シルバー民主主義

 大阪府の吉村洋文知事が「0歳からの選挙権」を提唱し、「ンなことできるかw」と総ツッコミを喰らった。しかしながら、それもアリではないか、と私(ネットニュース編集者・中川淳一郎)は思ったのである。

 というのも、とにかく日本の政治は「シルバー民主主義」が強すぎる。「高齢者だって次世代のことを考えている」や「立候補する若者が少ないせいだ」などと言われるものの、基本的に現役世代が高齢者を支える構図は存在する。儒教をベースとした敬老の精神もあってか、高齢者を労わる社会制度が充実し、待機児童問題はいつまでも解消されず、男性の育休取得率が低く子育てに対して優しくない社会であるのが現状だ。ベビーカーを電車に乗せようものなら「チッ」と舌打ちまでされる始末。

 高齢者の医療費は一定以上の所得がない大多数は1割負担。バスは無料で乗り放題だし、高齢者向け給付金、高齢者住宅のリフォーム助成制度もある。タンス預金への課税はないし、長寿者には節目で自治体からプレゼントがされたり首長が家を訪れたりする。一方、高齢者を支える現役世代はといえば、40歳以上になれば介護保険料が強制負担だ。

1年を無駄にした日本

 そして、象徴的だったのが5年目に突入したコロナ騒動である。政治は常に高齢者の側を向き、子供・若者はないがしろにされてきたのだ。「おじいちゃん・おばあちゃんを守るため、帰省は我慢」「どこかでコロナに感染し、おじいちゃん・おばあちゃんにうつさないためにも、修学旅行や入学式・卒業式は中止」といったことがまかり通ってきた。

 さらには「高齢者を守るため、リスクの少ない若者・子供もワクチンを利他的に打て。思いやりワクチンが大切」なんてことさえ言われた。まるで特攻隊に志願させられる戦時中の若者のようではないか。

 そして欧米各国が2022年初頭には「こりゃコロナ根絶など無理だ。諦めた! そもそもそこまでリスクのあるウイルスではなくなった!」とばかりに感染対策をやめ、ワクチンのブースター接種も推奨しなくなった後、日本はどうしたか。2023年5月8日の「五類化」まで「安心・安全のため」という大義名分のもと、ズルズルと感染対策を続け、諸外国が「アフターコロナ特需」ともいうべき経済成長を遂げる中、停滞を続けた。

 この1年間はデカかったのでは。何しろ2022年1月、円は115円程度だったのだが、2024年5月、160円を突破した。それでいて給料は上がらず、食費もガソリン代もウナギのぼり。生産はしないが社会保険をたくさん使う高齢者を優遇する政策を訴えれば、票がもらえる。だから政治家は高齢者を優遇するのである。

若者に良い思いを

 財源が足りないがため、医療費の2割負担の検討を訴える良心的な政治家もいるにはいるが、高齢者票を失いたくない政治家が猛烈に反対し、なかなか実現できない。結局選挙は各候補者同士、どれだけ高齢者に気に入られるかだけを考えておけば当選できるのである。そんな時に票を持たない未成年はどうでもいい。何かと忙しく、投票に行かない若者・中年も優先対象ではない。

 そんな政治的志向と国民の投票行動を変える期待を持てるのが、吉村氏が述べる「0歳からの選挙権」なのである。私も初めて聞いた時「ついに吉村さんも狂ったか……」と思ったが、上記のようなことを考えると日本がまともになるための方策はコレしかないのでは、と感じたのである。内閣府が16日に発表した2024年1〜3月のGDP速報値は年率2.0%減。惨憺たる状況である。「失われた30年」は若者が苦渋を嘗め続けたが、その結果が今だ。

 結局社会というものは、残りの寿命が長い者の永続的な幸せを優先すべきだと思う。年齢がある程度いった人間は十分に幸せを享受したのではなかろうか。私は現在50歳だが、自分が今後良い思いをするよりも、赤ちゃん、子供、若者に良い思いをしてもらいたいと考える。先人が作ってくれた交通インフラや水道光熱のインフラと清潔な街づくりのお陰で、1973年生まれの私は十分に恩恵を受けてきた。それがあったお陰で快適な人生を送り続け、社会人になってからは多額の納税をすることができた。その点、現在の高齢者には感謝している。

我が家で4票あるなら

 彼らは衛生的ではなく不便な社会を快適にすべく、粉骨砕身頑張ったわけだ。その時の崇高なる理念は賞賛されてしかるべきだが、リタイア後の日々の生活においては後進に「席を譲る」という感覚でも良いのでは。

 さて、具体的な投票のやり方についてだが、0歳児が投票所で実際に投票するのは無理があるため、現実路線としては、18歳(ないしは16歳に改定)以下は親が子供の持つ一票を行使できる、とする。本人の意思が反映されていないではないか! と思われるだろうが、さすがに政治家を選ぶことは乳幼児には不可能である。だから、親が代わりに我が子の票を使って自分の意思を表明するのだ。親は20〜40代が多いだろうから若年層の声が相対的に増える結果となる。

 そして子供の分まで票が持てると考えると、その子の将来のため投票へ行くモチベーションも上がるだろうし、それまで投票に行っていなかった夫婦も「我が家で4票あるなら行くか」となるかもしれない。子育て世代の声こそ将来の日本にとっては重要なわけで、吉村氏のこの提言はスルーしない方がいい。

 この方法がいいのは、選挙期間中の絶叫アナウンス公害やら、昔ながらの買収作戦が通用しなくなることである。さらには議員が催し物を行脚したり盆踊りに参加して有権者に顔を売るという行為の意味が相対的に薄くなり、国会議員の場合は、中央でまともな政治活動をするようになるかもしれない。

吉村知事の提案が第一歩に

 とにかく「高齢者の方を向いておけば当選できるさ、ガハハハ」みたいな選挙はもううんざりだ。候補者も緊張感を持つためには、「0歳からの選挙権」を一度実験的にやってみるのもいい。

 あと、なぜ「18歳(ないしは16歳に改定)」という条件をつけたかというと、恐らく10歳〜16歳の場合、政治理念も何もなく、目立ちたがりの「ただただ面白い候補者」に投票する可能性が高いのである。

 元々参政権を75歳以上は剥奪すべきという声や、若い世代こそ1票あたりの価値を高めろ、といった意見はあったわけで、吉村知事のこの提案はその第一歩になるのではないだろうか。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部