興味本位で読み始めたとたん、「続きが気になって止まらなくなる」ことから、“3大文学”と称されるWikipedia記事があるのをご存じだろうか。「三毛別羆事件」「八甲田雪中行軍遭難事件」「地方病(日本住血吸虫症)」の3つの記事のことである。

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読み応えたっぷりなノンフィクション・ノベルが原典

 実際にWikipediaの当該ページを読んでみると、それぞれがおどろおどろしい事件で目を引くのだが、なによりも妙に記述が生々しく、つい先へ先へと読み進めてしまう。

「実は、Wikipedia3大文学の解説文は、実在するノンフィクション・ノベルと 関連のある箇所が多いのです。“三毛別羆事件”の記事は吉村昭先生の『羆嵐(くまあらし)』と、“八甲田雪中行軍遭難事件”は新田次郎先生の『八甲田山死の彷徨』と、そして“地方病(日本住血吸虫症)”は小林照幸先生の『死の貝 』を参考にしていることが分かります。3作品とも骨太のノンフィクション・ノベルで、読み応えたっぷり。『死の貝』は最近文庫化されたばかりですが、残りの2作品は新潮文庫のロングセラー作品でもあります」

 そう解説するのは、このたび3作品を並べた「Wikipedia3大文学」フェアの展開をはじめた新潮社の担当編集者だ。

“3大文学”と関わりのある、『羆嵐』と『八甲田山死の彷徨』は既に刊行されていたが、『死の貝』はちょうど4月に発売が開始されたばかりとのこと。なぜ1作品だけ今になって刊行されたのか――。その裏事情を含め、3作品の概要をご紹介する。

「腹破らんでくれ!」

 まずは『羆嵐』の「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん )」から。

 1915年に北海道の三毛別で起きた凄惨な熊害事件。エゾヒグマが開拓民の集落を二度にわたって襲撃し、死者7名(うち胎児1名)、負傷者3名を出した大惨事である。

 最初の犠牲者が出たのは12月10日のこと。太田家の内縁の妻・マユと養子に迎える予定だった幹雄(6歳)がクマに襲われ死亡した。幹雄の遺体には喉と側頭部に親指大の穴があき、マユの遺体は脚のひざ下部分と頭蓋の一部しか残っていなかった。

 翌日の夜、村民たちが2人の通夜を執り行っていたところで、二度目の襲撃が起きる。“獲物”を取り返しにきたのだろうか。昨日2人を襲ったクマが、通夜に乱入してきたのである。棺桶に入っていた2人の遺体は散らばり、恐怖にかられた参列者たちは四方八方に逃げ回る大パニックとなる。

 ほどなく、通夜のあった家から熊の姿は見えなくなったが、今度は別の家族が襲撃を受け、そこでは胎児を含む5人が殺害されることに。この時に食い殺された妊婦のタケが胎児の命乞いをした際のセリフ「腹破らんでくれ!」は、多くのWiki読者にトラウマを与えてきた。

『羆嵐』では、わずか2日間で7人もの命を奪った“人喰いエゾヒグマ”を前に、なす術のない人間たちの様子と、その中でただ一人、冷静沈着にクマと対決する老練な猟師の姿が圧倒的なリアリティで描かれている。

「天は我々を見放した」

『八甲田山死の彷徨』で描かれる「八甲田雪中行軍遭難事件」は、1902年に旧日本陸軍の第8師団歩兵第5連隊が雪中行軍中に起こした山岳遭難事件。

 1894年の日清戦争における冬季寒冷地での戦闘で苦戦を強いられた日本陸軍は、さらなる厳寒の地、ロシアでの戦いを想定し、青森市街から八甲田山の温泉地・田代元湯にかけての雪中行軍を敢行する。

 1902年1月23日から片道約20キロ、1泊2日で計画された行軍訓練には、青森歩兵第5連隊の210名が参加。しかし、指揮系統の乱れなど致命的なミスが重なり、結果的には210名のうち、実に199名が死亡するという大惨事に。最終的な生存者11名も、多くが四肢切断など重傷を負った。

『八甲田山死の彷徨』では、同時期に11泊12日の行軍を実施しながら、全員が生還した少数精鋭部隊「弘前第31連隊」との対比から、組織とリーダーの在り方と、自然と人間との闘いを鮮やかに描いている。

『八甲田山』(1977年公開/東宝配給)のタイトルで、高倉健と北大路欣也のW主演による映画化もされており、劇中での司令官役・北大路が発する台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語にもなっている。

山梨県が「フルーツ王国」になった理由

 そして、『死の貝―日本住血吸虫症との闘い―』で描かれる「地方病(日本住血吸虫症)」は、かつて日本各地 で「不治の謎の病」として知られていた、寄生虫によって引き起こされる病のこと。

 感染すると栄養を吸い取られ、黄疸や腹水を発症。子供が罹ると成長が阻害され、20歳前後の青年が、10歳の背丈のまま成長が止まっていた例もあり、実際にその姿をおさめた衝撃的な写真資料も残っている。

 明治時代に入り徴兵制が開始された際、特定の地域だけ徴兵の合格者が極端に少なかったことに気付いた政府が、本格的に調査を開始。水田に潜む寄生虫が人体に寄生することで起こる感染症だと明らかになったが、安全宣言が出されたのは1990年代に入ってからのことだ。

『死の貝』では、寄生虫の特定から、寄生虫の中間宿主である淡水産の巻き貝 を根絶し、病を克服するまでの、医師や地域住民たちの長い戦いの歴史が克明に描かれている。

 ちなみに、流行地の1つであった山梨県が現在「フルーツ王国」として知られるのは、貝の根絶のため、水田を果樹畑に転作してきた歴史と関係があるのだという。このエピソードからも、この病が長きにわたって人々を苦しめてきた事情が窺い知れる。

書店員の提案をきっかけに復刊が決定

 版元の営業担当者は

「“Wikipedia 3大文学フェア”として、書店で展開して以降の反響は上々で、4月に文庫として復刊した『死の貝』は既に重版も決まっています」

 と話す。実は3作品のうち『死の貝』だけは、別の出版社で単行本が出て以降、長く絶版状態が続いていた。その一方で、記事の“原典”を手にしたいというニーズはどんどんと膨れ上がり、中古本の市場では一時1万円以上もの値がつく“入手困難プレミア本”となり、復刊を求めるイターネットサイトにも復刊希望の投稿が相次いでいたという。

 そうした状況に気付き、出版社にフェアの企画を提案したのは、未来屋書店の商品部に勤める井上あかねさん。

「去年の春頃にX(当時Twitter)でWikipedia3大文学の存在を知り、もともと好きで見ていたNHKの『ダークサイドミステリー』で“三毛別羆事件”と“八甲田雪中行軍遭難事件”が取り上げられていたことがきっかけで、“原典”を読みました。残りの1作品である『死の貝』も読んでみよう、と調べてみたのですが、単行本のまま絶版していると知りまして……。ぜひ復刊するべきだと思ったものの、ただ単に“復刊して欲しい”と伝えるだけでは実現性が低いと思い、3作品をまとめたフェアの企画として提案してみようと考えました」(井上さん)

 この提案に版元は大盛り上がり。他社刊行の絶版本としては異例の速さで文庫化が決まった。

 出版社から文庫化の打診について連絡があった際、著者の小林照幸さんは予想外のことに驚きを隠せなかったそうだ。

「とても驚きました。文庫化で多くの読者の方々に読んで頂けるようになることは嬉しいですし、新たな章を設けるなどの加筆修正も行いました。フェアをきっかけに、偉大な2人の先生の作品と並べて書店に展開して頂けることも大変光栄です」(小林さん)

 Wikipedia3大文学フェアは、4月末から全国で展開中だ。

デイリー新潮編集部