婚活とは現代の生んだ結婚へ向けての合理的なシステムのはず。だから、私たちは何となく婚活による結婚には恋愛要素が希薄であるかのように捉えてしまいがちだ。双方が条件を出し合って、マッチすれば進むし、そうでなければ次へ。ゲーム性が感じられる。しかし、実際には生身の人間同士の出会いだ。だから、当然恋愛感情は芽生える。成就しなければ心は傷つく。そして、それは年齢とは関係ない。

 還暦間近、57歳からの結婚を目指し、婚活を続けるフリー・ライターの石神賢介氏の体験は本連載ではどちらかというとコミカルな感じで綴られてきたが、実際には恋に破れ、足腰も立たないほど、食事の味もわからなくなるほど打ちのめされたこともあるようだ。

(文中の紹介文、登場人物はプライバシー保護の観点から一部を変更してあります)

失恋

 目が覚めると、視界がぼんやりと、まるでヴェールに覆われている気がした。

 体に力が入らない。どういうわけだ……。

 徐々に脳が覚醒してくる。

 そうだ、オレ、ふられたんだ……。

 自分がおかれている状況を思い出す。こんな朝が、もう1カ月以上続いている。婚活でこんな思いをするとは、想定外だった。

「あああああー!」

 天井に向かって叫び、自分に喝を入れ、ベッドから起き上がる。

 30代後半くらいからだろうか、女性にふられても深く傷つくことはないと思っていた。すでに何度も失恋体験を重ね、免疫力があると信じ切っていた。実際、30代でも40代でも、何度も女性に去られた。ふられればがっかりする。心も乱れる。それでも、数日で回復した。仕事のモチベーションが落ちることなどまったくなかった。大人になるとは、そういうことなのだとたかをくくっていた。

 ところが、57歳でガツンと足腰も立たないくらいに打ちのめされた。

 その女性はアイコさん(仮名)。50歳。美大を目指す子どもたちに個人レッスンで絵を教える仕事をしていた。

 彼女とは結婚相談所を通して出会った。

「新規のお見合いの申し込みがあります。応じますか?」

 担当カウンセラーのコジマさんから連絡が来た。

「どうしよう。どう思いますか?」

 逆にコジマさんに訊ねた。50歳という相手の年齢を知って躊躇したのだ。30代から40代前半の女性からの申し込みを複数もらっていたので、成婚にはほど遠いにもかかわらず傲慢になっていた。ひょっとしてオレいけてる?と、容姿が並以下の57歳のジジイであるにもかかわらず、勘違いしていたのだ。

「写真を見る限り、素敵な女性ですよ。お会いになったほうがいいのでは」

 コジマさんにうながされて顔写真を見た。気が強そうだけど美しい。50歳には見えない。若いころの写真をアップしているのではないだろうか。

 少し迷い、それでもお見合いに応じることに決めた。彼女のコメント欄に住まいのエリアが書かれていて、家が近そうだったのだ。近所で手間をかけずに会えると思った。

3カ月で20回を超えるデート

 アイコさんとのお見合いの場所は中野のホテルのレストランになった。平日のランチタイムとディナータイムの間はカフェとして使われているラウンジだ。彼女も僕もフリーランスなので、平日の昼間でも時間の調整ができた。

 ラウンジに入ると、すでに彼女は座っていた。あわててテーブルに駆け寄って挨拶をすると、輝くような笑顔で応じてくれた。今思うと、あのときの笑顔で僕は腑抜けにされた。彼女はどう見ても50歳とは思えなかった。実年齢を知らなければ30代と言われても信用しただろう。

 僕は高揚し、婚活をしているいきさつ、仕事のこと、好きな映画や音楽について、しゃべりまくった。彼女も自分について、隠さずに話してくれた。美大を出てずっと絵を教えていること、長い恋愛に敗れて婚活を始めたことなどだ。結婚相談所ではすでに7人の男性に会ったという。いい人過ぎてつまらない男性と、下心が露骨な男の両極端だったと言った。

 アイコさんとは2日後にも食事をした。そのさらに2日後には映画を観た。翌週も翌々週も食事をした。住まいが近いので、地元で飲食しまくった。何度会っても話題は尽きない。ただ、結婚相談所での交際なので、それ以上の進展はがまんした。慎重を期したのだ。ひょっとしたらこの女性とゴールできるかもしれない……。そう考えるようになった。

 登録している結婚相談所で定めている交際期間は3カ月。そこでひと区切りとなり、いわゆる真剣交際の段階へ進むか、進まないかの判断をしなくてはいけない。真剣交際に進んだら、並行して会っているほかの相手には断りを入れるのがルールだ。断った相手とは二度と会わないことはもちろん、連絡をしてもいけない。

 アイコさんとの3カ月交際はあっという間に過ぎた。その間20回以上は会ったはずだ。真剣交際へ進むかやめるか決めなくてはいけない期限が近づいてきた。

 そんなある夜、食事の後、アイコさんに聞かれた。

「今、何人の女性と会っていますか?」

 その時点で、僕は同時進行の女性はいなかった。気持ちをアイコさんに集中させていたのだ。

「アイコさんだけですよ」

 正直に答えた。

「そうでしたか……」

 彼女がかすかに目を伏せる。

「ひょっとして、ほかの男性と同時に会っていますか?」

 一応聞いた。そのときは同時進行の男性会員はいないと思っていた。かなりの頻度で僕と会っていたからだ。

 しかし、思いもよらぬ答えが返ってきた。

「はい。今、5人の男性とお会いしています」

「えー!」

 驚愕した。ほかにも同時に会っていたとは。しかも5人も。その日まで、そんなそぶりはまったくなかった。あっぱれだ。

 たとえば、世の中の妻は夫が浮気をするとすぐに気づくらしい。しかし、妻の浮気に夫は気づかない。男は概して阿呆で、すべてが態度に表れる。でも、女は見破られないように完璧にふるまえる。

 その2日後、結婚相談所を通して、アイコさんから僕との交際を終了する連絡がきた。

「3カ月続いて、私は成婚退会になると思っていました。ほんとうに残念でした」

 コジマさんが、さして残念でもなさそうに電話で伝えてきた。

 その翌日、アイコさん本人からもラインでメッセージが届いた。

「相談所での3カ月間の交際、ありがとうございました。とても楽しい時間でした。でも、結婚を前提としてのお付き合いは難しいと感じたので、すみません。お会いしている過程で、私は安定したお仕事をしているかたと静かに暮らしていきたいのだと気づきました。ご縁はありませんでしたが、おたがい頑張りましょう」

 がっかりしたけれど、精一杯見栄を張ってレスポンスをした。

「交際終了のこと、相談所からも連絡が来ました。残念ですが、しかたがないと思っています。お目にかかれなくなりましたが、これからもお体だけは大切に。アイコさんの幸せをお祈りしています」

 相談所では交際終了とともに個人的に連絡を取り合ってはいけないルールを定めているが、このくらいは許してくれるだろう。

心の治療

 その日から体に力が入らなくなった。何をしても楽しくない。何を食べてもおいしくない。ベッドに入ると10時間でも15時間でも眠ってしまう。

 これはまずい、と感じて毎朝必ず9時からジムでエクササイズを行うことにした。ストレッチをひと通りやって、レッグプレス、チェストプレス、腹筋マシン……など、鉄の塊を力いっぱい持ち上げたり、押したりを1時間ほどくり返す。朝きちんと起きて、決まった時間に、決まったことをしないと、生活がむちゃくちゃに乱れると感じた。

 仕事には没頭した。必死に働いている時間はふられたことを忘れられる。とくに取材には救われた。相手に向き合って質問をするには大変な集中力が必要なので、ほかのことをまったく考えない。しかし、取材が終わると同時に心がふにゃふにゃになった。

 結婚相談所のサイトで女性のプロフィールを閲覧すると、まだアイコさんは登録している。見てはいけない、と思いながらもつい開いてしまう。やがて、アイコさんのプロフィールに、真剣交際に入ったシグナルが表示された。これは誰か一人の男性会員に決めたサインで、ほかの男性は彼女に交際を申し込むことができなくなる。断られたことに加え、こうしている時間も彼女がほかの男性と親密になっている事実が僕を苦しめた。

 そんなとき、2人の女性がお見合いを申し込んでくれた。どちらも38歳。色気ムンムンの会社員のケイコさんとスレンダーなダンサーのジュンさんだった(どちらも仮名)。もちろん会った。どちらかと縁があればいいと、切実に思った。

 2人とも積極的で、相談所のルールなどいっさい気にしない。すぐに家にやってくるようになった。正常な判断力を失っている僕は状況を受け入れた。

 毎週月曜日から金曜日まで、僕はガツガツ働く。気を緩めると、アイコさんにふられた記憶がよみがえるからだ。土曜日の午後、ケイコさんがやってくる。2人でご飯を食べ、翌朝まで過ごす。日曜日の午後にケイコさんが帰ると、すぐにシーツを取り換える。やがてジュンさんが訪れる。食事をして、翌朝まで過ごした。月曜日の午前にジュンさんが帰ると、金曜日までまた狂ったように働く。

 そのサイクルを1カ月くり返し、この暮らしは人としてまずいと思った。心が壊れると感じ、結婚相談所を退会することにした。

 コジマさんには退会を止められた。まだ契約期間が残っていて、会費も支払い済みだったのだ。でも、そんなことはどうでもよかった。

 このときまで、婚活のツールによってすでに多くの女性と会っていた。ただし、ほとんどは1、2回。5回以上会った人など数人しかいない。

 しかし、時間の許す限り会う回数を重ね、相手が何を求めているのかを察し、何を求めているのか自分の胸にもっと問いかけなくては、幸せはつかめないと感じた。

 アイコさんとは、実は相談所を退会した半年後に再会した。なにを思ったのか、ご機嫌うかがいのラインが届いたのだ。彼女も相談所を退会したという。何度かやり取りした後、久しぶりにお茶を飲むことになった。

 平日午後のカフェで待ち合わせると、変わらず美しいアイコさんが現れた。日中に会うのは最初のお見合い以来だ。

 その姿を見てテンションの上がった僕は、こりずに真っ昼間のカフェで3時間以上アイコさんを口説いた。彼女はあきれ、カフェの店員もあきれ、隣のテーブルの女性客もあきれた。

 その努力は実らなかった。しかし、気持ちの整理がついた。思えば、相談所に登録しているときはルールを意識し過ぎて、積極的に口説いてはいない。自分の思いを伝えることなくふられたのである。しかし再会し、3時間もかけてばかみたいに口説いたことで、けじめがついた。あの3時間は、心の治療だったのかもしれない。

 婚活もふつうの恋愛と同じ……。アイコさんに手痛く断られて気づいたことだ。

 それまでは、婚活は条件や容姿の好みで相手を選ぶ合理的なシステムだと思っていた(厳密にはそう思っていたことも意識していなかったが)。しかし、一人の女性と短期間で20回以上会ったことで、婚活も恋愛の一つで、そこに生々しい“情”が生まれ育まれる体験をした。

石神賢介(イシガミ・ケンスケ)
1962(昭和37)年生まれ。大学卒業後、雑誌・書籍の編集者を経てライターになる。人物ルポルタージュからスポーツ、音楽、文学まで幅広いジャンルを手がける。30代のときに一度結婚したが離婚。

2021年1月16日 掲載