弁護士ドットコムニュースの配信記事「SNSで拡散する不倫の暴露投稿 『私が相手の妻をネットで“さらした”ワケは…』30代女性の懺悔」を紹介したもので、不倫関係をめぐる「さらし行為」を取り上げた内容である。

「さらし行為」とは、配偶者に不倫をされた人間が、不倫相手の情報をSNS等に掲載することを指す。その逆の、不倫当事者が相手の妻や夫の情報をさらすパターンもある。弁護士ドットコムニュースの記事では、妻子のある上司と関係をもった30代後半の女性が取材に応じ、相手の妻の個人情報をネット掲示板に投稿した体験を語っていた。

 717人が応じた弁護士ドットコムニュースのアンケートによると、37人(5.2%)に「さらし行為」をした経験があり、137人(19.1%)が「さらし行為」の被害を受けたことがあると答えている。男女問題を30年近く取材し『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏も、こうした「さらし行為」は増えてきたと証言する。今回はその中でも珍しい「さらし合い」の例を寄稿してくれた。

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【前後編の前編】

 最近、SNSで夫の浮気を見つけた、不倫相手からメッセージが送られてきたなど、ネット時代ならではの不倫の顛末を聞くことが多い。

 菅原英登さん(39歳・仮名=以下同)は現在、妻子と別居、不倫相手とは別れてひとりで暮らしている。

「いやあ、もう女性というものがわからなくなりました。自分が悪いのは重々承知していますが、それにしても女性はすごいというかエグいというか。女性不信になっています」

 彼が苦笑しながらそう言うのにはわけがある。

妻の夕子さんとの出会い

 英登さんが結婚したのは29歳のとき。妻となった夕子さんとは同い年で、知り合ってから半年ほどで婚姻届を出した。

「僕は飲食店で調理の仕事をしています。夕子はときどきひとりでふらりとやってくるお客さんでした。そのころ勤めていた店は、町の洋食屋さんで、彼女は店の近くでひとりで暮らしていた。おとなしくて穏やかで、帰りにはいつも厨房の僕に『今日もおいしかった。ごちそうさまでした』と言ってくれる。顔なじみになって、たまに話をしても口数は少なめ。でもいつもニコニコと聞いてくれる。なんとなく心惹かれる存在ではありました」

 週1、2回の頻度でいつもひとりで来店していた彼女が数ヶ月後、男性とふたりでやってきた。厨房からいちばん遠い席で、何やら深刻そうに顔を寄せ合って話しているふたりが気になってたまらなかった。そのうち男性が支払いをすませて出て行き、夕子さんがひとり残った。

「店は僕が厨房、オーナーが接客、ふたりで回していた。その日はそこそこ忙しくて、はたと気づいて彼女を見るとひとりでうつむいている。お客さんがほぼ帰って、オーナーも用事で出かけたので、コーヒーをもって彼女の前に置きました。『これ、サービス』と。彼女は顔を上げて僕を見たけど目が潤んでいた。泣いていたみたいです。でも一生懸命、笑って『ありがとうございます』と頭を下げた。いいよ無理しないでと言ったら、ぼろぼろと涙をこぼして……。あの涙で心を持っていかれました」

 夕子さんが問わず語りに話したところによると、その日、不倫相手の彼から別れを告げられたという。3年つきあっていた、結婚すると言ってくれた、今回だけは堕ろしてくれと言われて中絶までしたのにと夕子さんは、身をよじるようにして泣いた。

「私、あと1年で30歳になってしまうのに、今ごろ捨てられてどうしたらいいのかと。ずっと我慢して彼のために尽くしてきたと言う彼女にすっかり同情してしまいました。ひどい男だ、だったらオレと結婚しよう、前からあなたのことが気になっていたと言ったんです。彼女は『今、そんなことを言わないでください』と怒ったような顔をしていました」

 それでも英登さんはめげなかった。彼女の携帯電話を聞き出し、連絡をとり続けた。いつも「安否確認です。元気ならいいです、じゃあ」と切っていた。1ヶ月ほどたったころ、切ろうとすると「切らないで」と彼女が言った。明日、店に行きます、と。

それぞれ複雑だった家庭環境

 店に来た彼女は顔色はよくなかったものの、英登さんが作った料理をおいしそうに平らげた。

「やっぱりあなたの料理はおいしいと言ってくれました。『明日、定休日なんだけどデートしませんか』と言ったら彼女、素直に頷いた。彼女の仕事終わりに会って、勉強のために1度行ってみたかった店に一緒に行ってもらいました。おいしかったですね。僕なんてまだまだだと思った。食事が終わってコーヒーを飲んでいるとき、つきあってほしいと言いました。彼女は『あんなみじめなところを見たのに、私とつきあえるんですか』って。みじめじゃない、あなたは彼を責めたり追ったりしなかった、じっと耐えていた。偉いと思ったと伝えました」

 夕子さんは少し微笑んで手を差し出し、彼はその手をしっかりと握った。その2ヶ月後には、アパートが更新時期だったので彼女は彼のすみかに転がり込んできた。そして出会ってから半年後には婚姻届を出した。

「そのときも本当に私でいいのかと聞いてきました。一緒に住んでみたら、彼女は本当によくできた人だった。『私なんかの料理でいいのかしら』と言っていたけど、彼女の家庭料理はおいしかった。彼女、両親が共働きでおばあちゃんに育てられたんですって。おばあちゃんの味をしっかり身につけていたみたいです」

 英登さんはすでに母を亡くし、父は再婚していたし、姉は結婚して遠方に住んでいる。父と再婚相手が上京したときにでも紹介するからと、結婚時には会わせなかった。夕子さんのほうは離婚家庭で、母ひとり子ひとりで育った。離婚するときに父が兄を、母が自分と暮らすことになり、それきり父にも兄にも会っていないと少し寂しそうに語ったことがある。

「でも夕子は穏やかに前を向いて努力するタイプ。推薦で行った大学では成績優秀で奨学金をもらったという話も聞きました。僕も彼女に負けずにがんばろうと、いい刺激をもらいながら結婚生活を楽しんでいたんです」

幸せなときほど魔物はやってくる…

 3年後には娘が生まれた。夕子さんは産休と育休をとったが、そのときでさえ「あなたに経済的な負担をかけて申し訳ない」と言ったそうだ。「オレたちの子なんだから、水くさいことは言わないでほしい」と彼は思った。

「幸せでしたよ。あの時期は本当に幸せだった。夕子は何があっても僕を大事にしてくれると信じられたし、娘はかわいいし」

 ところが幸せなときほど魔物はやってくるものなのだろうか。自分が幸せだから、他にもそれを振り向けたくなるのだろうか。3年前のある日、彼は恋に落ちた。

「当時はコロナ禍で本当に大変でした。勤務先が閉店を余儀なくされたんですが、僕はたまたま拾ってくれる人がいた。チェーン店ではあったけど、味は店に任せられていたので、せっせとテイクアウトのお弁当や惣菜を作り続けていました。どうにか店内での飲食ができるようになったころ、グループ内の別の店に引き抜かれたんです。給料も上がったし、何より誰かに認められたことがうれしかった。そしてそのグループ本部に勤める事務方の女性と関係をもってしまったんです」

 仕事上、何度か顔を合わせているうちに食べ物の話になり、それが議論となった。智花さんというその女性は引かなかった。議論が紛糾してケンカになりそうになったとき、彼は何やら満足感を覚えたという。

「結局、味って個人差が大きいから、絶対的な味はないんだというところで落ち着いたんですが、食べ物や味について、これほど議論できる人がいることに感動してしまって。それがそのまま恋愛感情になったんです」

 言いたいことを言い合って、なぜかすがすがしい気持ちになった。妻の夕子さんとの間では感じたことのない満足感があった。

 結婚して子どもができても、夕子さんは英登さんに反論ひとつしたことがない。英登さんがストレスを抱えて、つい声を荒げても、夕子さんは「ごめんなさい」と言うばかり。ただでさえ八つ当たりして自己嫌悪に陥っているのにさらに謝られたら、罪悪感は増すばかりだ。言い返されたほうが気楽だった。

「だから夕子には、ついこちらも遠慮するようになっていました。でも智花には最初から遠慮なくケンカ腰になれた。智花も『まったくあなたみたいな強情な人には会ったことがないわ』と苦笑していました。それからすっかり意気投合して、2度目に会ったときには僕が智花のマンションに行ってしまったんです」

 電光石火の恋だった。3歳年上の智花さんは、英登さんが抱く「女性とはこういうもの」という理解を超えていた。英登さんが疲れていても労ったりしない。「仕事をしているのはみんな同じ。疲れたなんて口に出したら、よけい自分が疲れるだけ」「悩むより動け」と叱咤激励する。それは智花さんの信条でもあった。

【後編】では「泥棒猫」「あんた価値ないよ」とSNSで猛攻撃をはじめた夕子さんの「さらし行為」の実態に迫る

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部