「もう一度首里城を作り上げることが私たちの使命」焼失玉座制作の漆芸家が決意表明

「もう一度首里城を作り上げることが私たちの使命」焼失玉座制作の漆芸家が決意表明

首里城再建を誓う「琉球史学者」「宮大工」「漆芸家」(2/2)

 一夜にして焼失した首里城。1986年から始まった復元プロジェクトに携わった人々は、悲しみの声とともに、“復元”への意欲を語る――。

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 33年にわたるプロジェクトではまた、工夫を凝らした復元もなされていた。琉球史の専門家として首里城整備事業の委員を務めた、沖縄県立博物館・美術館の田名(だな)真之館長(68)が言う。

「92年に正殿などが復元されて以降も、首里城周辺の発掘作業などは今年2月まで続いていました。私はその整備事業に携わり、発掘の成果を受けて建物内の整備にあたっていました。例えば城内には国王や王妃の食事を作る厨房があったのですが、それをそっくり再現するより、当時の美術品や工芸品を集めた収蔵庫を置いた方がいいと考えた。こうした外装を損なわないレベルのアドバイスで、機能面の改装を進めました」

 正殿内に鎮座していた琉球国王の玉座のレプリカは今回、焼失したとみられている。この「螺鈿(らでん)玉座」を前田孝允さん(82)とともに作成した、妻で漆芸作家の栄さん(74)は、

「玉座の資料は乏しかったので、1477年に即位した尚真王(しょうしんおう)の肖像画に着想を得て、ほとんどゼロからデザインしました。絵だけではわからないことが多いので、台湾や中国、韓国を視察し、仏閣などを調べてデザインを固めていきました。制作には2年かかりましたが、朱螺鈿としては世界最大の大きさだと思います」

 玉座の上に掲げられている「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額も、

「私が乳がんの治療中だったので制作を断っていたのですが、あまりに強く依頼され、結局2人で作り上げました。その途中で病気が快復したので『作ったおかげかな』と感謝しています。私たちは子供がおらず、城に納めた作品をわが子のように思っていて、燃えた前日の朝も玉座の前で『体調を崩した夫もよくなってきました。ありがとう』と話しかけるなど、心の拠りどころにしていたのです……。自宅は城のすぐ隣ですし、もう一度首里城を作り上げることが私たちの使命だと思っています」

版画のおかげで

 復元の折にはまた、意外な逸品が力を発揮していた。1853年、米国のペリー提督は浦賀に来航する前、琉球に立ち寄って首里城を訪れているのだが、

「その時の模様を、提督に同行した版画師が描いていて『ペリー提督日本遠征記』という本にも収められています。その中に、北殿で催された宴会の様子を描いたものがあり、北殿内部を再現するのに大いに役立ちました」

 とは、先の田名館長。その北殿では2000年の沖縄サミットでも各国首脳を招いた夕食会が催された。もてなしの場は、時代を超えて脈々と息づいてきたわけだ。

 地元記者が言う。

「今回の焼失による被害額は、復元整備費から換算すると正殿が約33億円。北殿や南殿、事務所のあった奉神門は約21億円など、合計で約73億円。建物は火災保険に加入しており、そもそも修復は国費で賄われる見通しですが、一方で那覇市が受け付けている寄付金はすでに2億円を超えました。県は、22年5月の本土復帰50年までには再建計画をまとめたい意向です」

 王朝時代の歴史考証をはじめ、修復の全体指揮を担った高良倉吉・琉球大学名誉教授(72)=琉球史=は、

「33年前とは違って図面も残され、資料も整備されている。県内の職人さんの技術も育っていて、情報面や人材面のストックはあの時よりはるかに大きい。再び城をつくるのは十分可能なはずです」

 遠からず「令和版プロジェクトX」が始動するというのである。

「週刊新潮」2019年11月14日号 掲載


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