バツ3の大豆田とわ子(松たか子、44)が主人公の連続ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」(制作・関西テレビ、フジテレビ系)が全10話の放送を終えた。デイリー新潮は5月11日掲載分で「今年の権威あるドラマ各賞を獲るのは堅い」と報じたが、その通りになるはず。どこが優れていたのか?

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 6月15日に放送された「大豆田とわ子」の世帯視聴率は5.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。後日発表される録画視聴分も合わせた総合視聴率は11〜13%が見込まれる。高い視聴率ではないものの、脚本を書いた坂元裕二氏(52)の作風が純文学的であることを考えると不思議ではない。

 純文学は大衆文学に比べると広い支持は集めにくい。文体も作風も読む側に迎合しないためである。人間の本質を描くため、ややもすると難解だ。ただし、もちろん大衆文学より評価が劣るわけではない。

 坂元作品も視聴者に迎合しない。だから名刑事もスーパードクターも登場しない。庸なミステリーよりワクワクする。先の展開がまったく読めないからだ。

「すぐに分かるものは作りたくないなという思いはあります」(テレビブロス2018年12月号)

 純文学は人間の本質を描いているため、優れた作品は読む側の胸に深く刺さる。坂元作品もそうだ。

 また村上春樹氏(72)らの純文学には考察が存在するが、坂元作品も同じ。坂元作品の場合、あえて過度に説明せず、視聴者の想像力に委ねている。登場人物の名前がテロップで表示されることなどは決してない。

「本当に大事なことは脚本には書いていないことだから」(テレビブロス2018年12月号)

 さて「大豆田とわ子」の優れていたところは何かというと、まず圧倒的なリアリティだろう。これは坂元氏の大きな特徴で、1989年に「同・級・生」(フジテレビ)で連ドラデビューして以来、一貫している。

 このドラマにおいて坂元氏は特に40歳のリアルに拘ったのではないか。松は放送中に44歳になったが、とわ子は40歳という設定。松の実年齢に合わせても良かったはず。

 けれど、40代に差し掛かるころから身近になったり、見えてきたり、悩んだりするものがある。それをドラマは描いていた。

 まず親との死別。第1話のとわ子は母・つき子(広澤草、41)を喪ったばかりだった。早くに親を喪う人もいるが、多くの人が経験するのは40歳前後から。途方もなく辛い。

 とわ子は表面上、平静だったが、最初の夫である田中八作(松田龍平、38)にこう漏らした。

「悲しいって言えば悲しいんだろうけど、言葉にしたら、言葉が気持ちを上書きしちゃう気がしてさ」(とわ子)

 筆舌に尽くしがたい悲しみを坂元氏なりの言葉で表現した。とわ子が八作に同情を求めなかったところも含め、リアルだった。

 もっと辛いのは無二の友人の死。40歳前後になると、これも経験しがちになる。親とは精神的に距離があるが、無二の友人は人生の伴走者なので、先立たれた時の喪失感は大きい。長く抑うつ状態に陥る人もいる。その悲しみを味わった人なら分かるはずだ。

 とわ子も二卵性双生児のような間柄だった綿来かごめ(市川実日子、43)を第6話で喪った。それから1年間、歩いている時の風景が目に入らなくなってしまった。この表現もリアルだった。

 また、とわ子は社長を務めるしろくまハウジングのゴタゴタにも相次いで遭遇した。仕事上のトラブルに巻き込まれやすいのも40歳前後からである。責任ある立場に就きがちな年代だからだ。

 ではテーマはなんだったかというと、このドラマは古いタイプのドラマと違い、テーマが1つではない。ロマンチック・コメディという作風ではあるものの、全10話でいくつものことが描かれた。

 うち1つは、かごめを喪ったことによって強い喪失感を抱いたとわ子の再生にほかならない。これはテーマの中でも大きなものだったので、かごめが他界した後の第7話からは第2章としたのだろう。

 とわ子の再生の描き方は示唆に富んでいた。第9話でとわ子は自分がかごめを忘れない限り、ずっと彼女は生きていることに気づく。人の本当の死は、誰からも忘れられた時だという考え方が国内外に存在する。

 そう悟ったとわ子は吹っ切れたような表情で八作に言った。

「一緒に思い出してあげようよ。3人で生きていこうよ」

 同様のセリフがドラマで出てきたことはなかった気がする。救いが得られた人もいるのではないだろうか。

 坂元氏はこう語ったことがある。

「現実に影響を及ぼすものを作りたいなと思います」(ユリイカ 2021年2月号)

 死者とずっと一緒に生きていく。坂元氏のメッセージだったように思う。

 とわ子と母・つき子とのエピソードは最終回でも描かれ、とわ子が母との関係性を再確認した。この構成は第1話の段階で決めていたのだろう。

 とわ子はつき子の恋人だったマーさんこと真(風吹ジュン、69)から、つき子の自分への深い愛を知らされる。

 半面、とわ子はつき子が自分を生む前も生んだ後も真への思いを断ち切れていなかったことが釈然としなかった。それに真はこう答えた。

「家族を愛していたのも事実。自由になれたらって思っていたのも事実。矛盾している。でも誰だって心に穴を持って生まれてきてさ、それ埋めるためにジタバタしてんだもん。愛を守りたい、恋に溺れたい、どれもつき子」

 このセリフが坂元氏の純文学性の真骨頂に違いない。矛盾のない人間はいない。「つき子」を誰の名前に置き換えたって通用する言葉だ。無論、性別は関係ない。

 とわ子の穴を埋めてくれたのは八作であり、2番目の夫の佐藤鹿太郎(角田晃広、47)、3番目の夫・中村慎森(岡田将生、31)だった。

 つき子の恋人が真だったのも坂元氏のリアルにほかならないだろう。坂元氏は恋愛において男女を区別すること自体が嫌いらしい。映画「花束みたいな恋をした」も性で区別しなかった。付き合っていた山音麦(菅田将暉、28)と八谷絹(有村架純、28)には個性の違いこそあったものの、それは性に基づくものでなかった。麦は男らしいわけではなかったし、絹も女らしいわけではなかった。1人の人間と人間だった。

 坂元氏のストーリーには無駄がない。「大豆田とわ子」では当初、マスコットキャラクター的にも映ったとわ子の1人娘・唄(豊嶋花、14)が徐々に重要なキャラになっていった。

 唄は成績優秀で医者を目指していたが、医者になるのは交際相手の西園寺君に任せ、勉強をやめてしまう。とわ子に「20歳までに結婚する」と宣言する。その後は勉強に専念する西園寺君の代わりに買い出しに行くなど「いいお嫁さんになる練習」に励む。とわ子は激怒したが、本人の意思は曲げられない。

 だが、唄は心変わりする。とわ子と一緒に真の話を聞くや、考えをあらため、再び「医者になる」と言い出す。つき子に「おばあちゃん」ではない1人の人間としての人生があり、どう生きるべきか悩み抜いたことを知り、安易な選択をよそうと考えたのか。

 あるいは第9話で慎森がとわ子に対し「働く君と恋をする君は別じやない」と言っていたが、祖母の話を聞くうち、とわ子のDNAが目ざめたのかも知れない。とわ子の父・旺介(岩松了、69)の存在もあり、このドラマはホームドラマの側面も持っていた。密度が濃かった。

 最後に謎解きに挑みたい。とわ子は心が傾いていたファンドの幹部・小鳥遊大史(オダギリジョー、45)のプロポーズを第9話でなぜ断ったのか。ドラマでは語られなかった。

 理由は1つではないだろうが、決定的だったのは小鳥遊の人間性に強い不信感を抱いたからだろう。小鳥遊は自分の恩人でファンドの社長に司直の手が伸びると喜んだ。「これは僕にとって良い知らせです」。恩人とも会社とも揉めずに縁が切れるからだ。

 その時、とわ子は冷めた目で小鳥遊を見つめ続けた。

 優秀だが冷徹な小鳥遊は、欠点があるものの好人物である3人の元夫とは違う。とわ子の好みではない。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年6月19日 掲載