11月15日、老衰のため95歳で死去した創価学会の池田大作名誉会長(1928〜2023)。生前、創価学会の機関紙・聖教新聞は頻繁に、池田氏が名誉学術称号や外国の勲章を受章したことを報じた。贈られた名誉博士や名誉教授といった称号は実に400を超え、勲章も30に迫る。名誉市民などまで含めると優に1000は超えるといわれる。

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 池田氏により設立された東洋哲学研究所の公式ホームページによると、彼が初めて名誉学術称号を受章したのは1975年5月、ソ連(当時)のモスクワ大学から贈られた名誉博士号だった。以来、ペルーの国立サンマルコス大学・名誉教授、中国の北京大学・名誉教授と続き、ロシアの国立高エネルギー物理研究所・名誉博士、サハ共和国の北極文化芸術国立大学・名誉教授、ブリャート共和国のブリャート国立大学・名誉教授、パナマのパナマ大学・名誉博士なんていうものまで続々と増えていく。

 聖教新聞の報道に一般紙も追随するようになる。

《創価学会の池田氏、名誉称号200件目受章》(読売新聞:2006年10月8日)
《通算250番目の名誉学術称号―池田名誉会長》(静岡新聞:09年3月22日)
《創価学会:池田大作氏、名誉学術称号300に》(毎日新聞:10年11月22日)

 まるでプロ野球のホームラン記録のようだ。ところが、池田氏が表舞台に立たなくなった2010年以降、一般紙の報道はなくなった。それでも受章は続いた。

 東洋哲学研究所によると、今年8月、池田氏が亡くなる3カ月前に贈られたマレーシアのニュー・エラ大学学院・名誉文学博士を含め、実に408の名誉学術称号を受章。そのうち127が中国からのものだ。

学歴コンプレックス

 国家からの勲章は、1978年10月、ドミニカ共和国からの「建国の父勲章」にはじまり、ペルー共和国「ペルー太陽大十字勲章」、コロンビア共和国「国家功労大十字勲章」といった中南米諸国を中心に、確認できるだけで28の勲章を受章した。

 さらに、国連から贈られた国連平和賞(83年8月)や国連栄誉表彰(88年6月)といったものまである。それにしても、なぜこんなに集まったのだろう。元創価学会員でジャーナリストの乙骨正生氏は言う。

「池田氏は1970年の言論出版妨害事件で謝罪に追い込まれ、意気消沈していました。ところが、73年公開の映画『人間革命』の成功で学会は息を吹き返し、75年には海外組織であるSGI(創価学会インタナショナル)を設立。SGIの発足と同時に、モスクワ大学から名誉博士号を与えられました。学会のイメージ回復にために大いに役立ったと思います。その前年にソ連を訪問し、アレクセイ・コスイギン首相(1904〜1980)と会見したことが大きかったと思いますが、以来、池田氏は名誉博士号の“コレクション”を増やしていきました。その背景には、彼の学歴コンプレックスが大きく関係していると言われています。彼は大世学院(富士短期大学を経て現在は東京富士大学短期大学部)の夜間部に入学するも中退。創価学会会長になってから再入学し、学会の教学部長に卒論を代筆させて卒業したというのは有名な話です」

 もちろん、学歴コンプレックスだけではない。

独裁者も讃える

「日蓮正宗との問題で、79年に創価学会の会長を引責辞任したことも大きかったでしょう。各国から勲章をもらうことで“俺は世界の会長だ”と誇示することができたからです。さらに、91年に創価学会が日蓮正宗から破門されたことで、実質的な教祖としての権威付けも必要だったのでしょう」(乙骨氏)

 とはいえ、そう簡単に貰えるものではない。

「そのために各国の要人とも会談するわけです。中国の華国鋒首相(1921〜2008)はじめ、パナマの麻薬王で独裁者として知られたマヌエル・ノリエガ将軍(1934〜2017)、後に処刑されたルーマニアの独裁者、ニコラエ・チャウシェスク大統領(1918〜1989)を平和主義者と讃えていました。大学には大量の本を寄贈したり……。日蓮聖人が『後世を願はん者は名利名聞を捨て』とおっしゃっているように、“名利名聞”の最たるものが勲章や名誉称号でしょう。その意味でも、池田氏は仏法に背いていると指摘する人もいます」(乙骨氏)

 もっとも、池田氏のことを「ただのコレクターではない」と指摘するのはジャーナリストの山田直樹氏だ。

「70年代、創価学会はまだ他の新宗教に先を越されていたという焦りもあったと思います。特に立正佼成会の創設者・庭野日敬氏(1906〜1999)は、65年に仏教徒として初めてローマ教皇パウロ6世(1897〜1978)と会見し、79年には宗教界のノーベル賞と呼ばれるテンプルトン賞を受章しました。もちろん池田氏は、テンプルトン賞はもらっていません。そのため彼は、ローマ教皇との会見を望んでいろいろな手を尽くしたようです」

世界戦略も

 94年5月の衆議院予算委員会では、羽田孜首相(1935〜2017)が当時野党だった自民党の深谷隆司氏(88)から「バチカンに外遊した際、ローマ教皇宛ての池田氏からの親書を持って行ったというのは本当か」と追求されている。もちろん首相は認めなかった。

「それもあって、とにかく数で勝負したとも考えられます。また、名誉学術称号を授与されるにあたって、彼が大学の創設者だったことも有利に働きました。怪しげなアジアの宗教者でなく、教育者、思想家としてなら信頼も得られやすいでしょう。さらに、SGI会長として各国を訪問することで、創価学会を世界宗教にするという戦略もあったでしょう。特に東欧や中南米といった地域は、まだ仏教がそれほど広まっていなかったため、SGIにとっては新たな市場だったはずです。そして彼は、受章すると必ず、学会員に向けて『みなさんのおかげです』と言うから、学会員も喜んだ。名誉称号のコレクションは、学会を大きくするために役立ったと思います」(山田氏)

 前出の乙骨氏が言う。

「公明党委員長を務めた元衆議院議員の竹入義勝氏(97)は、勲一等旭日大綬章を受章しました。彼はその後、公明党の最高顧問を解任された上、学会からも除名されました。これは日本で勲章を貰えない池田氏のやっかみとも言われました。彼の最終目標はノーベル平和賞とも報じられてきましたが、とうとうそれは叶いませんでした」

デイリー新潮編集部