「山一抗争」の最中に起きた悲劇

 いまでこそカタギがSNSを利用して大麻等多種類の薬物を密売する時代になったが、つい最近までは<薬物と言えばシャブ>、<シャブと言えば暴力団>、これがお決まりのパターンだった。彼らは組織的・計画的にブツを密輸し、拡散させ暴利を貪っていた。おのずと我々「マトリ(麻薬取締部)」の捜査対象は暴力団がメインとなり、日常的に彼らと対峙してきた。【瀬戸晴海/元厚生労働省麻薬取締部部長】

(全2回の第1回)

 抗争が始まると、捜査は格段にやりにくくなる。激化するとブツの流れにも影響が出る。組員たちは殺気だっているので、張り込みには注意を要した。とりわけ薬物保管庫は“武器庫”として利用されることが多いため、監視方法を工夫しなければ、重大な事故に繋がりかねない。ここに一番神経を使った。警察の警戒も強まり、西成の組事務所近くを通りがかったところ、“返し(報復)”にきた組員に間違われ、警察官から羽交い絞めにされたこともある。

 山一抗争(※1984年〜89年にかけて四代目山口組と一和会の間で起こった史上最悪の暴力団抗争。死者29名、負傷者70名が出ている)の最中、かつて逮捕したことのある女から電話があった。東京から流れてきた姉御肌な美人で、彼女の交際相手はヒットマン志願者だった。幸か不幸か男は実行犯にならずに済んだが、男は犯行に走れなかった自分を最後まで蔑んだ。だが、このストーリーでは、結局は女が一番辛い思いをしたとの印象が残る。彼女の承諾のもと、二人の物語を懐古したので紹介しよう。

「モノは何とかするから」

「相談があるの。シャブで“懲役3年”行くには何グラムくらい所持していたらいい? 100それとも200グラム……。営利(商売)目的じゃないとダメかな?」

――いきなり何だよ。そんなこと分からない。もうやめているんだろ?

 脈絡のない問い合わせはよくあるので、私は軽く聞き流した。だが、数日後の深夜、女は悲壮な表情を浮かべながら、当時、私が所属していた大阪の「近畿厚生局麻薬取締部」、通称・近麻(キンマ)を訪ねてきた。

「彼が抗争に行きそうなの。実家のある東京に連れて逃げたいけど、全く応じてくれない。シャブで逮捕して懲役に3年くらい行かせてほしい。戻ってきたらカタギにさせるから……」

――どういうことだ。本人は商売しているのか。チャカ(拳銃)は持っているのか。

「シャブは素人みたいで、身体にも入れてない(使用もしてない)。拳銃も見たことない。でも、時間がないの……」

――話がよくわからない。抗争事件は我々の権限外だ。四課(※「捜査四課」の略で、暴力団を専門に捜査する警察のプロ集団。“マル暴”と通称される)の先輩を紹介するから、そっちに相談しろ。

「お願い。色々あって、近麻にしか話せないの。モノ(覚醒剤)は何とかするから」

――えっ、なにを言ってるんだ!

太腿と背中をめった刺しに……

 つまり、彼女は架空の“覚醒剤事件”を仕組んで男を逮捕させ、ヒットマンになるのを防ごうとしているのだ。気持ちは分かるが、そんな犯罪行為は絶対にさせられない。「バカ言うな! それは犯罪じゃないか。男は知ってるのか、本人と会わせろ」。私は語気を強めたが、「会わせたら必ず逮捕してくれる? 私も一緒に逮捕してよ、約束してくれる?」と彼女は譲らない。

 挙げ句の果てには、「もういいよ。兄貴(彼女は私のことをなぜかこう呼ぶ)なら、なんとかしてくれると思ったのに。全部うそだよ」と怒りながら出て行ってしまった。

 私は狐につままれたような気分になった。だが、それから2週間後、彼女から掛かってきた電話に衝撃を受けることになる。

「この間は興奮してごめんね。あの人、あれから刺されちゃった。太腿と背中をめった刺しに……。かろうじて生きてるけど、もう動けないかも。やっぱり悲しいね」

 私は驚愕した。暴力団抗争のもたらす惨劇が、我々の面前に存在することを改めて認識するとともに、自分にもっと何かできることはなかったのか、と大いに後悔した。

 その後、彼女からの連絡は途絶えた。めった刺しにされたという男の事件がどうなったのかも分からない。抗争の一事件として処理されたとの噂も耳にした。

第2回【「イモ引いた罰でんな……」 元「マトリ部長」が明かす“山一抗争”で「ヒットマンになれなかったヤクザ」が背負った悲哀】では、「金星とってかっこつけかった」男を襲った一瞬の“逡巡”と、その後の人生が明かされる。

瀬戸晴海(せと はるうみ)
元厚生労働省麻薬取締部部長。1956年、福岡県生まれ。明治薬科大学薬学部卒。80年に厚生省麻薬取締官事務所(当時)に採用。九州部長などを歴任し、2014年に関東信越厚生局麻薬取締部部長に就任。18年3月に退官。現在は、国際麻薬情報フォーラムで薬物問題の調査研究に従事している。著書に『マトリ 厚生労働省麻薬取締官』、『スマホで薬物を買う子どもたち』(ともに新潮新書)、『ナルコスの戦後史 ドラッグが繋ぐ金と暴力の世界地図』(講談社+α新書)など。

デイリー新潮編集部