急逝した一人娘を迎えに、とうの昔に別れた二人は極寒の北の大地へと足を運んだ。無言の対面を果たした後、荼毘にふされた娘の遺骨を持ち帰ったのは、睦まじい間柄の父ではなく、生前、確執があるとされた母親の方だった。それはいったい、何を物語るのか……。

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 雪に覆われた街を抜け、昨年12月21日午後、北海道・札幌市郊外に建つ里塚斎場へと入った霊柩車の助手席には、松田聖子(59)が座っていた。彼女の手には一人娘で、35歳の若さで旅立ってしまった神田沙也加の名が刻まれた位牌があった。

 火葬が終わった後、骨壺を抱えた神田正輝(71)は、

「近親者のみでお別れをして、お骨にすることができました」

 と話し、彼の傍らで位牌を手にした聖子は、

「本当に皆さま、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」

 と、ふりしぼるような声を出して頭を下げた。

 24年前の離婚以来、二人だけでカメラの前に並び言葉を発したことはなかった。奇しくも娘の死で顔を合わせることになってしまったわけだが、元夫より一足先に羽田へと降り立った聖子は、胸元に骨壺を抱き、迎えの車に乗り込んだ。報道陣の前では神田が手にしていた骨壺を、なぜ彼女が一人持ち帰ることになったのだろうか。

紅白辞退の舞台裏

 振り返れば、主演を務める舞台「マイ・フェア・レディ」の公演で北海道に滞在していた沙也加は、18日、札幌市内中心部に建つホテルの高層階から転落死した。急逝の一報を受けて、共演していた俳優の前山剛久(30)が、彼女と結婚を前提に交際していた旨を明らかにしたが、騒動は思わぬところに飛び火する。

 沙也加が命を絶った要因の一つに、前山が元カノと関係を続けていたことに悩んでいたと「週刊文春」が報じ、ネットを中心に沙也加へ同情を寄せる声と前山へのバッシングが巻き起こったのだ。予期せぬ娘の死と世の喧噪に、最も心を痛めているのは他ならぬ神田と聖子に違いない。

 沙也加の所属事務所は、〈転落の原因につきましては、神田(沙也加)本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら〉とした上で、〈突然の別れに混乱しながらも、その事実と向き合い、神田を守れなかったという責任を真摯に受け止めております〉とのコメントを発表。聖子も年末恒例のディナーショーを中止し、25回目となるNHK紅白歌合戦への出場も辞退するに至ったのだ。

 スポーツ紙の芸能記者によれば、

「NHKに対しては回答を留保しつつも、聖子さんはクリスマスイブの段階まで紅白出場の意思を持っていたそうです。沙也加さんの訃報で紅白の曲目発表などが延期されましたし、出演しないと秒刻みで組まれている紅白の進行に穴を開けてしまう。プロとして“娘のためにも、私がしっかり歌わなければ”と、自分を鼓舞していたそうです」

涙を拭いながら…

 遡れば2011年の紅白で、聖子と沙也加はテレビ初共演を果たし、「上を向いて歩こう」をデュエット。聖子が大トリを務めた14年にも共演し、「アナと雪の女王」で注目を浴びた沙也加が熱唱する場面では、涙を拭いながら娘を見守っていた。母と娘の歴史を語る上で象徴的な舞台ゆえ、今回も出演すればかなりの話題となっただろうが、クリスマスの25日にNHKから“聖子出場辞退”が公表されたのである。

「スポーツ紙が“聖子、紅白出場へ”と報じたことで、業界内でも賛否両論となりました。やはり紅白は歌の祭典ですから、彼女が出れば他の歌手らの注目度は下がり迷惑を受ける。そうした懸念が彼女の耳に入ったそうですし、数多(あまた)のスキャンダルを撥ね返してファンの共感を得てきた彼女も、我が子を失ったとなれば話は別で、喪に服する道を選んだのだと思いますよ」(同)

 公私の別なく己の生き様をウリにしてきた聖子も、娘の死と静かに向き合う時間を欲したのかもしれない。

 片や札幌で沙也加の遺骨を見送った神田は、25日に大阪の朝日放送でテレビの生番組に出演している。MCを務める「朝だ!生です旅サラダ」(テレビ朝日系)では、共演者たちがやや硬い表情であることを察したのだろう。番組冒頭で神田は、「僕は元気ですよ」と笑顔で手を振り気丈に振る舞い、90分の生放送を乗り切ってみせた。

「前回の放送直後、生放送を終えた神田さんに沙也加さんは電話をかけている。誕生日の前祝いを兼ねていたそうですが、その数時間後に彼女は変わり果てた姿となって発見された。そんなトラウマを乗り越えて神田さんは出演したわけです」(同)

 芸能ジャーナリストの佐々木博之氏が振り返る。

「10年ほど前、神田さんが『旅サラダ』の出演で大阪に来ていたときのことです。沙也加さんと一緒のところに出くわしました。二人で食事に行くところでしたが、神田さんに“ウチの娘です”と紹介されたのです。私はもちろん分かっていますよと答えたんですが、神田さんは“また若い女性と大阪で遊んでいた、なんて書かれちゃ困るからね”と冗談めかして笑っていました。沙也加さんは隣でニコニコしていて、二人の仲の良さを痛感しました」

 5年前、前夫とハワイで挙式した沙也加は、父親のみを招待しており、聖子は娘の結婚について一切コメントを出していない。

「密葬で喪主は二人」

 かつて「一卵性親子」と呼ばれた聖子と沙也加の間に、拭い難い確執があることはこれまで再三にわたって報じられてきた。聖子は沙也加の芸能活動や交際相手の男性についてとやかく口を出し、諍いが絶えなかったという。

 さる芸能関係者が言う。

「昨年10月、新曲のプロモーションでラジオ番組に出演するため聖子さんがニッポン放送を訪れた際、たまたま他の仕事で沙也加さんも局内にいたんです。親子の不仲を知る関係者たちが、バッタリ鉢合わせすることのないよう、二人の動線を変えたりするなど苦慮していました」

 聖子に遺骨を持ち帰られることを沙也加は望まないのではないか。そう指摘する声もあるが、芸能関係者はこう続ける。

「葬儀は近親者のみの密葬で、喪主は正輝さんと聖子さんの二人という形で行われましたが、離婚直後に親権を得たのは聖子さんでしたからね。当初は沙也加さんが学校など日常生活でも困らないよう、戸籍を新たに作って母娘とも神田姓を名乗っていました。そうした経緯から、聖子さんが遺骨を引き取るのに正輝さんも異論を挟まなかったのでは」

幼いころから沙也加さんの面倒を見てきた祖母

 さらに、彼女自身が遺骨を持って帰ったのには、沙也加にとってかけがえのない人の存在があったと話すのは、松田聖子を長年取材してきたベテラン芸能記者・青山佳裕氏である。

「聖子さんの母親で、沙也加さんからすれば祖母にあたる蒲池一子さんの下で、納骨までの間は供養するつもりなのだと思います。海外進出などで長期にわたって家を空けることが多かった聖子さんに代わって、一子さんは幼い頃から沙也加さんの面倒をみてきた。当時、小学生だった孫娘を連れて、一子さんは近所のユニクロで買い物をするなど、愛情を注いでいました」

 複数の外国人男性との交際や再婚を繰り返す聖子に対し、多感な時期の沙也加を慮って忠告してきたのも祖母だったという。

 先の芸能関係者曰く、

「沙也加さんも祖母の側につき母との間に溝があった。にもかかわらず何かと芸能活動や交際男性に口出しをしてくる聖子さんに対し、沙也加さんは反発してきた経緯があった。今回、なんとか札幌まで駆けつけた一子さんも、ここ最近は体調を崩して聖子さんが自宅で面倒をみているそうですから、ひとまずは祖母に見守ってもらおうと、遺骨を持ち帰ったのだと思います」

 聖子の実兄で沙也加の所属事務所代表を務める蒲池光久氏に聞くと、

「伯父という立場ではありますが、お話しできることはありません。納骨は通例どおり四十九日になるとは思いますが、詳しいことは何も決まっていないので……」

 絶縁した母の元に戻った沙也加は、泉下で何を思っているのだろうか。

「週刊新潮」2022年1月13日号 掲載