毎週金曜日にTBS系列で放送されているドラマ「不適切にもほどがある!」が話題を集めている。同作は阿部サダヲさん主演・宮藤官九郎さんが脚本を担当したドラマで、阿部さんが演じる小川市郎がコンプライアンスの緩い1986年から厳しくなった2024年へとタイムスリップしてきて、約40年間の歳月で大きく社会通念や価値観が変化したことが物語の核になっている。

 主人公のふるまいは1986年当時の社会通念や価値観に基づいているので、2024年の社会からは不適切と断じられる。そのため、作中では繰り返し不適切な表現であることを注意喚起するテロップが表示される。

 同作を通じて、「昔はよかった」という思いを抱く人も少なくないだろう。しかし、それは断片的な見方にすぎない。現在と当時を比べて、「昔はよかった」と思われる点はいくつもあるが、他方で現在の方がよい点も多々ある。

300パーセントを超える乗車率…凄まじかった通勤ラッシュ

 例えば、私たちが日常的に使用する鉄道でも多くのルールやマナーが変化した。鉄道分野で大きな変化といえば、日本全国で列車を運行していた日本国有鉄道(国鉄)が分割民営化されてJRになったことだろう。

 小川市郎がタイムスリップしてきた1986年に、現在のJRは存在しない。国鉄が分割民営化されてJR各社が発足するのは翌1987年だ。つまり、小川市郎は国鉄最後の年からやって来たことになる。

 そんな国鉄時代は今よりも通勤ラッシュにおける混雑が激しく、その凄まじさは現在とは比べものにならない。それは数字からも明確に読み取れる。

 2022年度における全国鉄道路線の最混雑率は1位が日暮里・舎人ライナーの赤土小学校前駅→西日暮里駅間で155パーセント、2位が西日本鉄道貝塚線の名島駅→貝塚駅間で154パーセント、3位がJR埼京線の板橋駅→池袋駅間で149パーセントとなっている。

 高度経済成長期の中央線は300パーセントを超える乗車率と言われており、そのほか首都圏の路線では東海道本線など軒並み200パーセントを超える路線ばかりだった。

 車内の混雑で乗客が押し潰され、それは電車の窓ガラスが割れるというアクシデントを引き起こすこともあった。さらに乗客が着ている服が破れてしまうことやボタンが取れてしまうことも珍しくなく、靴が脱げて紛失する事態も頻発した。靴を紛失する利用客が多かったことから、国鉄はサンダルを貸し出すといった対応を取っている。

 スーツが破れたりボタンが取れてしまったら、出社して仕事をするどころではなくなる。そんなサラリーマンを相手にしたビジネスも生まれ、サラリーマンが多く乗降する新橋駅周辺には、ボタンを取り付ける店が出現してもいる。

通勤五方面作戦

 こうした混雑は“殺人的ラッシュ”と形容され、社会問題化した。そして、政治も混雑を解消するために動き出す。

 1965年、中村寅太運輸大臣(当時)が朝ラッシュ時の新宿駅を視察。中村大臣は中央線ホームで乗客を列車内に押し込む駅係員の様子を目にして、「あえて“マンガ”だと言おう。凄まじい“マンガ”だ」と記者会見で語った。

 中村大臣の視察後、運輸省は時差通勤を呼びかけて混雑の緩和を目指した。ただ、それだけでは実効性に乏しく効力を発揮しなかった。

 同年、国鉄は東海道本線・横須賀線、中央本線、高崎線・東北本線、常磐線、総武本線で通勤五方面作戦と称する輸送力強化策を開始する。通勤五方面作戦は加減速に優れた新性能電車を大量に投入することで運転本数の大幅増を実現し、それと並行して線路増にも着手。線路増により列車の運転本数も増える。それによって、混雑の緩和を図ろうとした。

 国鉄が取り組んだ通勤五方面作戦は大規模な工事を伴うこともあり、即効性には乏しかった。それでも歳月とともに効果を発揮していく。

 前述したように、2022年度における混雑率は200パーセントを超えることはなくなり、1965年と比べて混雑率は大幅に改善した。

車両でタバコ

 当時の混雑は壮絶だったが、そんな車内でもタバコを吸う人がいた。車内でタバコを吸っていると表現すると、マナー違反の不届者というイメージを抱くかもしれない。しかし、当時の成人男性は喫煙率が高かった。それを踏まえれば、新幹線や特急という長距離列車の座席でタバコが吸えることは当たり前だった。

 クロスシートやボックスシートの車両には、窓下に灰皿が備え付けられていたことを覚えている人も多いだろう。

 ただ、驚くことに昭和期には通勤型車両のロングシートでもタバコを吸う乗客は多かった。通勤ラッシュの混雑時にタバコを吸えば、タバコの火で服が焦げることや灰で汚れるといったトラブルが頻発することは容易に想像がつく。服が焦げるぐらいならまだしも、最悪の場合は火災になることもあるだろう。

 当時から鉄道事業者は通勤車両を禁煙にし、それをアナウンスしていた。しかし、それらを無視してタバコをふかす利用客は多かった。

 混雑する車両でタバコを吸う人がいるぐらいだから、通勤ラッシュ時に駅のホームでタバコを吸う人はもっと多かった。多かったというよりも、当時は当たり前だった。

 列車内・ホームでの喫煙は2003年に健康増進法が施行されたことで分煙化が進み、少しずつ消えていく。それでも、2010年前後までは社会の変化に対応できておらず、ホームから線路に目を向けるとタバコの吸い殻が大量に落ちていることは珍しくなかった。

 2024年春のダイヤ改正で近畿日本鉄道が特急列車の喫煙車を廃止し、そのほかJR東日本や東海、西日本が運行する新幹線や特急の車内に設けられている喫煙ルームも続々と廃止される流れになっている。車内からタバコのにおいは消し去られ、線路内に吸い殻が大量に捨てられている光景は過去のものになった。これも時代の流れによる変化だろう。

“黄害”

 線路に落ちていたのは、タバコの吸い殻だけではない。そのほか、“黄金色の物体”も無数に落ちていた。

 日本の鉄道史において、一般乗客が使用する列車に初めてトイレが備え付けられたのは1880年だったが、このときに登場したトイレは人間から排出される黄金色の物体をそのまま車外へと垂れ流していた。こうした垂れ流し式の列車トイレは開放式と呼ばれる。

 列車が走行中に用を足せば、車外に排出される黄色い物体は勢いよく飛散する。都市部は沿線に多くの人家が並んでいる。人家を汚せば、当然ながら苦情が出るだろう。

 沿線住民にとって黄色い物体による被害は深刻な問題で、“黄害”と呼ばれた。黄害に悩まされていたのは沿線住民ばかりではなく、処理を担当する国鉄職員も手を焼いていた。

 国鉄は人家の少ない地方都市やローカル線なら開放式トイレでも苦情は出ないと甘く見ていたが、1963年に岡山県の三木行治知事から国鉄総裁に宛てて「列車の便所から放出される汚物の処理について」と題した嘆願書が提出されている。行政が動いたことからも、黄害は地方都市だからといって看過できる問題ではなかったことが窺える。

 翌1964年に走り始めた東海道新幹線はトイレ構造を工夫し、車外に垂れ流さない仕組みになっていた。これで黄害は解決すると思われたが、在来線を走る列車トイレは数えきれないほどあった。

 これら無数の開放式トイレを一気に置き換えることは非現実的で、国鉄はその後も開放式トイレを備えた車両を使い続けている。

 とはいえ、国鉄が黄害に対して何も対策を講じなかったわけではない。国鉄はトイレの扉に「駅に停車中は使用しないでください」という但し書きを掲出。駅は多くの人が行き交う場所であり、停車中に用を足せばそこに“おみやげ”が残される。
 
 ただ、トイレを使用する利用客は便意を催して慌てているから、駅停車中はトイレを使用しないというルールを守れるわけがなかった。ホームで列車を待つ人たちが、開放式トイレからのおみやげを目にすることは頻繁にあった。

 こうした開放式トイレは、1980年代においても主流を占めていた。国鉄がJRに改組する直前にトイレを非開放式に切り替えた車両は5,350両までになっていたが、国鉄時代に全廃は達成できなかった。開放式トイレの全廃という課題は、JR各社に託されている。

 混雑・タバコ・トイレといった、鉄道に関連する3つの事柄だけを振り返ってみても、現代の価値観や社会情勢では不適切と受け取れるような鉄道ルールやマナーが過去には数多く存在した。

 それらは時代とともに社会の意識が向上し、改善された。現代はルールやマナーが多くて窮屈だと感じる人もいるだろうが、こうした時代に戻りたいか?と問われれば、臆面もなくYesと答える人はまずいないはずだ。

「不適切にもほどがある!」は現代社会を風刺する名作だが、だからといって同作を見て「昔はよかった」と安易に口にすることは慎みたい。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部