姉の降板報道は、これまでの人生をあまりの速度と強度で走り続けた結果なのかもしれない。華やかな舞台に立つまでに本人と家族が重ねてきたのは凄絶な苦労。借金、生活苦、父の病……。トップ女優となった姉妹には知られざる「ファミリーヒストリー」があった。

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「どうやらちょこっとお休みが必要のようです」

 今年の9月から始まる劇団☆新感線の舞台に出演予定だった広瀬アリス(27)の降板が発表されたのは4月23日のこと。アリスは25日に自身のツイッターで謝罪し、こうつぶやいた。

 彼女はこの4月から始まったフジテレビ系と日本テレビ系のドラマに主演。同クールに二つのドラマに出るなど業界では異例中の異例である。そのため今回の騒動について、

「メンタル面の問題ではないが、事務所の方針で露出を増やし続けた末の過労ではないかとささやかれている」(芸能デスク)

 かたや、すず(23)の仕事ぶりも目覚ましい。3月、テレ朝のスペシャルドラマで津田塾大学の創始者、津田梅子を演じ、今月には松坂桃李と主演する映画「流浪の月」が公開された。

 切磋琢磨しながら、いまや押しも押されもせぬ人気女優となった姉妹。姉に「休息」が必要になるほど、彼女たちは芸能界を全力で駆け上がってきた。

苦難の歴史

 その姉妹の原点と原動力は生まれ育った「地元」にある。

 古来、港町として、軍事や交易の要衝として栄えてきた静岡市清水区。広瀬すずは出身であるこの地について、かつて雑誌のインタビューでこう語っている。

「海は近くにありますね。(中略)普通の家でした」

 港から山間へ車を走らせた先の住宅街にはかつて、一際目立つピンク色の一軒家があった。そこはアリスとすずが育った思い出深い「普通の家」。しかし、いまはもうない。すでに売却され、建物は同じとはいえ、外壁は別の所有者によって塗り替えられてしまっているのだ。

 愛着のある実家が人手に渡ってしまったのはなぜなのか。広瀬家が描いた軌跡をたどると、見えてきたのは長い苦難の歴史であり、二人の活躍の礎となった凄絶な物語――。

お父さんもお母さんも美男美女

「もともと、アリスとすずのおじいちゃんが地元で商売をやっていたんですよ」

 とは、かつての実家の近隣住民である。

 広瀬家が営んでいた会社は二つあった。一つは祖父が社長を務めていた看板屋。もう一つも同じく祖父が代表となり、所有していた小さなビルの賃貸収入や喫茶店経営を主とする会社だ。

「看板は飲食店や個人商店など、地元の小規模な取引先を相手に作っていました。社員も1人か2人いるくらいのものでした。地元商店街の看板も作ったとおじいさんは言っていましたね」(同)

 その看板屋が設立された直後、1994年にアリスが、98年にすずが生まれる。アリスの一つ上には兄がおり、3人きょうだいだった。

 この住民によれば、

「お父さんもお母さんも美男美女で、きょうだいは3人とも仲良かったよ。お父さんはおじいさんの看板屋を一緒にやっていて、お母さんは専業主婦か会社を手伝う程度だったんじゃないかな。アリスは明るいしっかり者、すずは男勝りな性格だった。家の近くでキックボードで遊んだりね。お兄ちゃんはすず似でジャニーズ系のイケメンでした」

3千万円以上の借金

 アリスは小学校6年生だった2006年にスカウトされ、その後デビュー。生活が暗転するのは、アリスが中学3年、すずが小学校5年に上がろうかという2009年春のことだった。

「おじいさんが病気で亡くなってしまったんです。急のことだったようで……」

 とは、一家の事情を知る飲食店主である。

「おじいさんはアリスが載っている週刊誌をたくさん買い込んで楽しみにしていました。アリスら孫が遊びに来ると、“一緒に写真撮りな! 今に売れるから”と勧められました。亡くなったのは胃がんによるものと聞いています」

 しかし、祖父の死後に発覚したのは「借金」だった。

「金額は分からないけど、家族は知らされていなかったみたい。おばあさんはおじいさんが亡くなった後に“借金残すなんて……”と愚痴っていました。そもそも看板屋の経営がうまくいっていなかったようで、亡くなると、おじいさんが所有して住んでいたテナントビルと土地を売却せざるを得ませんでした」(同)

 当時の登記簿を見ると、自宅などを担保にそれまで3千万円以上を借り入れていたことが確認できる。その後、看板屋は姉妹の父親が継ぐことになった。

「看板屋は市内で工場を移転することになり、さらにその翌年には、おじいさんが経営していたもう一つの会社を清算しています。お父さんは当時、“(祖父の)保険金とビルの売却益で看板屋を回している”と話していました。よほど事業が苦しかったのでしょう」(先の住民)

家賃も滞るように…

さらに、一家を襲ったのが大黒柱たる父の「病」だった。

「10年ちょっと前に、お父さんが倒れちゃったんです。脳の疾患だったとかで、体にまひが残るほどでした。お父さんは昔から焼酎が好きで、それがたたったという話でした。命は助かったけど、その後のリハビリが大変だったみたい。仕事場にも姿を現さず、会社は開店休業状態になってしまった」(会社関係者)

 そして倒れて1年ほどすると、家賃まで滞るように。

「資金繰りもきつかった。奥さんが実家に頼み込んでやっとのことでお金をかき集め、家賃を支払っていましたけど、それも限界に。それらのことは娘には一切黙っていたようです。そして、工場も引き払うことになったのです」(同)

 父は自宅付近などで妻に手を引かれ散歩しているところを目撃されるなどリハビリに励んでいたが、背に腹は代えられなかった。一家で暮らしていた自宅も手放すことになるのだ。

 この関係者が続ける。

「アリスはすでに上京していて、すずは中学校3年生でした。前年にはモデルとしてデビューしていた。奥さんはお父さんと疎遠になってしまったのか、自宅を売った後、奥さんとすずと兄の3人が区内のアパートへ転居するのです。そこはすずが通っていた中学校に近く、2階建ての軽量鉄骨造のアパートの一室で、家賃は約4万5千円ほどだった。そこから制服を着たすずが毎朝、登校していました」

 多感な時期に家族や住む場所の環境が変わり、心理的に大きな負担があったことは想像に難くない。

 小学校2年生から姉の影響でバスケットボールに打ち込んでいたが、実はこの頃、交際する男性がいた。

「金髪の同級生」

 当時を知るすずの知人によれば、

「彼氏は中学が違うんだけど、金髪の地元の同級生だったんだよね。当時はみんな携帯を持ってなくて、“とりあえず公園かコンビニに集合”みたいな感じなんだけど、その同じグループに彼とすずがいた。すずはスウェットにサンダルとかでたむろしてて、彼氏はなぜか原付とかビッグスクーターを持ってた。もちろん無免許なんだけど。ビッグスクーターに乗るときはすずも後ろに乗せたりして。あ、ヘルメットはしてたよ」

 人気女優として階段を上り始める頃の、知られざる青春の一コマである。

 すずは14年春、中学卒業とともに上京し、アリスや母とともに同居。都内の高校に通いながら、本格的に芸能活動をスタートさせる。同級生とも破局したようで、

「彼は高校に行かずに仕事してたんだけど、すずが活躍するようになって、周りの子が彼に“売れてきたねー”って言ったら“付き合っていたってことを誰にも言わないと約束させられた。一筆書かされたんだ”って言ってたんだって。事務所に誓約書を書かされたってことでしょ」(同)

 その「元カレ」に早朝、一連の事実を聞こうとするも、

「仕事なんで……」

 そう言って、自転車に乗り、走り去っていった。

酒気帯び運転で事故を起こした兄の現在

 ともあれ、すずは15年に是枝裕和監督の「海街diary」に出演、翌年に「ちはやふる」で映画単独初主演を果たす。アリスは17年の朝ドラ「わろてんか」でのコメディエンヌの演技が業界で話題となり、ブレークの萌芽となった。

 しかし、なお姉妹の苦境は続く。今度は18年1月に兄が酒気帯び運転で事故を起こし、静岡県警に道交法違反などで逮捕されてしまうのだ。

「当時お兄さんが住んでいたのが、すずが中学3年のときに住んでいたアパートなんです。すずとお母さんが上京した後、お兄さんは一人でそこに住んでいて、よく友達を呼んで酒盛りしていました」(先の住民)

 当時の報道を受け、アリスとすずはそれぞれ謝罪。その兄の現在はというと、

「事件後もしばらくはアパートに住んでいて、引っ越すときも“近くに行くだけです”とあいさつしていた。いまは静岡市内の小さな部品工場で働いていると聞いています。事件は起こしてしまったけど、根は素直な性格で、いまは真面目に働いているそうですよ」(同)

広瀬家の親族に聞くと…

 広瀬家に訪れていた数々の不幸の連鎖。映画やテレビで見る彼女たちの姿はそれをみじんも感じさせない。

 祖父とともに働いていた広瀬家の親族に聞くと、

「二人が苦労したという話は私たちが言うことではありません。本人たちが話せばいいんですよ。“昔、苦労してたよー”って」

 高校卒業時のインタビューですずは自身の仕事ぶりを問われ、こう答えている。

「一度始めたことは最後までやり遂げないと気が済まない(中略)自分でこうと決めたら、どうしてなんだろうというくらい意志が強いんです」

 窮乏状態の実家のため、オーバーワークになるほど働き詰めだったアリス。その姉の背中を追いかけ、追い越さんとするほどの人気を誇るすず。

 家族を救い、幾多の困難を乗り越えたけなげな姉妹はその「強い意志」でこれからいかなる人生の物語を紡いでいくのか。

「週刊新潮」2022年5月5・12日号 掲載