三笠宮家の瑶子さま(40)は、姉の彬子(42)さまとふたり姉妹である。お二人と、母親・信子さまとの不和が久しく噂され、ネットニュースでも何度か取り上げられている。常に姉妹はコンビのように受け取られがちだが、

「意外な一面をいくつもお持ちだと思いますね」

 と、ある宮内庁OBは打ち明ける。

 学生時代は「私も姉と同じように学業の方を優先していこうと思っています」と話し、姉にならう姿勢を見せていた瑶子さまだったが、なかなか詳細な人物像が表に出てくることのない皇族の中にあって、瑶子さまは特に素顔が知られていない。今回はその人物像を紐解いてみたい。

“お父さん子”は噂以上

 瑶子さまは1983(昭和58)年10月25日、「ヒゲの殿下」として親しまれた故・寬仁さまと信子さまの次女として誕生し、学習院幼稚園からエスカレーターで学習院女子大まで進まれた。大学は国際文化交流学部日本文化学科で学び、2003年に20歳を迎えて、旧民法下で成人となった。

 成年を目前にした同年10月23日には記者会見を行い、

「実感はございません。未熟だと思っておりますので。20歳になってよいのかなという気持ちがございます」

 と、宮内庁担当記者に感想を話し、

「(大学)卒業後は、父が力を入れている障害者福祉のお手伝いができればいい。一般の方々が見習えるような成年皇族として、やっていきたい」と抱負を語った。

 また「父は本当に尊敬できる方。とても頼りになる方ですし、自慢の父でございます。もう本当にすごいなぁと思っております」と述べ、結婚についても、

「運命の方がいらっしゃれば、結婚させていただきたい。好みに関しましては、父のような男性がいい」

 と、“お父さん子”の側面を強くにじませた。宮内庁に出向経験がある他省庁の元キャリアも、こう回想する。

「相当なお父さん子であることは紛れもない事実で、噂されている以上です」

 小学5年で剣道を始め、大学の剣道部に所属して週6日の厳しい稽古に励んだ。今も機会があれば研鑽を積んでおり、5段の腕前。2003年の記者会見でも、

「スポーツを通じて学びましたことは、礼に始まり礼に終わるということと、忍耐力や粘り強さ。一番大きいのは上下関係だったように思います」

 と振り返っていた。

 ちなみに民間から皇室入りした「皇后」や「妃」とは異なり、皇室内で産まれた女性皇族には「内親王」と「女王」がいる。天皇の子と孫が内親王、それ以外が女王だ。瑶子さまは親王家と呼ばれる「宮家」で誕生した。寛仁さまは故三笠宮さまの長男で、三笠宮さまは昭和天皇の末弟である。旧寛仁親王家は天皇直系ではなく傍系(傍流)なので、瑶子さまも女王になる。

 旧民主党政権が12年に女性宮家の創設について論点整理をした際、結婚後も皇族のままとするのは「内親王に限定する」との案を示したが、これは女王を対象から除外するという意味で、内親王と女王には待遇に差があるわけだ。例えば、一般の七五三に当たる皇室行事「着袴の儀」も内親王には行われるが、女王には行わない。

 愛子さまは皇太子家(当時)に誕生した待望の第1子だったため、着袴の儀が大々的に報じられた。小室眞子さんと佳子さまの着袴の儀は、宮家の子のため公表されなかったが、実際は実施されていた。それは、内親王だからだ。だが彬子さまも瑶子さまも着袴の儀は経験されていないのである。

“ファミコン世代”らしさも

「ファミコンのソフトをよく貸していただきました。たくさんお持ちだったんです」

 幼少時から瑶子さまと交流のあった、ある会社員はこう明かす。しつけに厳しい印象の寛仁さまのもとで武道に打ち込んだ硬派なイメージが強いが、「ファミコン世代」といったいかにも現代っ子らしいエピソードである。

 他方で大学卒業後は、公私両面から障害者福祉に尽力。06年12月から12年11月まで日本赤十字社で働き、ボランティアや献血の仕事にかかわった。13年8月、聴覚障害者や高齢者にも快適な社会を実現させるために活動する、一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会の総裁に就任し、14年1月からは社会福祉法人友愛十字会の総裁にもなっている。

 16年の7月から8月にかけて成田発の民間機で米国を訪れ、国際応用人間工学会議に出席。講演も行っている。国際会議への出席は初で、あわせてインクルーシヴ デザイン国際会議にも出席しているが、いずれも同協議会の総裁として出席したものだった。

 難聴者向けスピーカーの研究開発や普及、難聴について理解を深めるセミナーを開くなど国内で難聴者を支援しているNPO法人日本ユニバーサル・サウンドデザイン協会の名誉総裁の職にも21年12月1日付でついており、22年7月には同名誉総裁として仙台市の福祉プラザを訪れ、寛仁さまが生前総裁を務めた社会福祉法人ありのまま舎が主催するありのまま自立大賞の授賞式に顔を出している。式典では、自ら聴覚障害を抱えながらも耳鼻科専門医を目指す一般医の受賞を讃えた。瑶子さまご自身も、感音性難聴である事実をカミングアウトしたのはこの頃だ。

「実父の遺志を継いだ障害者福祉と自身の闘病がシンクロして、活動の動機付けがはっきりしたのでしょう」(前出の宮内庁OB)。

有志の記者と会食

 外遊ではほかに、19年12月に成田発の民間機でミャンマーの最大都市ヤンゴンを訪問。太平洋戦争中に戦没した旧日本兵が多く埋葬されている日本人墓地で献花した。これは今上天皇の即位礼正殿の儀の後に催された祝宴「饗宴の儀」で同席したアウンサンスーチー氏から招待を受け、応じたものだった。

 国立社会保障・人口問題研究所の統計では、日本人の生涯未婚率は年々上昇を続け、20年時点で女性は18%と過去最高を記録。直近の20年間で急激に増加している。

 瑶子さまは今年、41歳になるが、転職サイト「doda(デューダ)」を運営する人材紹介サービスのパーソルキャリアによると、21年の40代女性会社員の平均年収は402万円。24年度に国から瑶子さまに支払われる生活費は640万円、同世代のOLを6割余り上回る。

 宮内庁関係者は「生活にはお困りにならないレベルです」とした上で「お父さまのような個性的な男性に巡り合われることは難しく、どうしてもパートナーが欲しいというお気持ちにはならないまま過ごしてこられたのではないでしょうか」と推測する。

 マスコミ関係者は「彬子さまは本を何冊も出版し、被災地支援のクラウドファンディングを募ったり、手記で実母を暗に批判したり、とにかく発信力がある。控えめなイメージの瑶子さまとは対照的です」と前置きした上で、こう回顧する。

「瑶子さまに自己表現の場をお作りしようと、周囲が密かに有志の記者たちと会食をセッティングしたことがありました。ただ会食中もやはり言葉少ない控えめな方でした」

「ご姉妹は凸凹ぶりがいいコンビでしたが、オトトさま(=父親を意味する宮中用語)という絶対的羅針盤が亡くなり、一枚岩でなくなっているようです」(同OB)

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部