6人の名優が演じた「水戸黄門」の3代目・佐野浅夫氏が亡くなったのは6月28日のことである。私生活では74歳の時に21歳年下の元芸妓と電撃結婚、世の男性をあぜんとさせたものだ。最期を看取った妻の以句子さんが振り返る。

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「先生(佐野氏)の容体がおかしくならはったのは亡くなった日の夕方のことでした。最近は食事ができずベッドに寝たままお腹に点滴をしていましたが、私のお喋りぐらいは聞いておくれやした。ところが、その日の夜8時ぐらいに荒い息の音が聞こえ、とても苦しそうにしていました。すぐに掛かりつけの医院に電話したのですが、医師が駆けつけた時はすでに意識はありませんでした」

 享年96。事務所は老衰と発表した。

「三越で何百万円分も洋服を」

 佐野氏の後半生は、そのまま以句子さんと過ごした時間といえる。2000年11月、佐野氏は約8年続けた黄門役を引退するのだが、その少し前に以句子さんとの入籍が明らかになる。彼女が芸妓を辞めて祇園で始めた貸席「紫惟(しのい)」に佐野氏が訪れたのが出会いのきっかけだった。

「先生は前の奥さんと死別しており私も離婚していました。でも再婚するつもりはなかった。私はお店を続けたかったのです。でも先生が母に“後妻に欲しい”と熱心にアプローチ。外堀を埋められたような形で結婚することになったのです」

 以句子さんは佐野氏の住まいがある東京に移り画家(元白日会)としてデビュー。目黒で料理店を開いたりもした。

「結婚の際、先生は“娘と嫁が一緒にやってきたようなもの”と喜んでいましたが、愛娘を甘やかすように贅沢させてもらいました。三越で何百万円分も洋服を買ってもらったけど、ほとんどは私からお願いするのではなく、先生が“買いなさい”と言うのです」

覚悟していた

 黄門役引退後の佐野氏は、老人ホームの慰問で大歓迎された。だが、08年に脳梗塞を患う。その際には将来、認知症になることも医師から告げられていた。

「それもあって17年に東京を引き払い私の実家の京都に二人で戻ってきたのです。弱った先生を守りたかったのでまわりにはお伝えしておりません。でも、コロナをきっかけに先生は人の顔も分からなくなっていた。また、だんだん眼も悪くなってきました」

 以句子さんは思うように歩けない佐野氏を抱きかかえては室内を移動し果物を搾っては飲ませてあげた。最初の頃は、佐野氏も入浴を手伝うヘルパーに「君も一緒に入りなさい」と冗談を飛ばす余裕もあったという。

 だが、今年5月に佐野氏は誤嚥性肺炎で緊急入院する。

「6月初旬にはいったん退院できて、先生も大喜びしていたのですが、私は“いつ何があってもおかしくない”と覚悟していました。それでも先生を病院で一人にしたくなかった。可愛がってもらったぶん私が最期まで看取ると決めていました」

 以句子さんは真言宗御室派の総本山仁和寺の御室霊園に佐野氏の墓を建てるという。

 時代劇を支えた名優がまた一人いなくなった。

「週刊新潮」2022年8月11・18日号 掲載