで出てしまう感じですかね。

 あとは、おじいちゃん、おばあちゃんとのコミュニケーションを楽しむことも重要です。僕の場合、話に乗っかることで受け流せるようになりました。

 例えば、「早く家に帰りたい」って言い出す方がいたとします。そういう時は、「はい、いらっしゃいませ。ここはおうちですよ」と、話に乗っかるというか、一緒に演じる。あるいは、「今、車が出払っちゃっててさ」とか「車が事故っちゃって」とか。

 頭ごなしに否定するのではなく、話に乗ってあげる。そうこうしているうちに、落ち着いてくるもの。なんだか面倒なことを言い始めたなと思ったら、こう考えるんです。

「芝居の開演のブザーが鳴ったぞ」

 で、おじいちゃん、おばあちゃんたちの世界に自分もどんどん入りこんでいく。そうすると、向こうも楽しいし、こっちも楽しくなって、意外と「絶対に帰る! とにかく帰せ!」なんてパニックにならない。

 他にも、突っ込んで楽しむということも僕はやっていました。おじいちゃん、おばあちゃんは昔の話をよく覚えていて、結婚する当日に初めてその相手と会ったなんて、自分のことを話してくれます。

 そういう時は、「マッチングアプリかよ!」みたいに突っ込む。そうすると、向こうが「何それ?」って訊(き)いてきて、どういうものかを教えてあげると、会話が増えてコミュニケーションが取りやすくなるんです。

親の介護の心構え

〈超高齢少子社会を迎えた日本において避けられない介護。どうやら、そのキーワードは「真面目になりすぎない」のようである。それは「親の介護」にも当てはまると言えそうだ。〉

 自分の親を介護施設に入れるのは悪いことだと考える人って、とりわけ真面目な日本人に多い気がします。でも、僕はこう思うんです。それは、自分自身に愛を向けられている人が少ないからじゃないかと。

 自分の親は自分で介護しなきゃいけない。そう考える人は、すごく周りに気を遣って、親も含めて周囲を愛している。でも、その分、もっと自分を愛してあげてほしいんです。

 自分の親なんだから自分の責任で面倒を見なきゃ、私が遊んでいる暇なんてない。真面目な人はそう考えがちですが、楽しい生活をして自分を愛せる時間がないと、絶対に親も愛せなくなってしまう。親の介護が重荷になって、大好きだった親を嫌いになる。それって本末転倒もいいところ。自分を愛せなければ、本当の意味で親も愛せないんじゃないですかね。

 こういう時代なんだし、自分だけで介護を抱え込まずに、任せるところは施設やヘルパーさんに任せる。もっともっと自分を愛して、人生を楽しんでいい。

 逆に介護されるほうも、されることを楽しむ。僕が介護の仕事をしていた時、トイレに連れていってもらうのが気まずくてお水を飲むのを我慢する女性がいたんですが、引け目を感じる必要なんてない。介護されることを楽しんでほしいと思います。

 お互いにやりたいことはやり、言いたいことも言う。だって、僕たちは支え合って生きているんですから。もうそういう時代が来ているんです。

〈だからこそ、彼の目にはコロナ禍で起きている世代間対立が不毛なものに映る。重症化を恐れる高齢者のせいで自粛を強いられていると不満を募らせる若者。一方、どうせ罹っても軽症だとタカをくくる若者が出歩くことで感染が広まっていると苛立つ高齢者。

 こうした世代間対立の象徴的事象と言えば、森喜朗元総理の「女性蔑視発言」による騒動であろう。無論、森発言は容認できるものではないが、他方で行き過ぎた「森バッシング」、すなわち「高齢者バッシング」に違和感を覚えた人も少なくなかったに違いない。若者世代をファンに持ち、高齢者世代の介護をしてきたりんたろー。は、どう感じていたのか。〉

 森さんの発言が悪いのは大前提です。でも、女性のことをちょっと軽く見る時代というものが確実にあって、そういう時代を生きてきた人がたくさんいる。

 当然、古い認識はアップデートしなければならないんだけど、ごめんなさいって謝った人をボコボコにするのはどうかなと。みんなで一緒になって古い感覚を改めていきましょうというのが目的のはずなのに、一体どうなっちゃってんの、目的は何なのって。

 この世代間問題も「お互い様」なんじゃないですかね。例えば飲み会。若者は上の世代の誘いがうざいと言う。確かにうざいかもしれない。でも、僕はちょっと違うと思うんです。お互い様だから。

 飲み会が楽しいと感じる世代がいれば、そうでない世代もいる。お互いに認め合って、交わるところは交わるし、交われないことも当然ある。それでいい。若い世代が上の世代の誘いをうざいと感じているとしたら、若い世代も上の世代に同じことをしていると言えます。拒否し合っているという意味ではお互い様なんで。

意識のし過ぎは逆効果

〈互いに排除し合わない世代間融和の重要性を語る彼の「原点」は、お祖母ちゃん子だったことにあるのかもしれない。〉

 80歳を過ぎた自分のお祖母ちゃんは、認知症で北海道の介護施設にいるんですけど、お互い携帯電話でしょっちゅう連絡を取り合って話をしています。

 全然面倒臭くないですね。だって、気になるじゃないですか。何してるのかなって。

「風呂入った?」

「明日入るから入ってない」

「ごはん食べた?」

「食べたよ」

「美味しかった?」

「今日は煮物が出て美味しかった」

 他愛もない会話ですが、ひとつ質問したら、自然と会話ってどんどん広がっていく。こないだも、僕が送った吉本グッズのクッキーを喜んでくれて、

「美味しかった。施設の職員さんと分けたよ」

 と。それ以来、いろんなクッキーを送っています。 お祖母ちゃんとよく電話をするのって、そんなに珍しいことですか?

 お祖母ちゃんと何を喋ろうかなんて考えちゃうと、逆にダメ。介護の仕事もそうですが、苦手意識を持つと相手に必ず伝わる。そんなこと気にせずに、懐に飛び込んだほうがコミュニケーションは進むと思いますよ。気遣いとか遠慮とか、そういうのを意識し過ぎるのって逆効果じゃないですかね。

〈軋轢が生じやすく何かとストレスフルなコロナ禍。介護経験を持つりんたろー。の体験談には、このギスギス社会からのEXIT(出口)を見出すヒントが隠されているのかもしれない。

 最後に高齢者、若者問わず、「今の時代」を見つめ直す際の参考として「チャラ男」の言葉を今一度。〉

 敵はウイルスなんですから、誰かを責めても仕方ないじゃないですか。

 だからこそ、このコロナ禍では、お互いに相手の世代のことを思いやって、距離を取ったり、生活の場を別にしたりすることが必要なんだと思うんです。今、大事なのは「愛のある分断」じゃないっすかね。

りんたろー。
1986年生まれ、静岡県出身。吉本興業のタレント養成所、東京NSCの14期生。2017年、後輩の兼近大樹と「EXIT」を結成。お笑い第7世代を代表するコンビであり、「チャラ男だけどいい人」として若者を中心に絶大な人気を誇る。「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系)などレギュラー番組多数。

「週刊新潮」2021年4月22日号 掲載