紀宮さまを見習われたご公務への姿勢

 天皇家の長女・愛子さまが3月に学習院大学を卒業した後、日本赤十字社に嘱託職員として就職されることを宮内庁が発表したが、担当記者の間では驚きが広がっている。

「愛子さまは2020年4月に学習院大学に入学したものの、当時はコロナ禍で入学式が中止になりました。コロナが落ち着き、昨年4月にようやくキャンパスライフが始まった。大学生活で失われた時間を取り戻すために、卒業後は大学院に進まれると思われていました」

 元宮内記者会の民放報道局関係者は、こう打ち明ける。

 埼玉大学などが2021年11月から翌年1月にかけて行った世論調査では、7割超(76%)が女性天皇を容認。女性天皇実現への期待度や愛子さまの即位を望む声は依然として衰えない中、「『学生生活をまだ楽しみたい』なんていう俗物的な考えはお持ちではないことが改めてはっきりしました」(前出・報道局関係者)と、感心する声さえ聞こえる。

 愛子さまが、日赤で正規職員ではなく、嘱託職員として働かれるのも理由がある。今後、増えることが予想される「天皇家の一員としてのご公務」を優先させながら、日赤職員が担う奉仕活動を、うまくバランスを取りながら両立させるために選択されたものだ。

「紀宮さま(黒田清子さん)が、ご結婚前に山階鳥類研究所で研究員としてご活動中も、天皇家(現上皇家)の長女としてのご公務は疎かにしないために非常勤で勤務されていたのと同じです。叔母のなさりようを見習われたということでしょう」

 と、宮内庁関係者は解説する。

 献血運動などで知られる日赤は、災害や病気、紛争などで苦しむ人を救うための支援を目的とする。小松宮彰仁親王が初代総長だった1877年設立の博愛社を前身として1887年、日本赤十字社に改組した。初代名誉総裁は引き続き小松宮が務め、その後、代々の名誉総裁は皇后がバトンをつないできた。

 現在は皇后陛下が名誉総裁、秋篠宮妃紀子さまと常陸宮妃華子さま、三笠宮妃百合子さま、寛仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さまが名誉副総裁に就かれており、その黎明期から皇室との関係は深い。

「もっと学生生活をエンジョイしたいといった世俗的なご発想は微塵もなく、日赤の活動とご公務に邁進されるご決意だということでしょう。さすがは天皇陛下の一人娘。幼い頃から今上天皇のお背中を見て育ち、事実上の帝王学を修められた結果です」(前出の宮内庁関係者)

「裏金の旧安倍派に関心集中」皇室は……

 岸田首相は2022年1月12日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」について国会報告を行い、

「平成29(2017)年、当時安倍内閣の時代に衆院は6月1日、参院は6月7日、皇室典範特例法案特別委員会で、それぞれ附帯決議をしてもらい、その附帯決議で示された課題について令和3(2021)年3月、政府の有識者会議をスタートさせた。以来10回を超えて議論を行い、取りまとめてもらった。政府はこれを衆・参両院に報告する」

 と述べ、両院議長に報告書を提出した。昨年12月には、就任間もない額賀福志郎衆院議長が、安定的な皇位継承方法について与野党の幹部らと個別に会談。各党の検討状況を聴き取り、党としての考え方を取りまとめるよう議論を促した。これは国会に提出された報告書が「皇位継承の問題と切り離し、皇族数の確保を図ることが喫緊の課題」と指摘し、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保有するか、皇族の養子縁組を可能にして旧皇族の男系男子を復帰させるかの両案の検討を求め、衆・参両院の議長に各党での議論を促進するよう要請していたことを受けたものだった。

 だが国会は、自民党の派閥を巡る裏金事件で「政治とカネ」に関心が集中してしまった。

「元々、目先の自分たちの選挙にしか関心がない政治家ばかりなので、党内最大派閥の安倍派解散の余波は大きい。今国会は、皇室の危機について掘り下げた議論ができる雰囲気には全くなっていない」

 と、全国紙政治部記者は語る。一方で今年は秋篠宮家の長男・悠仁さまが成年され、次女の佳子さまは30歳となられる。なのに、愛子さまが大学を卒業される段階に至っても皇室の将来展望は全く開けていないのだ。

「ホントに10代8人だけなのか」の声も

 今上天皇が第126代天皇となる皇室の歴史で、女性天皇は10代8人いたと定義されている。

 飛鳥時代の593年に即位した第33代の推古天皇に始まり、江戸時代の1771年に退位した第117代の後桜町天皇までの計8人だ。この間、斉明天皇として再び皇位に就いた(重祚した)皇極天皇と、称徳天皇として重祚した孝謙天皇の2人がいた。天皇・皇族の戸籍に当たる大統譜や皇族譜といった皇統譜、明治天皇紀や大正天皇実録、昭和天皇実録といった歴代天皇の伝記(紀・実録)を扱う書陵部の勤務経験がある宮内庁元職員は、

「幕末から大正時代にかけて大枠が整理された皇室の歴史は、しっかりとした根拠に基づく正当なものです」と指摘する。だがその上で「史学、考古学の研究が日々進んでいる以上、全く誤りがないとはもちろん言えません」と、本音も吐露する。

 10代8人の女性天皇が天皇史上では「ワンポイント・リリーフのような存在」というのが、男系男子の皇位継承を絶対視し、女性天皇に反対する識者の主流的な考え方とされる。

「126代のうちの10代ですから約8%。少ない印象ですが男性天皇が大原則と言うのであれば、十分に多い数字であるとも言えます。それに『女性天皇ってホントにそれだけなのかな?』といぶかる(疑う)声も、仲間内ではありました」(前出の宮内庁元職員)。

 明治時代以前には、三韓征伐の武勲で軍神と呼ばれる神功皇后を天皇とみなして第15代の帝とした『扶桑略記』『常陸国風土記』『神皇正統記』などの史書もあった。中国の史書『宋史』には「神功天皇 開化天皇之曽孫女、又謂之息長足姫天皇」とある。だが、1926年の皇統譜令で皇統譜の歴代天皇から外された。

「皇位の男子継承絶対主義に基づき女性天皇にカウントしたくなかったからではないでしょうか」(同)

 第何代とナンバリングはされていないが、飯豊天皇の名で知られる女性皇族もいた。お墓(はか)については、皇族が一般国民と同様の墓(ぼ)なのに対して、天皇は陵とのネーミングで区別されている。飯豊天皇の場合は『日本書紀』で「葛城埴口丘陵」と記載されている。また死去した場合も皇族は薨去だが、天皇だけは崩御で、『日本書紀』には飯豊天皇について「崩(御)」と表記されている。『扶桑略記』では「飯豊天皇」とはっきり明記されている事実もある。

 さらに女帝だった可能性がある3人目として「穴穂部間人皇女」も史家の間ではよく知られる。第29代欽明天皇を父とし、異母兄の大兄皇子(第31代用明天皇)に嫁いで、廏戸皇子(聖徳太子)らを産んだ。久子さまが奉賛会の名誉総裁を務められる奈良の中宮寺は、聖徳太子が母の御所の跡を寺にしたものとされる。

「歴史の解釈である以上、10代8人も捉え方の1つ。皇室の減退を憂うるのなら、歴史の枝葉末節ではなく本質に目を向けるべきです」(同)

 さらに宮内庁プロパーの元幹部は、

「愛子さまは社会人の一歩を踏み出されます。議論を妨げているのは保守を掲げながら皇室の将来に責任を負わない人たちです」

 と“自称保守派”に手厳しい。愛子天皇待望論は単なる待望論で終わるのか。今国会に注目だ。

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部